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"Diary 161" '20-6-2

2020-06-01 16:09:01 | Massy's Opinion

★Massy’s Opnion

・先月に続いて、あらゆる外での会合が無くなった5月のDiaryも、パターンを変えたDiary に成る。

・本当は躍動の五月晴れ、スポーツも華々しくなるのに、日刊スポーツ等スポーツ紙は紙面造りに苦労している見たい。まるで、ギャンブル紙みたいだ。

・5月は読書に精をだして、単行本を2冊読んだ。読後感を綴ろう。

*門田隆将著 「汝、ふたつの故国に殉ず」

帯 英雄が歩んだ苦難と感動の物語

久しぶりに隆将先生の文庫本をかった。帯の二つの故国...に魅かれたのと上皇陛下のご親友、僕の先輩、明石さんが如何絡んで居るのかな?という興味もあった。物語は、戦後の台湾で「日本人として死んだ一人の英雄」の物語、もう一つ僕も台湾には、観光、大気汚染対策としてのタクシーのLPG化の講演会で‘90年代に4度も行って居るので興味も強く、隆将先生の本はよく読んでいるからだ。主人公の坂井徳章さんと言う人は、本を読むまで知らなかった。所謂、ハーフの日本人だが台湾の民主化のキッカケを身を挺して作ったと言う人の物語。台南に行かないと今でも解らないのかも知れない。それ程、世の中の動きが早く成って居るのだろう。著者は、先生のやり方通りに克明に史実を追い坂井徳章の人生録を書き上げている。「ああ、こんな人も居たんだ...」と言う読み応えの読後感である。

*四家秀治著 「発掘!西本・阪急 最強伝説」

帯 「西本野球はなぜ語りつがれるのか」

僕は、プロ野球は、昔の阪急が一番好きだ。中学の頃かな、生まれて初めて後楽園スタジアムに行った試合が、阪急~巨人 3塁側がビジターで阪急。当時のブルペンはグラウンド内しかなかった。そこで、ピッチングをしていたのが「岡村」という二線級のピッチャ―だった。塀越しに体を乗り出してピッチングを見ていたら「坊や危ないよ...」と声を掛けてくれた。それから、話し合うように成って、家へ帰ってからファンレターを出した。そうしたら丁寧に葉書で返事をくれた。その後、2~3年文通を続けた。当時の阪急は、ヘソ伝こと外野手の山田伝、上田、外野の玉腰、天保。今西、野口二郎なんか個性派が多く居て、面白いチームだった。大学の野球部は関西出身が多く、当然、阪神か阪急フアンが多かった。特に芦屋が甲子園大会で優勝した後で、4番だった土河、それと決勝で戦った鳴尾のエース中田も同期に成った。「なんし、お前は阪急が好きなんや...」と良く言われたものである。

僕の学年では、湘南の衆樹(毎日)、鳴門の日野(中日)、中田(阪急)と3人がプロ入りしているが、3人とも六大学リーグで首位打者を取っている。中田君の事は「さよなら中田昌宏君」と言うブログに詳しく書いてあるが、ご子息がそれを読んで「親父の知らない部分を読んで嬉しかったです...」とメールを貰った。僕にすれば阪急に入った中田君は羨ましかった。前置きが長くなったが。そのご子息さんに学生時代に会ったことがある。彼は今、NHKでこの間は、「呑み鉄本線」と言う1時間番組のディレクターをしていた。FaceBookのお友達に成って居る。彼が、この本を「親父の名前が出て居る」と推奨して居るのだ。

西本監督は地味な選手だったし、猛練習を主体にチーム造りをしたのだが、当時、衆樹がトレードで阪急に来ていた。慶応の3番、4番が一緒に成ったのである。そこで、西本さんは、シーズン初めに自分に対する信任投票を遣ったのである。この時、反対4票白票3票とか言われている。この反対と白票は、西本さんの見通しと大分違ったのだろう、監督は辞意を表明して相当問題になった。結局、辞意を撤回して阪急を強いチームにしたのだ。実は、僕らが大学3年の時に、阪井監督の交代論が出て、現役4年生の意見をOB会から求められた。4年生だけ集まって意見の交換をしたが、当時主将の衆樹君は交代論の先鋒だった。確かに阪井さんはグランドでも歯を見せた事がない、凄いスパルタで寄り付けない程だった。こんな前例を経験しているので、この「信任投票問題」が西本監督論の中に書かれているかな?と言うのが大きな興味ですぐに買って読んだのである。晩年、中田君に「衆樹は如何したの?」と聞いたら、「あれはモロや...」と言って居た、中田君は精々入れたとしても白票だろうと思う。色々人生の節目で聞きたいことも有るし、結構中田君とは話をした。オリックスに成った時とか「リースって、何や、これから宮内社長に会いに行くんだ。俺は、そんなものチットも解りやせん」「リースって、金貸しよ、率直に野球しか解りません」と言った方が良いよ。と言う話もした事がある。中田君には一度一軍の監督をやって貰いたかったな。さて大分横道に逸れたが、そういう意味では、西本さんのこの事件については、僕の期待に反して、僅かしかこの本には書かれて居ない。阪急の記録は良く集められているが、読んだ後、僕には、物足りなかった。著者の年齢から言ってもギャップは仕様が無いのかなと思う。阪急と言うのは色々魅力のある企業体だ。西本さんの後、「上田阪急」もいいチームだった。梶本、中田がコーチで支えて、福本、山田、蓑田らと一つに纏まり西本ラインを繋いだのだろう。この辺は当時日経のスポーツ記者浜田昭八さんが客観的に良く書いて居た。

