Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

ベネチアに、死す

2013-08-26 04:00:00 | コラム
夏フェスも甲子園も終わったので、気持ち的にはもう晩夏。
実際きのうはエアコン要らず、、、どころか扇風機さえオンにする必要がなく、こりゃいいぞ、来たよ来たよ映画の季節が―なんて、まぁ自分は1年中「映画だ! 映画がやってくる!」と騒いでいるが、

今週なかばよりベネチア国際映画祭が、
10月23日からは東京国際映画祭が開催される。

海外には何度か行ったことあるが、海外映画祭への参戦経験はない。

10日前後の開催期間中に何十本もの映画に触れることが出来る「楽園」、
しかし英語はスラングしか分からないし、知っている外国語といえばポルトガル語「のなかの」格闘技用語だけだったりして、
観光だけならそれもいいが、台詞理解出来ぬまま映画に触れてもなぁ、、、という気持ちがある。

いっぽうで、いやいや、映画祭の雰囲気だけでも実際に味わうべきで、、、とも思ったり。

三大映画祭ばかりではない、トロント・モントリオール・シカゴ・サンダンス・釜山・シトヘス映画祭などなど、体感したい映画祭は山ほどある・・・というか、ぜんぶ行ってみたい。

世界の映画祭は(小規模なものを含めると)何百とあるはずだが、そのなかで完全に権威づけされているものは、カンヌとベルリン、ベネチアの三大映画祭。

賞にからまなくとも、コンペティションに出品されること自体が名誉だったりして、だから予告編でも「○○映画祭、正式出品作」なんて大きな売りにされることがある。

この三大映画祭で、日本と最も良好な関係を築いているのはベネチアだと思う。

今年の審査員のひとりは、坂本龍一。(審査委員長は、イタリアの巨匠ベルトリッチ)
数年前は塚本晋也が、ずっと前は大島渚も務めたことがある。

今年のコンペ部門には、日本から『風立ちぬ』が、
またオリゾンティ部門には、園子温による『地獄でなぜ悪い』が出品されている。

過去の金獅子(最高賞)受賞作に、日本映画がいくつかからんでいる。
最も有名なのは、敗戦のショックを和らげた―なんていう評価までされた、『羅生門』(50)の金獅子受賞だろう。
50年代の日本映画黄金期は、この受賞がきっかけとされている。
(ちなみにトップ画像は、名誉金獅子を受けたデヴィッド・リンチ。持っている「光り輝くもの」こそ、金の獅子像である)


と、いうわけで。
今宵は、過去の金獅子受賞作から「これだけでも観ておいて!」と映画小僧が薦めたい13本を挙げてみる。

やや重たい、小僧好み? のセレクトなので、動画くらいは誰もが触れられるものに。

コンペ出品作『風立ちぬ』主題歌を、あやや(結婚おめでとー♪)が歌うバージョンで。

ついでに宣伝を、ひとつ。
今晩のNHK『プロフェッショナル』は、拡大版で宮崎爺を特集。

ぜひ! ぜひ!! ぜひ!!!





(制作年度順、つまり優劣はなし)

『情婦マノン』(48)

クルーゾー監督は、エンタメの才能を持った厭世家だった。

『羅生門』(50)

宮川一夫の撮影と、京マチ子の美しさ。

『無法松の一生』(58)

こういう三船も悪くない。

『去年マリエンバートで』(61)

ふつうの映画に飽きてしまったら、どうぞ。

『昼顔』(67)

ドヌーヴみたいな娼婦が居たら、はまるね。断言出来る。

『さよなら子供たち』(88)

ルイ・マルの描く戦争。

『悲情城市』(89)

アジア映画の夜明けを告げた傑作。

『秋菊の物語』(92)

イーモウ×コン・リーの映画で、いちばん好きかも。

『ショート・カッツ』(93)

アルトマン、後期の代表作。

『シクロ』(96)

トラン・アン・ユンは、これ以降の作品が振るわない。

『HANA-BI』(98)

これが最初の北野映画だったというひと、意外と多い。
やはり賞の効果って、大きいのだ。

『父、帰る』(2003)

ロシア映画の底力を見た。

『レスラー』(2008)

ミッキー・ロークの復活は、朋ちゃんの復活よりも劇的で、うれしい。

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『無地嫌い』

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ハードルは高く

2013-08-25 06:59:10 | コラム
呑む機会がつづく。

家で勝手に呑んでる「ひとり呑み」はともかく、
誰かを誘い/誘われて・・・という頻度が多くなり、日によっては、人気者でもないクセして「どっちの呑みにイエスというべきか」なんて選ぶ立場になっていたりする。

