世界変動展望

私の日々思うことを書いたブログです。

研究不正の動機について

2012-04-28 23:19:05 | 社会

以前に研究不正が起きる根本原因について執筆した[1]。この記事はある程度注目され、わずかでも啓発効果が出たと思う。研究不正が起きるのは究極的には業績を上げたいという研究者の欲望に基づくといってよく、2000年以降研究機関の法人化の影響で競争がより激しくなったため不正が多くなったことも述べた。

研究不正には大きく分けて個人が単独でやるケースとトップが主導し組織ぐるみで行うケースがあると思う。単独のケースは研究者個人の業績をあげることを目的に行われるもので、上原亜希子の事例はそれに該当する。組織ぐるみの不正は主に医学系の研究など研究室主宰者の権限が強い分野で起こっているケースが多いと思う。具体的には加藤茂明グループの事件やおそらく獨協医大の服部元教授のグループの事件もそうであろう[2]。動機は教授などの業績を上げるためか組織の業績を上げるためだろう。

いずれにせよ究極的には研究者個人か組織の業績を上げたいという欲望のために不正が起きていると思う。また現実の不正を見ると上原亜希子のように同じ人が繰り返し同様の不正を行っていることが少なくなく、研究者の人格的な問題も根本にあると思う。つまり、業績を上げたいという欲望に負けて不正をするのは研究者個人の人格に原因があり、人格に問題があるから何回も不正をするのだと思う。

読者の中には「不正をすれば研究者生命が絶たれるのに、そんなリスクをおかしてまで不正をする理由はあるの?」と疑問に思う人もいるかもしれない。しかし、実際の捏造や改ざんの手口を見ると動機は常識的に推測できることが結構あり、「業績をよくしたい」という著者の意思がよく伝わってくる。真実は業績を上げるために意図的に行われた捏造等なので、そういう意思が伝わっても何ら不思議はない。無論、被疑者は保身のために「うっかりミスだった。」「説明不足だった。」という趣旨の弁明をするに決まっているが、捏造等の客観面からは利害関係を持たない者が常識的に判断すれば業績を上げるための意図的な捏造等と誰でも判断できるものが多い。なぜなら、例えば野球を一生懸命練習する人を見れば誰でもその人が野球がうまくなりたいと思っていると考えるのと同じくらい、捏造等の客観面から著者の意思が常識的によくわかるからだ。だから、調査側が過失だったという被疑者の嘘の主張を見破れないのは常識的思考力がなくおかしいと思う。おそらくそのケースは保身などの理由のためにわざと過失で処理しているだけだろう。

論より証拠、現実の不適切研究の手口を紹介するとよくわかるだろう。現在、具体的な手口を紹介することを検討している。現実にどのような手口で不正が行われ、研究者がどういう意思で不適切な研究発表を行ったか伝えることは不適切な研究が行われる根本原因の認識に役立ち、改善策の立案や不正を防ぐのに役立つと考えられるからだ。また不適切な研究発表などに読者や国民が害される危険を防止できる。

現在の研究界で具体的にどのような手口で不適切な研究発表が行われ、研究機関がどのような手口で不適切な業績評価を行い不当な評価を得ているか、それらをきちんと世間に伝えたい。そしてそのことについて国民全体で考えてほしく、改善を促す世論形成をしてほしいと思う。また記事の執筆を通して私が考える改善策や防止策を伝えたいと思う。

参考
[1]世界変動展望 著者:"研究不正が起きる根本原因について" 世界変動展望 2012.4.16
[2]獨協医大の捏造事件は表向きは服部元教授の単独責任ということで決着しているが、46件も捏造があり、不正論文の筆頭著者が6名もいて誰も不正の責任をとらなかったことを考えると不自然であり、服部が首謀者で組織ぐるみで捏造を行った事件だと思う。そもそも同大の調査は二重投稿を不正として処断しなかったり、不正があったのに科研費を返還しないと主張するなど不公正極まりないもので全く信用できない[3]。
[3]世界変動展望 著者:"研究機関の不当調査裁定と人事・査定への助言- 獨協医大の不当調査裁定を例として" 世界変動展望 2012.2.5


