この悔しさを忘れないために。
8月のアイアンマン選手権、9月のパーゴルフ・ダブルス選手権と2試合続けて参加できませんでしたが、
ついに関東予選Dブロック(パーゴルフ・ダブルス選手権)の最終戦に出場しました。
会場は、成田に近い名門、富里ゴルフ倶楽部。
中部銀次郎や、細川元首相、そしてミスターにもゆかりのあるコースです。
ゴルフのダブルスというのは、初めての経験です。
スタートのインコースの競技方式は、「変則オルタネート」。
2人がティーショットを打って、後は交互にストロークしていきます。
(最後の短いパットをついついタップインしたりすると2打罰になるので気をつけないといけません。)
昼食を挟んでの後半アウトコースはベストボール方式。
2人各々でプレーして、良い方のスコアがチームスコアになります。
8月のラウンドで、試しにベストボール方式に換算してカウントしてみたら78で廻れる計算になったらしく、
大体カットラインが82程度なので、予選通過もあり得るか、との期待もあったのですが。。
その後、私は調子が急降下。
9月に永らく体調を崩したせいにしたくもないですが、
前週のホームコースでの調整でも
チーピン癖は改善したもののドライバーの飛距離は落ち、コントロールもままならず、
アイアンやウェッジはトップが止まらず、のていたらく。
この日も、吊るように構えてのランニング・アプローチとパッティング(そう!この二つだけは良かった!)を除いては、まるでだめだめ。
試練の一日となりました。
結果は屈辱の最下位。
殆ど試合に貢献できず、ペアのいしこには迷惑をかけてしまいました。
しかし、交互に打つ「変則オルタネート」は、とてもいい経験でした。
一打の重さを思い知るからです。
自分独りのプレーなら、一回のミスショットを次打で取り戻したりもできますが、
交互だと、都度、相手方にうまくチャンスを繋げていかないといけないので、安定した正確なショットが何より欲しくなります。
ミスショットを打つと、リズムにも乗っていけない。
集中力の無さ、安定性を欠くショット、
自分の非力な部分に対して、凄く自覚的になりました。
たまに出るナイスショットに喜々としているゴルフでは、通用しない世界があることが、身に沁みて分かりました。
上達の仕方が違う部分があるということです。
ゴルフは、安定した相撲のような部分を稽古して作り上げないといけない。
たとえば100Yardまで来たら、トップして奥に打ち込んだりするようなミスは撲滅して、しっかり寄り切らないといけない。
自分には決定的に、この部分が欠落している。
石川遼選手に似たキャディさんに、” 煽り打ちを直せば、チーピンもトップも良くなりますよ” と言われたので、
まずはそこから、直していこうと思います。
(左肩を低く保つのも大事だけど、右肩が落ちないように肩の高さをキープしないといけない。)
最下位からの再出発です。 そこから始めよう。
50にもなれば、居場所を得て、円熟期に入っていけるとも限らない。
何事につけ、事始めや初心は,
いつだって、ついて回る。
私に限った話でもない。誰にでも、不得手な部分は、常に残されている。
それは上達する部分でもある。
ブログの副題を” We can live as we choose "にしているのだが、(ポールの新作、そして栄光の11月がやって来る)
分かりやすく日本語に変えてみることにした。
人生と言うと少し気宇壮大な感じはあるが、「人生を再選択せよ」。
わるくないと思う。
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