理想の呑みかたというか、そんな関係を築いていたのは映画監督・小津と脚本家の野田高梧。

普遍とユーモアと哀切さえ漂わせる台詞のやりとりを完成させるまでのあいだに、ふたりはいくつもの一升瓶を空にした―と、先日の読売新聞にも記されてあったが、
旅館に閉じこもって酒を呑み、アアデモナイコウデモナイいいながらホンを生み出す、、、なんていう映画の創りかたを現代で実践している作家は居ないだろう、ほんとううらやましい。

じゃあ、やってみればいいじゃん。
自分を信頼する映画監督が居たとして、しかも経済的に「それ」が可能だったとしても、小津と野田のようにはいかないだろう・・・なんてことは、やる前から予想は出来る。
単に呑んで単に酔ってを繰り返し、創作なんか出来やしないと。
分相応をわきまえないと。

だからモノを書くときは、当たり前だがアルコールは入れず、主にブラックコーヒーを「がぶ」飲みしている。

ブラックコーヒーと煙草があれば、いいモノが書けると信じている。

では酒の席でアルコールがあれば、面白いことがいえるのかって話である。

メンバーのなかに「初めて一緒に酒を呑むひと」が居るというシチュエーションで、ほぼ毎回いわれるようになったこと。

「コイツ、面白いヤツでね」
とか、
「話が面白そうだから、いちど呑んでみたかった」
とか。

まぁ褒めてもらっているのだろうが、すっげプレッシャー。
顔合わせた途端にハードル上げられた、、、みたいな。

連日のコラムを面白いと感じているかどうかという問題は別にして、毎日毎日これだけ語っているのだから、会って話しても、きっとコイツは面白いにちがいないという安易っちゃあ安易な発想。

自信がないといったら嘘になるが、ハッタリかませば自分は、あくまでも文人で。

だから実際、ガッカリされることもあった。
主に「対」女子であったが、ことばに詰まった際、

「モノカキなんでしょ!」
とか、
「モノカキなのに、、、」
とか。

わー、立ち直れねぇ。

まだ短小とか早漏といわれたほうがいい。
それもどうかしていると突っ込まれそうだが、実際に短小早漏フニャチンだしね。

うるせーよ。


で、先週―。
おんな3人、+男は自分ひとり、、、という特殊な呑み会に誘われた。
20代女子ひとり、40代女子ふたり、39歳の自分。

4人とも酒が強く喫煙者でエロ話(なぜか、下ネタということばは嫌いだ)は大丈夫という、ひじょうに居心地のいい呑み会であったが、なぜ自分が誘われたのかというと、最年少女子が「まっき~さん、面白そうだから」なんていう。

おおっと。
うれしいが、またもやハードル高いぜと。

仕方なく? ありもしない話術を駆使して喋る。

喋って喋って喋りまくる。

こんなんじゃ、ぜんぜん酔わねーよ。

採点? 結果は―というと、

「面白かった」って。

テーブル叩いたり腹抱えていたので、嘘ではないと思う。

ホッとしたが、まあまあしんどい。

誘われなきゃ誘われないで寂しいクセしてね、酒で築く人間関係って、なかなかに難しい。


※「理想の呑みかた」が、もうひとつあった。
日本版リメイクも創られた『サイドウェイ』(2004)の4人の関係。

こういうのも、いいねぇ。

ヒロイン役のヴァージニア・マドセン―歳を取っても、相変わらず素敵だ。
兄貴のマイケル(=『レザボア・ドッグス』のミスター・ブロンド)も大好きだが、ほんとうに血が繋がっているのかと思う。




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シネマしりとり「薀蓄篇」(50)

2013-08-24 00:30:00 | コラム
い「ど」→「ど」りー(ドリー)

どしんと構え、まったく動かさないのも映画。
忙しなく動き続けるのも、映画。

撮影技法の話である。

どこまで続くのかという固定カメラ(=フィックス)もすごいとは思うけれど、
個人的には、キャラクターとともに動き続けるカメラワークが好き。

カメラもキャラクターの一部ですよ―みたいな映画。

技法といっても、難しいことを語ろうってわけじゃない。
たとえば、こういう映像を格好いいと思うっていうね。

※傑作『グッドフェローズ』(90)より、キャラクターたちの動きをワンショットで捉えるシーン。

「いつ切れる? どこで切れる?」と、ワクワクさせてくれるほどカメラワークが流麗で、じつに気持ちいい。
リズムも抜群だし、流れる音楽も最高。
だからこのシーンだけで、80回は観ている。