筑波大学及び群馬大学の研究不正について

2012-04-27 22:55:03 | 社会

加藤茂明の引責辞任によって事実上捏造があったと認識されている。以前にも指摘したが、この捏造事件はおそらく組織ぐるみで群馬大学のA男性教授や筑波大学のB男性教授、C女性講師にも不正の疑いが持たれている。少なくともA,Cは不正を否定しているようだが、端的にいって不正をしたのだろう。Aは先月取り下げられたCellの論文の筆頭著者で、彼は取り下げに同意しなかった。Cも不正論文の筆頭著者で、ともに不正に関わっていなかったと言い分けすることはできまい。おそらく彼らが捏造データを作った張本人たちだからだ。

調査が終了すれば全容は公表されるだろう。調査が適正に行われればの話だが、彼らも不正行為者と認定され懲戒解雇などの処分が下されるに違いない。きちんと全容が解明されるとよい。間違っても獨協医大の事件のように教授だけをトカゲの尻尾切りにして筆頭著者らが逃げ切るような不適正極まりない結論だけは避けてもらいたい。

読者の皆さんに知っていただきたいのは、研究不正は単独で行われることもあるが教授や部下などが組織ぐるみで行うこともあるということだ。なぜ捏造などの不正が起きるのか。その一つの原因にトップや部下の研究者の欲望があることは間違いない。次回はそれについて書きたいと思う。


著名人のブログと比較して思ったこと

2012-04-26 00:39:21 | Weblog

最近ブログに書くネタがあまりない。全くないことはないのだがあまり書く気がしない。あまり読者にとって面白くない記事を書いても申し訳ないかと思うのであえて更新していない。どんな内容でもよければ更新するのは簡単だが、読者にとっては意味はないだろう。

そういえば最近疑問に思うことの一つに本ブログのページランクの高さの理由がある。本ブログは2012年4月25日現在ページランク4で、一般人のブログとしては高ページランクといえるだろう。前も話たが昨年12月8日の近くでページランク4になった[1]。だいたい5ヶ月くらいたったが、現状ではランクを維持している。約4年9ヶ月継続的に運営してきたブログだから運営実績が評価されて高ページランクなのかもしれないが、なぜ高ページランクなのかよくわからないところがある。その一つの理由が他の人気サイトや信用のあるサイトと比較して本ブログのページランクが釣り合わないと感じることである。以下に本ブログと他の人気サイトのページランクを示す。


図1 2012年4月25日時点での本ブログのページランク



図2 2012年4月25日時点での囲碁棋士・万波奈穂のブログ([2])のページランク


図3 2012年4月25日時点での女優・井上真央のブログ([3])のページランク

図1,2,3はそれぞれ私、万波奈穂、井上真央のブログのページランクでそれぞれ4,3,4という評価。著者を簡単に紹介すると私は一般人でご存知の通り匿名、故に一般には信用がない。万波奈穂はこのブログの読者には説明無用かもしれないが人気の囲碁棋士。先月までNHK杯戦の司会を3年間務めていて無論私に比べれば知名度は非常に高いし、囲碁ファンの間でも人気が高い。井上真央は本ブログの読者でなくても説明無用だろう。若手のトップ女優で非常に人気の高い人。昨年の朝ドラ「おひさま」のヒロインやドラマ「花より男子」の主演など人気出演作は数え切れない。

無論アクセス数の比較をすると「井上真央のブログ>>万波奈穂のブログ>>私のブログ」だろう。著名人は非常に人気が高いわけだし、アクセス数が一般人のブログより非常に高いのは当たり前で比較するだけ無意味かもしれない。信用度の点でも比較にならないだろう。井上真央や万波奈穂は実名でブログを運営しているし、読者にとって2人はテレビ等でよく見る存在のため私に比べれば信用度は非常に高いに違いない。

そう考えるとページランクは「井上真央のブログ、万波奈穂のブログ>>私のブログ」という関係になるのが当然に思える。しかし、驚いたことに私のブログは超人気で信用も非常に高いはずの井上真央のブログとページランク的には同じで、井上真央ほどではないにしろ超人気サイトであろう万波奈穂のブログよりもページランク的には上である。これはいったいどういうわけか?