僕は、大学3年まで阪井監督、4年の時は稲葉監督の時代今で言う「先乗り、スコア―ラー」をやらされた。立教、明治、早稲田を中心に練習を見に行って、ピッチング練習の時に打者一人5球3ボール2ストライクx3アウトx9回=135球をベースにシュミレーションを作りピッチング練習をするようにした。

当時、立教の砂押さんは長島一人に2つのゲージの内1つのゲージで、ズッート打たせていた。兎に角凄いスパルタで、遂に、故大沢親分以下の合宿脱走事件が起こった。明治の島岡さんも凄かった。お二人ともその後お会いする機会があり、その話をすると「あの時は、若かったなー」と言われた。当時のリィーダーは皆さん心構えが違ったのだと思う。読後感とは、大分逸れてしまったが、最近は、世の中大切な、ものが失われて行くような気がする。

*「福沢諭吉の経営思想」 

解説 慶応大学 元商学部長 名誉教授 清水龍瑩(りゅえい)

(1958年経済学部卒 1928年生~2001年没) 

これは清水先生が何かの本に書かれた「小論」401ページから447ページ迄をコピーした物である。僕は、1957年卒であるから、僕の方が一年卒業は早い。然し、僕は1934年生まれだから先生の方が6歳年上である。このコピーを如何して、どこから手にしたのかは、もう記憶にない。懐かしく成って読み直した。驚いたことにその中に、「ところで時代のはげしい変わり目には、誰でも先が見えなくなるものである。今日のIT化時代・グローバル化時代への大きな変わり目...先が見えずに従来の経営スタイルの何処をどの程度変えたらいいのか、日本の多くの経営者が戸惑って居るように思える」と言う一節がある。福沢諭吉の経営思想の解説である。此のパンフの表紙は僕が書いた物であるが、多分大学3年か4年の時に作ったコピーである。確か日本IBMが出来た頃か?しかし、65年位前の時代と今の時代と全く変わらないと言う事は、何とも言いようのない感じがすると同時に改めて福沢先生や清水先生の教えをこれからの時代をリードする人たちに学んで欲しい。特に「実学の尊重」を...

・テレワークとワイフのリハビリ

順調にリハビリが出来ている。アメリカでもskypeの接続の調子は色々ある様だ。スムースに何とか時代の流れには載っている様だ。

・最近の生活と町の変化

僕の生活のスタイルが全く変わってしまった。兎に角、Stay Home。同じ年頃の仲間は、夜に成ると電話が掛かって来る。一体何時に成ったら以前のようになるのだろう?一つは学校の休校が町を静かにしている様だ。食べ物屋さんがTake Outをやって呉れるのは我々には有難い。スーパーで売っている食料品のカップ麺やインスタント物が旨くなった。

食料品でもなんでも包装が非常に良くなった。僕は、ワイフの入院している間、40日間ガスを一度も使わなかった。レンジと、自動湯沸かしと。トースターだけで食事が済んでしまう。衣料品はネットで購入、一番気を付けるのは、ブランドだ。製造は中国でも製品の保証はブランドがして呉れると思う。我が家の周辺では、蕎麦屋さんでも、豚カツやでも我々と同じスーパーで食材を買って居る。魚屋さんは小売りやと卸売りの中間の位置付けに成っている様だ。兎に角、変化してきている。

・どうなるだろう?リーダーシップの無い政治

賭け麻雀の処罰は、酷すぎる。あれでは世の中、本当に物事の良し悪しが解らなくなってしまう。僕は、性善説派だが車のスピードでも制限速度を解って居てオーバーするのと、解って居ないで飛ばすのでは注意の仕方が違うだろう。世の中で良し悪しが解らなくなるのが怖い。改めて、福沢先生の「経営思想」を読んで欲しい。

P,S

再び野球の話に戻って、大学4年間野球部に居たと言う事は、上下で7年間の部員を知って居る訳。それで、首位打者が同期の3人と2年下の赤木君が首位打者を取っている訳。赤木君は新制慶応高校の初めてのプロ入り。そして、中田君の子息も赤木君の子息もNHK勤め、首位打者の子供はNHKで取るのかな?...

 


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