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第5章:二つのこよみ(西暦とヒジュラ暦)(8)
122 ヒジュラ暦1400年(西暦1980年)前後(4/5)
サダム・フセインはスンニ派ではあるがイラク南部には多数のシーア派住民が住んでおり、イラク全体でみてもシーア派の方が多い。サウジアラビア、クウェイト、バハレーンのスンニ派君主制国家も国内に多数のシーア派を抱えており、バハレーンは人口の大半がシーア派である。イランのホメイニ師がこれらシーア派住民に蜂起を呼びかけたことで各国は危機感を募らせた。湾岸6か国が1981年(ヒジュラ暦1402年)にGCC(湾岸協力機構)を結成したのはとりもなおさずシーア派住民が蜂起して君主体制を打倒するのではないかという恐怖心に駆られたからに他ならない。フセインはイラン・イラク戦争に宗派対立の構図を持ち込んで湾岸産油国を戦争に巻き込んだ。GCC諸国はフセインの術策に陥ったとも言えるのである。
イラン・イラク戦争勃発と同じ1979年12月にはソ連がアフガニスタンに侵攻しアフガン戦争が勃発している。西暦1980年前後、すなわちヒジュラ暦の14世紀と15世紀をまたぐ数年間はこれら二つの戦争が続いた時代であった。
(続く)
荒葉 一也
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