ページランクは基本的に他のサイトからのリンク数で決まっているらしい。つまり、リンク数が多いほど信用が高いサイトと評価される。特にページランクの高いサイトからのリンク数が多いほど評価が高い。そう考えると井上真央のブログはどうだかわからないが、少なくとも私のブログは万波奈穂のブログよりリンクの観点での評価が上なのだろう。しかし、どう考えても著名人の万波奈穂と私ではリンクの観点でも勝負にならないと思う。万波奈穂の方が非常に高くなるに決まっている。なのになぜ私のブログの方がページランクが上なのだろう?それに著名人の公式ブログと匿名一般人のブログでは信用度が全然違うわけだし前者の方が非常に高いページランクになって当たり前のはずだ。どうもリンク数や信用の観点で評価されているというのは納得できない。

また上でもいったように人気やアクセス数の観点でも井上真央、万波奈穂のブログと私のブログで比較にならないくらい前者の方が優れているのだから、人気やアクセス数の観点で評価されているわけではないと思う。

そう考えると中身の上での評価なのか。私のブログが井上真央や万波奈穂のブログより優れているところがあるとすれば中身以外ない。つまりブログの内容が井上真央や万波奈穂のブログより社会にとって有益で優れているからこそ評価が高いのかもしれない。井上真央や万波奈穂のブログは彼女たちの日常や仕事での様子や出来事を伝えることがメインで、数学や物理学、法律などの知識を伝えて世の中の人の役に立ったり、社会問題について問題提起し議論をするようなブログではない。

井上真央や万波奈穂には失礼だが、彼女たちのブログの内容は読者に対して有益な情報を伝えているわけではない。彼女たちの日常生活や仕事の様子がどうだろうと一般の読者には何の利益にもならないのだ。彼女たちのブログが非常に人気なのは単に彼女たちが著名人で読者が集まっているというだけで、ブログの内容の質が高いからではない。

そう考えないと私と彼女たちのページランクの関係が説明できない気がする。とすると私のブログは社会にとって有益な情報を伝えているということになるが、本当にそうならとても嬉しい。

これからもがんばって記事の執筆を続けていきたい。

参考
[1]世界変動展望 著者:"ページランク4に昇格!" 世界変動展望 2011.12.8
[2]万波奈穂のブログ
[3]井上真央のブログ


ハンデ戦の引き分けがそんなにすごいのか?誤解を招くぞ朝日新聞! - 羽生、チェス世界トップ級と引き分け

2012-04-24 01:35:53 | 囲碁・将棋

「羽生二冠、チェスで引き分け 世界トップ級と対戦」

朝日新聞のネットニュースにはこの見出ししか一覧ページに載っていない。おそらく新聞でもここだけが強調されて載るのだろう。これだけ見るとハンデ無しで対戦して引き分けたと思うかもしれない。それなら確かにすごい。しかし実際は・・・。記事を詳しく見ると、

『羽生二冠、チェスで引き分け 世界トップ級と対戦

将棋の羽生善治王位・棋聖(41)が21日、チェスの世界トップクラスの英国人、ナイジェル・ショートさん(46)とチェスで対局し、引き分けた。羽生さんは昨年10月にも仏王者と引き分けており、それに続く快挙だ。

 チェスの知名度向上のために、東京都内で開かれたイベント。世界王者への挑戦経験もあるショートさんが、チェスの全日本チャンピオンの小島慎也さん(23)、羽生さんの2人と同時に戦い、約50人のファンらが観戦した。