これマジな話で、このシーンだけDVDが再生不可能になってしまったくらいなのだ。




キャラクターたちを追うカメラはステディカムといって、
カメラマンの身体に「装着も可能」なほど軽量化されたもの。

動きは滑らかで、ブレも生じさせない。
まさに、カメラもキャラクターの一部であるかのような映像が出来上がる。

70年代に開発され、野心的な映画監督が80年代に実験を繰り返した。
現在ではテレビ番組でも多用される技法だが、それ以前の移動撮影は、カメラをドリー(dolly)と呼ばれる台車に乗せておこなうものが一般的だった。
その理由は、前述したように手持ちだと(臨場感は出るが)ブレまくり、さらに、カメラそのものが「ひじょうに」重たかったからである。

映画の撮影風景といって想起し易いのが、クレーン撮影か、このドリー撮影だと思う。

あらゆる機材を駆使している現場は、とても大がかりで、なんとなく夢を与えてくれるものね。

だが、誤解を恐れずにいえば。
出来上がった映像を見て、あれだけ大がかりな撮影だったのに、こんなものか・・・と思ったことはないだろうか。

でっかい台車にカメラを置き、長~~いレールまで用意して撮影した割には地味な映像じゃないかと。

そう、ドリーで撮られた映像は、けっして派手なものではない。
「動くもの」と並行して撮っているだけだから。

ただ、敢えて並行して撮らない例外もあって、
「動くもの」を追い抜いて「先で待っている」ような映像もあれば、
基本は横移動だが、階段を上るキャラクターを追うために「縦移動をするドリー撮影」なんていうのもある。


初見から撮影技法に注目する必要はないけれど、
好きな作品で何度も何度も観返している―というものがあれば、ぜひカメラの動きや編集のタイミングなどにも目を向けてほしい。

そういうことを繰り返していると、最後に流れるスタッフロールが気になってくるはず。

へぇぇ、カメラクルーがこんなにも居るんだ! とか、第二班の撮影監督ってなんだ? とか、機材レンタル会社っていつもここだよな、、、とか、映画への知的好奇心に火がつくのではないかと。


映画って究極的には監督のものだけれど、監督ひとりじゃどうにも出来ないものね。

監督の「芸術的ワガママ」を実現させるために、スタッフロールに刻印されている人数の倍くらいは「なんらかの」形で協力しているといっていい。

これが、文学や音楽とのおおいなるちがいだと思う。


次回のしりとりは・・・
ど「りー」→「りー」とんぷそん。

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シネマしりとり「薀蓄篇」(49)

2013-08-23 01:00:00 | コラム
おーるないとじょうえ「い」→「い」ど(井戸)

井の中の蛙大海を知らず―深い、深いねぇ。

なんか一瞬、自分のことを指しているようで、ちがうわい! これから広い世界を見るんだい!! などと反発したくもなるけれど、ちょっと二の句が継げないことばではある。

井戸はありがたい存在であるはずなのに、その全体像をこの目ではっきりと捉えることが出来ないからか、よいイメージで映画に登場することは「あまり」ない―ような気がする。

暗くて。
ジメッとしていて。

だから底のほうには、なにかが潜んでいるのではないかと。

カエルだったらいいけれど、死体が捨てられていたらどうしよう・・・なんて。


群馬(前橋育英、優勝おめでとー!)の片田舎で少年期を過ごしたが、周囲に井戸はなく、つまり生活と密接に結びついているものではなかった。

39年間生きてきて、実際に井戸を見たのは3~4回か。(ところでラブホテルの多くは、経済的理由から井戸水を使用している。ゆえに、ふつうの水道と飲み水用、ふたつの蛇口がついているところが多いんだよね)


深い、深~~い井戸―地上から底のほうを眺めていると、なんとなく吸い込まれていきそうになる。

なるほど、確かにこれは怖い。
生活に必要な水を蓄えているのに、なんかちょっと不憫だなぁ。

カエルが?

じゃないよ、井戸がね、井戸が。

池井戸潤(=半沢直樹)は大人気だが、単なる井戸はデートスポットになり得ないのだもの。

・・・と思っていたら、「明治神宮御苑」の「清正の井戸」がパワースポットになっていたりして、ちょっと驚いた。

まぁでもそれは、特例中の特例だろう。


さて、映画と井戸である。
やっぱり不憫な扱われかたをされている。

日本映画の井戸といえば、ほとんどのひとが『リング』シリーズ(98~)の貞子ちゃんを挙げるだろう。

しかし正直いって、最初のころは怖かったが、いまではネタのひとつとされている。
それはそれで映画のキャラクターとしては「おおいに、あり」だが、ジェイソンやフレディのような神格化? までの道のりは、そーとー長くて過酷だと思われる。

どれだけ作品が壊れても構わないけれど、貞子の怖さは不変であってほしい。
しかし見せかたに凝り過ぎるあまり、怖さではなく「おかしさ」が生じ、笑ってしまうのだよねぇ。

