長野県茅野市豊平にある御射鹿池は、池の周囲で育つ森の木々の新緑や紅葉を水面に映し出す風景が美しいと評判の高い“人工の池”です。
この御射鹿池(みしゃかいけ)は、奥蓼科温泉郷という標高が約1500メートルの鄙びた山間部にあります。御射鹿池の水面の標高は1525メートルあるそうです。
最近、ここでは駐車場が新設されたと聞いて、行ってみました。5月連休のためか、常に10数台の乗用車などが出入りしていました(バス運行もしていました)。
その御射鹿池の湖面です。



残念ながら、新緑を美しく映し出す水面の画像を撮影できませんでした。



御射鹿池の水面には、キンクロハジロが数羽、泳いでいます。時々、水面下に潜ります。


この御射鹿池は、有名な日本画家の東山魁夷さんが描いた作品「緑響く」のテーマとなった池として有名になりました。
その後、この東山魁夷さんが描いた作品「緑響く」をモチーフにしたテレビCM(コマーシャル)でも有名になりました。
その山奥に潜む“魅惑の池というイメージを求めて、多くの観光客が訪れています。
”
テレビCMのような“新緑”や“紅葉”を映し出す写真を撮影するには、撮影技術と撮影する時間帯が大切なようです。
この御射鹿池は、元々は流れている水が酸性で、かつ温度が低い“冷鉱泉”であるために、一度、水を溜めて、温度を高めて、灌漑用水として放水しているそうです。
御射鹿池という人口池は、昭和8年(1933年)につくられました。まさかこんな観光地になるとは、夢にでも思っていなかったことでしょう。、
この御射鹿池(みしゃかいけ)は、奥蓼科温泉郷という標高が約1500メートルの鄙びた山間部にあります。御射鹿池の水面の標高は1525メートルあるそうです。
最近、ここでは駐車場が新設されたと聞いて、行ってみました。5月連休のためか、常に10数台の乗用車などが出入りしていました(バス運行もしていました)。
その御射鹿池の湖面です。



残念ながら、新緑を美しく映し出す水面の画像を撮影できませんでした。



御射鹿池の水面には、キンクロハジロが数羽、泳いでいます。時々、水面下に潜ります。


この御射鹿池は、有名な日本画家の東山魁夷さんが描いた作品「緑響く」のテーマとなった池として有名になりました。
その後、この東山魁夷さんが描いた作品「緑響く」をモチーフにしたテレビCM(コマーシャル)でも有名になりました。
その山奥に潜む“魅惑の池というイメージを求めて、多くの観光客が訪れています。
”
テレビCMのような“新緑”や“紅葉”を映し出す写真を撮影するには、撮影技術と撮影する時間帯が大切なようです。
この御射鹿池は、元々は流れている水が酸性で、かつ温度が低い“冷鉱泉”であるために、一度、水を溜めて、温度を高めて、灌漑用水として放水しているそうです。
御射鹿池という人口池は、昭和8年(1933年)につくられました。まさかこんな観光地になるとは、夢にでも思っていなかったことでしょう。、
東山さんの絵のような色合いは、撮影時間などがポイントになるでしょう。光の具合が大事でしょうから・・
コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
この御射鹿池には、たぶん早朝か夕方に行って、三脚を利用して、撮影条件を振り、時間をかけて撮影することが必要なようです。
お手軽な撮影では、絵のようにはなりません・・反省しています。
ここには鹿はもう出てこない環境になっていると思います。
まして、白馬は出てきません・・
コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
東山さんが絵のモチーフを求めて、この地を訪れた時は深山の温泉地近くの池だったことと思います。
その後は、日本ではモータリぜーションが進み、自動車が生活に不可欠になり、道路網が発達しました。
現在は、御射鹿池まで比較的たやすく行くことができます。時代の変化は激しいですね。
現在の観光地としての御射鹿池の問題は、トイレ}がないことです。お行きになる際は、ご注意ください。
コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
確かに、御射鹿池の周囲の木々が新緑に包まれる時が訪問するタイミングとしては一番、いいと思います。
ご指摘いただき、ありがとうございます。
まして、奥蓼科温泉郷までは、気候面でも厳しい土地だったことと思います・・
当時はかなり厳しい山間地での農業作業だったことと思います。
標高が高いところでの耕作地開墾という開拓は、苦労の連続なったそうです。長野県内では、こうした開墾された土地は、昔はスキー場に、少し前は別荘地になっています。
魔方陣さま
コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
農業用の溜池として造成された御射鹿池は、想定外のことで、観光地化しています。
標高が1500メートルの山麓は、農業用耕作地としては、苦労されたことと推定しています。