石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

見果てぬ平和 ― 中東の戦後75年(94)

2023-12-22 | 中東諸国の動向

(英語版)

(アラビア語版)

 

(目次)

 

第4章:中東の戦争と平和(8)

 

094 ポピュリズムが育てる独裁者 (2/4)

 東西冷戦の渦中で中東の指導者たちは西側につくか、東側につくか厳しい判断を迫られていた。1950年代に中国の周恩来、インドのネール、チェコスロバキアのチトーなどが非同盟を呼びかけバンドン会議を開いた時代とは異なり、いずれの側にも属さない中立という立場はあり得なかった。第二次世界大戦直後、それまで西欧帝国主義に蹂躙されていたアラブ諸国はその反動として民族解放運動と結びついた社会主義国家ソ連に傾倒した。しかしイスラームを深く信奉するアラブにとって無神論のソ連共産主義は水と油の関係である。彼らにとってはそれ位ならむしろ同じ一神論の西欧キリスト教国家の方が理解しやすかった。さらに民族は違っても同じイスラーム教徒(ムスリム)である中央アジアの少数民族がモスクワ中央政府によって弾圧されている現実を前にして中東の独裁者たちは次第に西側諸国に傾いていくのであった。

 

ただし彼らは西欧のように政治的自由を一般市民に与える気は毛頭なかった。国の名前に共和制を冠して国民や国際社会の目をくらます一方、実態は過酷な独裁強権主義国家を築いたのである。リビアの国名がそれを象徴している。カダフィは「大リビア・アラブ社会主義ジャマヒリーヤ(直接民主主義)国」と名付けた。「アラブ」(民族)、「社会主義ジャマヒリーヤ」とこれでもかというほどの飾り文句を並べている。しかし実態は程遠い絶対的独裁国家であった。国名で比較するならこれは北朝鮮の正式国名「朝鮮・民主主義・人民・共和国」と双璧を成すものと言ってよいであろう。独裁者はとかくうわべを飾りたがるものである。

 

 

(続く)

 

 

荒葉 一也

E-mail: Arehakazuya1@gmail.com

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