映画小僧が薦めたいのは、87年の中国作品『古井戸』。

映画監督チャン・イーモウが「撮影監督」を兼任しながら(!)主演した傑作であり、
井戸掘りの最中に生き埋めになった若者の「ある決意」を描く。

ミニシアターブームに沸いた90年代―日本でそこそこのヒットを記録したのが、豪州産の『女と女と井戸の中』(97)。
男の死体を井戸に放り込んだヒロインは・・・という具合で、やっぱり暗い物語。

仏産の傑作『愛と宿命の泉』(86…エマニュエル・ベアールが、イキモノと思えぬほど美しい!!)の井戸も不幸を呼び寄せるし・・・

しかし、暗くて悲惨なばかりじゃない―ということで、最後に日本産のショートムービー『酒の井伝説/孝行息子と不思議な井戸』を紹介。

十数分の作品なので、本編そのものを貼りつけておこう。

というわけで、本稿は短めに締めくくってみる。


こういう作品だってあるのだ、負けるな? 井戸くん!!






あすのしりとりは・・・
い「ど」→「ど」りー。

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くちびるから散弾銃

2013-08-22 03:00:00 | コラム
寝ていて、あっと飛び起きること。

ナイトメア(悪夢)を見たとき。
思いのほか? でっかいイビキをかいたとき。

そして、もうひとつ。

ヨダレを、大量に流したとき。

自分、これがすごい。
寝汗と解釈しようとしたが、ニオイで分かる。
これはヨダレだ、誰が嗅いだってチューネン産のヨダレのニオイなのである。

最初、ビョーキなんじゃないかと思った。

実際ビョーキなのだろうが、いろいろな寝かたを試してみても結局は意識の「外」の問題であるからして、目覚めたら枕が濡れている毎日なのである。

朝勃起(敢えてそういってみる)は格好がつくが、チューネンがヨダレをダラダラ流すのはみっともない。
なんとかしたいものだが、ハニーは「なんか可愛いから、べつにいい」なんていってくれる。

女神に見えたね。
いやいや、赤ちゃんやペットと解釈しているだけだろう。
まぁ、それでもいっこうに構わないのだが。

のだが。

そういう機会は少ないとはいえ、ヒトサマの家に泊まることだってあるわけで。
ホテルや旅館にしたって、濡らしていいということにはならんだろう。

いちおー持参したタオル2枚を巻くことにはしているが、翌朝、濡れたタオルをばれないようにバッグにしまうところなんか、自分でいうが、ちょっと涙ぐましい姿じゃないか。

基本、しまりがない。

顔はヘラヘラ。
大便は、1日平均4~6回。
花粉症の時期は涙と鼻水を垂れ流し、
毎日毎日、ザーメンを放出させていると。

キッタネーな、自分。


さて、きょうのタイトルは交通事故に遭って以降、リハビリの経過情報もほとんど入ってこない漫画家・岡崎京子の代表作のひとつだが、じつにしびれるタイトルだ。

くちびるからヨダレじゃ単にキッタネーだけだが、
散弾銃なんて意外性があって抜群である。

絵のタッチはあまり好みではないが、このひとの紡ぐ物語はエグくて辛辣で真理をつき、唸らせる。
映画化された『ヘルタースケルター』ばかりじゃないよ、本作とか『Pink』とか、なぜ若い女子の支持を集めていたのか、一読しただけで理解出来ると思う・・・と、作家論にすり替えることによって、恥ずかしいビョーキの印象を消そうとする自分。

消えない?

消えないわな笑

まぁいいや。

ともかく。
本音をいえば「映画を追いかけるだけで精一杯」だったりして、
舞台や漫画にまで、なかなか手を出せない。

出せないが、寝て枕を汚すくらいなら、寝るの我慢して沢山の表現物に触れたほうが自分のためなんじゃないかと。

だから、元々が慢性的な不眠症であるが、
この際、さらに寝る時間を減らして漫画にも時間を割いていこうと思う。

岡崎京子で止まっていて、「それ以降」を知らないのだよね。
彼女の名前を出すと、「すごい! そういうのも読んでるの!?」と、若い女子の反応がよかったりするのだもの、
モテるかもしれなし・・・って、結局はそれが動機だったりする。


※こちらは、くちびるではなく「くちばし」。
テレビシリーズ『濱マイク』より、『くちばしにチェリー』。

このシリーズで最も完成度が高かったのは、映画監督・青山真治が演出した回だったと思う。

ちなみにこの(動画の)回の監督は、なんとアレックス・コックスだ。

しかし。
是枝さんの『ゴーイング マイ ホーム』もそうだったが、
こういう野心的なドラマは、得てして低視聴率に終わるものだなんだよねぇ。




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明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(49)』

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