 羽生さんの対局は互いのキングが捕まらない状況になり、引き分けが成立した。小島さんは敗れた。

[1]』

2人同時に戦うハンデ戦であり、ハンデ無しで引き分けたわけではない。ハンデ付の引き分けがそんなに快挙なのか?チェスの全日本チャンピオンはそれでも負けたので羽生はそれなりに強いということだろうが、2人同時に戦うハンデ戦で引き分けたからといってそんなに快挙だとは思わない。例えば永世名人を獲得するとかタイトルを80期獲得するというのはすごいことで快挙だと思うが、今回の引き分けはそんなに大したことではないと思う。名人が角を落としてアマのトップと戦ってアマが勝ったのと似たようなことではないか。

全日本チャンピオンはハンデ戦ですら負けたのだから、日本人のチェス選手は強い人が誰もいないのだろう。羽生のチェスの実力は確か世界基準の得点で表されていて、それによると確か将棋で言うところのアマ5,6段レベルらしい。それより強い人は結構いると将棋世界に書いてあったと記憶している。グランドマスターにはさすがに程遠いだろう。

それにしても朝日新聞の見出し「羽生二冠、チェスで引き分け 世界トップ級と対戦」は誤解を招く表現だ。これだったらハンデ無しで引き分けたと誤解してしまう。正確に情報を伝えるべき新聞にしては感心しない記述だ。これではまるで誇大広告で売り上げを伸ばそうとする質の悪い企業と同じではないか。「羽生二冠、チェスで引き分け 世界トップ級とハンデ対戦」とかもっと正確な記載をすべきである。

参考
[1]asahi.com 2012.4.21


大分大学元講師の医師、論文で画像捏造、博士号取り消しも検討中!

2012-04-23 00:01:11 | 社会

『大分大は19日、医学部に在籍していた40歳代の元講師の男性医師が12年前に発表した論文で、写真の不正使用があったと発表した。

 元講師はこの論文を基に医学博士号を授与されており、同大は学位の取り消しを検討する。

 同大によると、元講師は、薬の影響を調べる実験で、投薬したラットの腎臓の写真に、投薬していないラットの写真を向きを変えて使っていた。

 論文の研究結果には問題はなく、元講師は「編集する際に不注意で使った」として、故意ではないと主張している。しかし、同大は、元講師側が疑惑を反証できないとして、文部科学省の指針に沿って、「画像の捏造」と判断した。

 論文を捏造したなどとして、懲戒処分された名古屋市立大学院医学研究科の前教授らとの共著で、元講師が筆頭著者だった。

 市立大から依頼を受け、大分大が調査を進めるなかで、元講師の不正が発覚した。[1]』

これは最近報じられた名古屋市立大学の岡嶋研二・原田直明の論文捏造事件関連の事件[3]。告発者が大分大学でも不正事件が発覚する見通しということをツイッターで述べていたので、おそらくこの事件のことだろう。博士号撤回は痛い。おそらく撤回されるだろう。

注目すべきなのは被疑者が不注意によるミスを主張しても調査側が疑惑を反証できないとして捏造を認定しているところ。きちんと規定を守れば当然の判断といえる[2]。被疑者は保身のために嘘をつく可能性が極めて高いので、何の客観的な証拠もなく過失を認定するのは不当な判断にしかならない。大分大の認定は規定に適ったものであり正当である。そもそもうっかりデータを使いまわしたとか向きを変えて載せたといったことは故意にやらない限りまず起きない。だから使い回しが発覚し、被疑者の過失の根拠が被疑者の弁明しかなかったなら、それだけでも故意を認定しておかしくない。

東北大学とか他の大学や国立研究所や学会は規定をきちんと遵守して、保身や大事への発展を避けるために被疑者の弁明をわざと信じて過失で処理するのは絶対にやめなければならない。

報道によれば大分大学前医学部長も不正に関与している疑いがあるという[4]。名古屋市立大事件の告発者によれば前医学部長は重複発表の不正の疑いもたくさんあるらしく、ネットでは少し注目されている。

