ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

群馬県下仁田町の山中にある“絹産業遺産群”の荒船風穴に行ってみました

2012年08月25日 | 旅行
 群馬県下仁田町の南野牧の山中にある荒船風穴は、自然の冷風を利用した蚕種(蚕の卵)の冷蔵貯蔵施設の産業遺跡です。現在、世界遺産に推薦されている富岡市の「富岡製糸場と絹産業遺産群」の産業遺跡の一つです。

 標高870メートルの山麓斜面に自然の風穴があり、夏でも涼しい風が吹き抜けています。急斜面にある天然の風穴を基に、たて穴形状の石積みの貯蔵施設を3基作製したそうです。その石積みの産業遺跡が3基残っているそうです(2基公開しているもよう)。





 この石積みの貯蔵施設は、真夏の7月から8月でも2~3度(摂氏)と涼しかったそうです。それぞれ上部屋と下部屋が設けられ、それぞれに蚕の卵を貯蔵したそうです。この石積み2階構造の上に土蔵が被せられた3層構造体にしたそうです。

 今回行った際には、周囲の林の気温は20数度(摂氏)でしたが、石積みの遺跡の傍に近づくと10度(摂氏)ぐらいの冷風が吹き出していました(この産業遺跡周辺には温度計があちこちに設置されていて、実温度が示されています)。





 風穴から出てくる冷風を利用して、蚕の卵(蚕種紙)を冷蔵貯蔵した結果、う化の時期を遅くするこが可能になり、従来は1年間に1回しかできなかった養蚕を、1年間に複数回可能にしたそうです。蚕の卵の貯蔵能力は蚕卵紙約100万枚を貯蔵でき、国内最大規模だったそうです。その取引先は38道府県(当時)に及んだそうです(この数字は諸説あるようです)。

 天然の風穴を基にした冷蔵施設は、当時の理学・工学の最先端技術を基に設計されたそうです。

 産業遺跡の荒船風穴は、下仁田町の最西側に位置する南野牧の山中にあります。長野県との県境の内山峠に上る国道254号から別れ、県道44号線を上った山中にあります。驚いたことに、荒船風穴のすぐ下側には小さな集落があり、蕎麦畑や野菜畑があります。戦国時代に甲斐の武将の武田信玄が連れてきた人々が定住したとのことです。江戸時代はかなり交通面で不便な集落だっただろうと想像しました。



 荒船風穴の産業遺跡は明治38年から大正3年(1905年から1914年)にかけて、当時の下仁田町の起業家によってつくられたそうです。富岡市の富岡製糸場近くから現在の下仁田駅まで上野(こうずけ)鉄道が敷設されたそうです。下仁田駅から荒船風穴の冷蔵施設までには、馬と人手で運んだそうです。この輸送はかなりの重労働だったことと想像できます。

 富岡製糸場に関連した産業遺産の一つである荒船風穴は予想以上に立派な冷蔵向けの工業施設でした。明治時代のイノベーションの一つだったと思いました。