神奈川県鎌倉市長谷にある高徳院の本尊である鎌倉大仏を参拝しました。
この浄土宗の寺院の高徳院(こうとくいん)は、正確には。大異山高徳院清浄泉寺(しょうじょうせんじ)という古刹です。
開基(創立者)と開山(初代住職)はともに不明なようです。
この高徳院の本尊は“鎌倉大仏”“長谷の大仏”と呼ばれる阿弥陀如来像です。もちろん国宝です。
青銅製の“大仏”である阿弥陀如来像は高さが12.38メートル、総質量は121トンです。
この日のお供え物は、大きなスイカでした。
“大仏”の内部は空洞です。
建屋の大仏殿は、建武2年(1335年)と志安2年(1369年)に襲来した台風によって倒壊し、さらに明応4年(1495年)の大津波で押し流されたそうです。それ以来、現在の露座の大仏となっています。
米国オバマ前大統領が参拝して以来、外国人観光客が大幅に増えたそうです。見た感じでは、80パーセントから90パーセントは外国人観光客でした。
多くの外国人観光客は、真夏の日射しを避けるために、大仏の周囲にある回廊の日陰部分で、のんびりと休んでいます。ここは結構、涼しいからです。
高徳院までの参道沿いには、多くの飲食店やお土産屋などが並び、外国人観光客目当てにアピールをしています。米国オバマ前大統領が好んだ抹茶アイスもアピールされていました。
この浄土宗の寺院の高徳院(こうとくいん)は、正確には。大異山高徳院清浄泉寺(しょうじょうせんじ)という古刹です。
開基(創立者)と開山(初代住職)はともに不明なようです。
この高徳院の本尊は“鎌倉大仏”“長谷の大仏”と呼ばれる阿弥陀如来像です。もちろん国宝です。
青銅製の“大仏”である阿弥陀如来像は高さが12.38メートル、総質量は121トンです。
この日のお供え物は、大きなスイカでした。
“大仏”の内部は空洞です。
建屋の大仏殿は、建武2年(1335年)と志安2年(1369年)に襲来した台風によって倒壊し、さらに明応4年(1495年)の大津波で押し流されたそうです。それ以来、現在の露座の大仏となっています。
米国オバマ前大統領が参拝して以来、外国人観光客が大幅に増えたそうです。見た感じでは、80パーセントから90パーセントは外国人観光客でした。
多くの外国人観光客は、真夏の日射しを避けるために、大仏の周囲にある回廊の日陰部分で、のんびりと休んでいます。ここは結構、涼しいからです。
高徳院までの参道沿いには、多くの飲食店やお土産屋などが並び、外国人観光客目当てにアピールをしています。米国オバマ前大統領が好んだ抹茶アイスもアピールされていました。
コメントを重ねてお寄せいただき、ありがとうございます。
鎌倉大仏は結果的に、青空の下に鎮座されていて、周囲の鎌倉の低山の森に似合います。
参道沿いでは、今ごろは、しらす丼とアイスクリームの売り込みが盛んでした。暑い夏の日なので、外国人観光客の方々はアイスクリームを食べていました。
青空に大仏 明るく開放的な鎌倉の街を象徴する眺めですね。
スイカの供物がまさに夏休みといった感じで好きです。
コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
春のサクラ開花ごろの北鎌倉の古刹巡りは楽しいですね・・
北鎌倉の建長寺など多くの寺院が鎌倉にはありますね。
のんびりと歩いてみたいですね。
コメントをいつもお寄せいただき、ありがとうございます。
見慣れたせいか、鎌倉の大仏は低山の緑の木々や青空を背景に、拝見すると美しさを感じます。建屋がないことが、今は自然に感じます。
大阪府・大阪市には、大仏はあるのでしょうか・・。鎌倉は特異な地なのでしょうか??
コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
武士が政権をとった鎌倉幕府は、京都の朝廷から距離を置くために、源氏の勢力が強い鎌倉に幕府を開きました。このために、ここに大仏が必要になったことと思います。
徳川幕府が江戸に拠点を置いた時には、宗教の力はそれほど大きくなかったようです。
東京郊外の赤塚大仏は、一度は訪れてみたところです。
おはようございます。
大昔に一度だけ鎌倉の大仏様を参拝したことがあります。奈良の大仏様も立派ですが、鎌倉の大仏様もなかなか立派でした。与謝野晶子の「鎌倉や 御仏なれど 釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな」の歌を思い出します。
スイカが小さく見えますね!?
鎌倉市は京都・奈良以外で、政府(幕府)があった数少ないところです。
東京郊外にも、赤塚大仏がありますが、鎌倉大仏ほどは有名ではありません。
コメントをいつもお寄せいただき、ありがとうございます。
鎌倉幕府が武士や民衆からの支持を得るために、当時は田舎だった鎌倉でこれだけ大きな青銅製の仏像をつくるために、多くの人々がかり出されたのだと想像しています。
銅鉱山から原料を掘り出し、銅を精錬し、大きな大仏を鋳こむ作業を完遂できたことに、鎌倉幕府の実力を感じます。
当時の鎌倉は今以上に田舎だったことと思います。海岸から船を用いて、物流を運んだものと想像しています。
鎌倉の大仏さんは、長年月風雨にさらされながらも参拝者を迎えておられるようですね。
謎の部分が多いがゆえに余計に人々の心を惹きつけるのかもしれませんね。