詳しくは告発者のツイッターなどを見るとわかるだろう。関心のある人はそちらを参照してほしい。

参考
[1]Yomiuri Online 2012.4.20
[2]「1調査委員会の調査において、被告発者が告発に係る疑惑を晴らそうとする場合には、自己の責任において、当該研究が科学的に適正な方法と手続に則って行われたこと、論文等もそれに基づいて適切な表現で書かれたものであることを、科学的根拠を示して説明しなければならない。」「 1の被告発者の説明において、被告発者が生データや実験・観察ノート、実験試料・試薬等の不存在など、本来存在するべき基本的な要素の不足により証拠を示せない場合は不正行為とみなされる。」「被告発者が自己の説明によって、不正行為であるとの疑いを覆すことができないときは、不正行為と認定される。」「本ガイドラインの対象とする不正行為は、発表された研究成果の中に示されたデータや調査結果等の捏造と改ざん、及び盗用である。ただし、故意によるものではないことが根拠をもって明らかにされたものは不正行為には当たらない。」

上は文部科学省の不正行為対応のガイドラインの規定。被疑者が科学的な根拠により過失などの立証ができず不正の疑いを覆せない場合は不正行為が認定されるルールである。一番の理由は論文等の正当性は著者に説明責任があるという考えに基づくのだと思う。それだけが理由ではなく、保身のための嘘の可能性が高い被疑者の弁明だけを信じて判定するのは科学的根拠に基づくとはとても言えないし、不当な結果を招くのが目に見えているから認められないという理由もあるのだろう。しかし、ほとんどの研究機関では全く守られていない。

[3]世界変動展望 著者:"名古屋市立大学、教授らの論文データ改ざん等を断定"  世界変動展望  2012.3.19
[4]asahi.com 2012.4.20


民主党がだめだから自民党に投票・支持という消極的な選択はやめるべきだ!

2012-04-23 00:01:00 | 政治・行政

今の世論を見ていると民主党がだめだから自民党に投票する、支持するという意見を見る。そういう消極的な選択ではだめだと思う。2009年になぜ自民党から民主党に政権が移ったか思い出すべきだ。官僚政治とか弱者切捨てとかそういう自民党政治の悪さを変えたいと思ったからではないか。ここでまた民主党がだめだから自民党政権に戻すといったような消極的な選択で政権交代したらまた元の悪い政治になってしまう。

もっとよく考えて投票し、既存政党がだめならよい政党を自分達で積極的に作ってでも国民が求める政治を実現できるようでないとだめだ。


動画転載と著作権法の改正

2012-04-22 00:17:30 | 社会

記事をわかりやすく伝えるため又は読者の要望に応えるため又はより楽しいブログにするため動画サイトの動画を転載したい。しかし著作権の関係で遠慮している。Youtubeやニコニコ動画の動画を張り付ける機能はあるのだが役に立っていない。gooブログの説明では「著作権には気をつけてください。」という注意書きがあるが、著作権がない動画なんてないわけでこれに気をつけたら動画張りつけ機能はほとんど使えない。

法律を遵守すれば「著作権には気をつけてください。=動画張り付け機能は使わないでください。」ということだろう[1]。gooがいってるのは「張り付け機能はあるけど使わないでくれ。」といってるのと同じで背理なことをいうなと思ってしまう。

しかし、現実には法律を遵守していたら動画を転載できないので無視してみんな使っているし、金儲けに使うとかよほど商業的に使わない限り個人的な利用に留まる場合は著作者側も黙認しているのでほとんど問題にならない。現に「無断転載でしょ!」なんて苦情がきて削除したなんてサイトはあまりないだろう。動画の無断転載は軽微な違法故に黙認されているといえるかもしれない。

