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第4章:中東の戦争と平和(12)
098 「平和の家」と「戦争の家」(2/4)
イスラームの勃興期にはジャーヒリーヤ(無明の世界)にイスラームの光を届ける布教活動がイスラーム帝国を築き上げた。そして中世では聖地エルサレムをめぐる十字軍との戦いでキリスト教を退けオスマン・トルコの繁栄がもたらされた。それはまさにこの世が「平和の家」であり続けた時代であった。近代西欧社会がこのオスマン・トルコを圧政と搾取の世界と指弾したとしても、そこに住む大多数の民衆にとっては平和な世界だったはずである。
その平和な世界を踏み荒らしたのは西欧列強の帝国主義であり、イスラーム世界で次々と「戦争の家」を繰り広げたのは帝国主義国家の政治家、軍人或いは資本家たちだった。ただ「平和の家」と「戦争の家」の境界にはそのどちらでもない世界がある。イスラームはそれを「和平の家(ダール・アッ・スルフ)」と名付けた。
第四次中東戦争の後、エジプトとイスラエルは和平協定を結び、以後今日まで半世紀近くの間アラブ・イスラエルの国家間戦争は起こっていない。まさに「和平の家」が出現したと言えよう。 従来中東戦争と言えばアラブ・イスラエル戦争のことであった。それはアラブ人とユダヤ人の民族戦争であり、同時にイスラームとユダヤ教の宗教戦争であった。それは単純な二項対立の図式であり、「敵」と「味方」がはっきりしていた。
(続く)
荒葉 一也
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