何年か前「超作」という言葉を知りました。
何を見て書き写したのか忘れましたが気になる文章です。
そしてインターネットで検索したら・・・
「愛と超作」という本を見つけました。
http://www.shukyoshinri.com/aito.html
素晴らしい本だと思います。
僕が書き写した文章を書いておきます。
「超 作」
ある目的をもち、ある結果を求めて、
充分な計画を立てて何かを始める。
その行為をする時、行為になりきることである。
結果のことも、目的も忘れて夢中になって
行為になりきることである。
すると結果や目的に執着している自分から離れて
自由な境地が開けてくる。
している事柄、対象と一つになれる。
そうすると対象や物がその成立や動きを開示してくれる。
その開示してくれた通りに動けばよい。
これを行為的直観あるいは超作という。
その時、心の世界(宗教の世界)、物の世界(科学の世界)
が一つであることを自覚できるだろう。
そこでは身、心、霊、個人性、社会性が融和して
一全体として働いている世界である。
この境地を体得した人がこれからの地球社会の
指導者にふさわしい人であろう。
何を見て書き写したのか忘れましたが気になる文章です。
そしてインターネットで検索したら・・・
「愛と超作」という本を見つけました。
http://www.shukyoshinri.com/aito.html
素晴らしい本だと思います。
僕が書き写した文章を書いておきます。
「超 作」
ある目的をもち、ある結果を求めて、
充分な計画を立てて何かを始める。
その行為をする時、行為になりきることである。
結果のことも、目的も忘れて夢中になって
行為になりきることである。
すると結果や目的に執着している自分から離れて
自由な境地が開けてくる。
している事柄、対象と一つになれる。
そうすると対象や物がその成立や動きを開示してくれる。
その開示してくれた通りに動けばよい。
これを行為的直観あるいは超作という。
その時、心の世界(宗教の世界)、物の世界(科学の世界)
が一つであることを自覚できるだろう。
そこでは身、心、霊、個人性、社会性が融和して
一全体として働いている世界である。
この境地を体得した人がこれからの地球社会の
指導者にふさわしい人であろう。
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