ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

群馬県甘楽町の雄川堰沿いにある桜並木はちょうど満開の見ごろでした

2012年04月17日 | 旅行
 群馬県甘楽郡甘楽町(かんらまち)の小幡(おばた)地区には、疏水の雄川堰沿いに桜並木があります。サクラの花が満開の時は当然、多くの花見客で賑わいます。

 群馬県南部にある甘楽町では、ソメイヨシノ(染井吉野)などのサクラの花が満開になった4月14日の土曜日には、甘楽町では「甘楽さくらウオーク」という“町歩き”のイベントが、4月15日の日曜日には「甘楽さくらマラソン大会」がそれぞれ開催され、大いに賑わったそうです。

 その甘楽町の小幡周辺のサクラの花見は、多くの花見客が幅約2メートルの疏水である雄川堰沿いを歩きます。



 桜並木の多くを占めるソメイヨシノの木はちょうど満開です。このソメイヨシノの花が散り始めると、雄川の水面に花びらがたまって風情を醸し出します。

 雄川堰沿いの中程にある八幡神社も花見ポイントの一つです。入り口部分にソメイヨシノの桜並木があるからです。



 八幡神社の背後にある八幡公園の山麓にもサクラの木々が花を咲かせています。





 甘楽町の小幡地区を支配した小幡氏は、戦国時代には甲斐の武田信玄の軍の先陣として武勇をはせ、“上州の朱武者”として恐れられたそうです。徳川時代になると、織田信長の二男の信雄(のぶかつ)に大和国宇陀郡3万石・上州小幡2万石が与えられ、1616年には信雄の子の信良の支配下に入ります。信雄から8代にわたる152年間、織田氏に統治された城下町であるため、甘楽町は織田宗家ゆかりの城下町を名のっています。

 サクラの花が咲く季節はサクラの名所はどこも花見客で賑わいます。甘楽町の小幡地区も同様です。今回は、ソメイヨシノなどのサクラの木が満開で花見客が大勢来ていたため、少し山側にある楽山園という大名庭園に行くのは諦めました。次回のお楽しみです。