石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

見果てぬ平和 ― 中東の戦後75年(106)

2024-01-22 | 中東諸国の動向

(英語版)

(アラビア語版)

 

(目次)

 

第4章:中東の戦争と平和(20)

 

106 イラン・イスラム革命(1/3)

 1970年代末までのイランは中東で最も安定した国であった。1921年にコサック軍のレザー・ハーンがクーデタによりパハラヴィー王朝を樹立、それまでのペルシャという国名をイランに変更、第二次大戦ではナチス・ドイツに接近したため連合軍の進駐にあい、息子のムハンマド・パハラヴィーが皇帝の位を継承した。国内政治では共産党が力をつけ1951年にはモサデグが首相となり石油産業を国有化した。

 

イランの共産主義化と石油の国有化に危機感を抱いた米国はCIAの秘密工作によりモサデグ政権を転覆、パハラヴィー皇帝(シャー)が全権を掌握した。これ以降米国とイランの蜜月関係が始まり、米国は最新兵器を惜しげもなくイランに供与、皇帝は石油の富を米国に還元したのである。米国は不安定なイスラエル情勢を間接的に支え、中東の東半分ペルシャ湾周辺を安定させる役割をイランに託した。イランは「ペルシャ湾の警察官」と呼ばれるようになったのである。シャーは米国CIAとイスラエル・モサドの協力を得て国内に秘密警察(SAVAK)の網を張り巡らせ恐怖政治を行った。そして米国の歓心を買うため「白色革命」と称して農地改革、国営企業の民営化、婦人参政権などの近代化を強引に進めた。

 1970年代末までのイランは中東で最も安定した国であった。1921年にコサック軍のレザー・ハーンがクーデタによりパハラヴィー王朝を樹立、それまでのペルシャという国名をイランに変更、第二次大戦ではナチス・ドイツに接近したため連合軍の進駐にあい、息子のムハンマド・パハラヴィーが皇帝の位を継承した。国内政治では共産党が力をつけ1951年にはモサデグが首相となり石油産業を国有化した。

 

イランの共産主義化と石油の国有化に危機感を抱いた米国はCIAの秘密工作によりモサデグ政権を転覆、パハラヴィー皇帝(シャー)が全権を掌握した。これ以降米国とイランの蜜月関係が始まり、米国は最新兵器を惜しげもなくイランに供与、皇帝は石油の富を米国に還元したのである。米国は不安定なイスラエル情勢を間接的に支え、中東の東半分ペルシャ湾周辺を安定させる役割をイランに託した。イランは「ペルシャ湾の警察官」と呼ばれるようになったのである。シャーは米国CIAとイスラエル・モサドの協力を得て国内に秘密警察(SAVAK)の網を張り巡らせ恐怖政治を行った。そして米国の歓心を買うため「白色革命」と称して農地改革、国営企業の民営化、婦人参政権などの近代化を強引に進めた。

 

(続く)

 

 

荒葉 一也

E-mail: Arehakazuya1@gmail.com

 

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