(1)傷ついた
(2)癒される
(3)ひとの気も知らないで
・・・という、みっつの台詞をいわないように生きてきたつもりだが、
ドラマでよく聞く(3)はともかくとして、(1)と(2)は、ガードを固めて? おかないと、割と容易に発してしまうことがある。
いや、べつに他者が発していても、なーーーんも気にならないよ。
ただ自分が発するのはどうかな、、、っていうだけ。
自分には、傷つくほどの人格があるのか。
自分は、癒される必要があるほど疲れているのかっていう。
禁句、現代的なことばでいうとNGワードはそれくらい。
いってはいけないこと・書いてはいけないことほど面白いので、原稿では可能なかぎり「そういうもの」を入れていこうとは思っている。
それがボツになるかどうかは、またべつの話ね。
さて映画通としても知られるライムスターの宇多丸が、ラジオ番組で「NGワードいってしまった、残念な映画監督」をテーマにして語っていた回がある。
批評家や映画ファンの厳しい批評に対し、「映画撮ったことないクセに」(みたいな内容のこと)をいってしまった監督。
品川祐(作中で、登場人物に代弁させる)や、
松本人志―宇多丸もいうとおり、芸人さん経由の監督が、それをいいがち・やりがちなのだった。
やっぱり、う~~~~ん。と思うよね。
とくに松ちゃんには、それはいってほしくなかったというか。
自分は監督至上主義なので、映画は映画監督のもの、、、だとは思う。
思うが、それは公開された時点で、受け手のものにもなるわけだから。
やったことあるヤツだけ、そのよさ・わるさを語っていい―のは、セックスくらいのものじゃないかね。
もちろん単なる悪口は論外よ。
観ていないのに論ずるのもペケ。
ただ多くの手厳しい批評は、深過ぎる映画愛によって生じるものなんだし、少なくともあなたの映画を観るために時間を割いているわけだから、それは、飴であろうが鞭であろうが、きっちり受け止めてほしいとは思うんだ。
誰でも映画を撮ることの出来る時代ではあるが、映画を一般公開させることが出来るひとっていうのは、やっぱり選ばれしもの、、、なんだもの。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(199)』
(2)癒される
(3)ひとの気も知らないで
・・・という、みっつの台詞をいわないように生きてきたつもりだが、
ドラマでよく聞く(3)はともかくとして、(1)と(2)は、ガードを固めて? おかないと、割と容易に発してしまうことがある。
いや、べつに他者が発していても、なーーーんも気にならないよ。
ただ自分が発するのはどうかな、、、っていうだけ。
自分には、傷つくほどの人格があるのか。
自分は、癒される必要があるほど疲れているのかっていう。
禁句、現代的なことばでいうとNGワードはそれくらい。
いってはいけないこと・書いてはいけないことほど面白いので、原稿では可能なかぎり「そういうもの」を入れていこうとは思っている。
それがボツになるかどうかは、またべつの話ね。
さて映画通としても知られるライムスターの宇多丸が、ラジオ番組で「NGワードいってしまった、残念な映画監督」をテーマにして語っていた回がある。
批評家や映画ファンの厳しい批評に対し、「映画撮ったことないクセに」(みたいな内容のこと)をいってしまった監督。
品川祐(作中で、登場人物に代弁させる)や、
松本人志―宇多丸もいうとおり、芸人さん経由の監督が、それをいいがち・やりがちなのだった。
やっぱり、う~~~~ん。と思うよね。
とくに松ちゃんには、それはいってほしくなかったというか。
自分は監督至上主義なので、映画は映画監督のもの、、、だとは思う。
思うが、それは公開された時点で、受け手のものにもなるわけだから。
やったことあるヤツだけ、そのよさ・わるさを語っていい―のは、セックスくらいのものじゃないかね。
もちろん単なる悪口は論外よ。
観ていないのに論ずるのもペケ。
ただ多くの手厳しい批評は、深過ぎる映画愛によって生じるものなんだし、少なくともあなたの映画を観るために時間を割いているわけだから、それは、飴であろうが鞭であろうが、きっちり受け止めてほしいとは思うんだ。
誰でも映画を撮ることの出来る時代ではあるが、映画を一般公開させることが出来るひとっていうのは、やっぱり選ばれしもの、、、なんだもの。
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明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(199)』
観ないでいいと思う映画の方が「観たい」映画より多いーかな
年齢と共に「観ないでもいいや」って映画の方が増えていきます
たとえテレビ放映でも ビデオ(DVD)でも人が観なくなった映画は「死んだ映画」になるのでしょうか
昨日 神戸新聞の夕刊でね 団とくま(とくまの漢字に自信がないので平仮名にしておきます)という昔の俳優さんについての記事がありました
出演された映画のフィルムも余り残っておらず 書かれた文もあまりは残っていないそうです
神戸出身で姫路で暮らしたこともある方で取り上げられたようです
大河内傳次郎氏よりも先に丹下左伝を演じ 白紋付の衣装を着られたとか
役柄によって姿を見事に変える 異質なーいえ得意な存在感の役者だったと
このコラムでは 亡き父から名前だけ聴いていた俳優さんが取り上げられることもあるので 楽しみにしています
もうフィルムの残っていない映画は題名しか知ることができないー
こちらは「消えた映画」ということになるのでしょうか