ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

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魂はあるか ~ ”最終的にはそこに賭けるか賭けないかだ”

2018年03月19日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

渡部昇一氏はちょうど今から一年前、2017年の4月に亡くなったばかりでした。

このような先達の方が、本にしてまで伝えたかったことには虚心坦懐に耳を傾けてみたいと思う。

(今回の入院にあたって、イギリス関連の本を沢山持ち込みましたが、
渡部氏もオックスフォード大にいらしたこともあって、イギリスへの造詣も深い方だ。)

重そうなタイトルの本ですが、
別に今回の入院をそれ程に悲観しているわけではありません。
ただ、ある意味、誰もができる経験でもないので、そこから何かをつかみたいとは思うのです。

”これから語ろうとすることは、私自身の八十有余年の体験と、その間を通して学んできたことの中から、
私自身が納得して掴み取った心の平安と魂の安らぎについての考え方です。

シニア世代にはシニア世代なりの知恵と経験がある、と言うかもしれませんし、確かにそうでしょう。
しかし、と考えてみてください。
この経験は、実人生の社会における経験や、仕事上においての実績だけなのではないでしょうか。
果たして精神世界での経験を多く積んできたのでしょうか。
私たちは忙しさにかまけて、実人生とは別の精神的なことについて、深く考えてみることを怠ってきたのです。
多感なある時期はともかく、やれ受験だ、就活だ、仕事だ、と忙しいその後の人生を送るうちに、
精神的思索はいつの間にか切れて、ずっと生活上の知恵を積み重ねてきただけだったのです。
そして、シニア世代となってきたことを自覚する頃になって、ハタとそこに気づくのです。”

『私は自分が何処から来たのかを知らないように、私が何処へ行くかを知らない。』
(パスカル /「パンセ」)

”自分が何者かを知っているように思っていても、
実はただこの場にポツンと生きているだけで、その先はどうなるのかを知りません。
いずれ死ぬことは分かっているが、知っているはずの死さえも、
実はまったくどんな世界だか分かっていない。"

誰にでも100%起きる現象であるのに、
人類史上いまだかつて、誰もが納得できるような形で説明されたことがないという不思議。

Eleanor Rigby - PAUL McCARTNEY

”若い頃ならまだまだ時間も残されていますし、是正が利きやすい。
けれども、年齢を重ねれば重ねるだけ、時間と未来がなくなり、
一度投げやりになると、どんどん投げやりになってしまいかねない。”

その通りだと思います。
昔は、年齢と共に人は成熟してゆくものだと思っていましたが、
そんな単純に立派に熟成していくという訳でもないと思う。
辛いことや嫌な経験が勝てば、若い時立派だった人でも偏屈になったりもするし、
調子よく幸運が続けば、傲慢な人間になることだってあると思う。
むしろ、年齢を重ねていくうちに、
若い時分には練れた人だったのがどんどん狭量になっていくこともよくあるらしい。(
I'm so sorry ~ イギリスには憲法がない

いい悪いではなくて、きっと環境に適応せざるを得なかっただけのことだ。

( ↓ ) 入院前日、ホールを重ねた終盤になって、投げやり気味になってしまったゴルフ。

仕上げの段階で腐らせてしまっている。

( はじめてiPhoneのスキャナ・アプリを使ってみた。)

残り7ホールのうち、10叩きのホールが3つで、ハーフ60という凄惨さ。
しかし、10を叩いた3つを除けば、8叩きのホールもあるのに、6つで30、

つまりボギーペースで廻れている。80台を出せてもおかしくない部分もあった。
そんなに球がイっていないわけでもなかったことが分かる。

 



渡部昇一氏は、
数学者や実験物理学者でありながら、思想家・哲学者でもあった
パスカルの
”賭けの精神”を知った時、目からウロコが落ちる程の衝撃を受けたといいます。

「神は、あるいは死後の世界はあるかないか」選ばなければならないのなら、
どちらの方が私たちにとって利益が多いのかを考えてみようというのです。
「神はない」のほうに賭けて、精神的充足感のない人生を送るか、
「神や死後の世界はある」のほうに賭けて、精神的に喜びや満足の得られる生活を送るのか、
どちらに賭けようが生きている間はリスクは全くないし、失敗もないのなら、
どうして後者に賭けないのか、
とパスカルは問うているのだそうです。

17世紀、同時代のデカルト以降、物心二元論(すなわち精神と物体を別物として考える)が中心となりますが、
パスカルは数学者として、リスクの発生する確率論の上に立って
信じるか、信じないかを考えれば、答えは明確だ、
信じるか、信じないかは、最終的にはそこに賭けるか賭けないかだ、ということを言ったのです。

私たちの実人生は、あらゆる時点でどちらかに賭けながら生きている、
まさにタイトロープな人生なのに、特に若い時にはあまりそれに気が付かないという。
よりリスクの少ない方を選んだり、リスクを避けながら生きて、よい退職を迎える人もいれば、
うまく往けばトップにまでなれたかもしれないけれど、リスク・テイクをした結果、恵まれた境遇にいない人、

あるいは、そのどちらでもない、中途半端な人。(たぶん私はこのあたり。)

Tough On a Tightrope

 

 

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