だから事実上は遠慮なく使ったもの勝ちである。本ブログは動画紹介を行うか検討しているものの、今のところは遠慮している。思うに情報化社会の現在で動画情報も重要な地位を占めているのだから、動画の転載を一定の範囲で法的にも認めることが必要だと思う。先にもいったように現状だと動画の張り付け機能は著作権侵害が不可避のため法的にはほとんど使えない機能であり動画紹介による情報伝達に障害がある。また実際上動画サイトの動画を転載しても問題視されないケースも多いので一定の範囲で転載を認めてもよいと思う。

そのように著作権法を改正する必要がある。

参考
[1]著作権法によれば引用なら無断でもできるが、動画張り付けの場合は引用ではなく転載だし、張り付けは法的に無理だと思う。


ゴールデンカードを見たい!

2012-04-21 02:09:33 | 囲碁・将棋

思えばここ10年ほど将棋ではゴールデンカードとよばれる対局を見ない。大山-升田、中原-米長、羽生-谷川といった対局はゴールデンカードとよばれ非常に高レベルの対局でファンを魅了してきた。「今だって羽生-谷川戦はあるじゃないか!」というかもしれないが、私が言っているのは1995,6年頃の羽生-谷川戦のこと。現在は羽生も谷川も年をとったためかつてほどの実力ではなくなったのでこのような対戦は見れない。

今の若い世代はわからないかもしれないが、当時の羽生-谷川戦といったらものすごく高レベルで解説を担当する棋士ですら「我々のレベルではわからない」というほど。神の領域の対決という棋士や将棋ファンもいた。あの頃は空前の注目度だったかもしれない。

ゴールデンカードというのはこういう天才棋士同士の非常に高度な対局を私は指している。現在羽生-渡辺戦が実力No1,2による最高カードという人は多いだろうが、かつての羽生-谷川戦のような超高レベルの対局は見れない。

こういう対局をまた見たいものだ。


群馬大学の研究不正疑惑について

2012-04-20 00:05:00 | 社会

群馬大学の研究者に研究不正疑惑が持たれている[1]。放送大学を批判して炎上した矢吹樹の正体がこの研究者だという指摘もなされている[1]。ネットの告発ページによると誰かすぐわかってしまう[1]。この件も告発されたようだ[1]。告発者のツイッターの発言によれば最近また論文捏造ネタがかなりたまったらしいが時間がなくて紹介できないらしい。よくそれだけネタを発見できるものだ。

[1]を見ると加藤茂明のケースほど大規模ではないが、データの使い回しなどは複数件あり、常識的には故意に捏造や改ざんをしたと十分認定されるだろう。無論、被疑者は「うっかりミスだった」という趣旨の弁明をすると思うが、このケースは常識的には全く通じない。もともと捏造まがいのデータの使い回しなどのミスはたとえ1回でもめったに起きず、故意にやらないとまず発生しない。そういう捏造まがいの行為が2度、3度と見れたら、常識的には故意に捏造をやったと判断するのが合理的である。

例えば万引き犯が「出来心でつい盗んでしまいました。」と言い分けしても2度、3度やってたら絶対に通じないないだろう。「なんで出来心で何回も万引きするんだよ?出来心じゃなく悪意があってやってるよね。」と誰でも考える。客観的な態様から常識的に推知すればこのような判断が合理的だろう。

[1]のケースも3,4度と捏造まがいのことをやっている。そういう客観的態様から判断すると、捏造や改ざんがなかったと考えるのは健全な社会常識に照らして不合理といわざるを得ない。簡単に言えば[1]はまず間違いなく故意の捏造だということだ。

とはいうものの、これはあくまで利害関係のない第三者が常識的に判断した場合の話で、被疑者の所属機関が裁定をしたら別な判断になることは考えられえる。それだけ現状の調査裁定は保身や利害関係のため歪んだ判断になることが珍しくなく、常識的にはただの創作としか考えられないような被疑者の弁明を信じて過失で済ますことも多い。もともと被疑者の弁明だけでは足りず、科学的な証拠に基づかないと過失を認定できず不正を認めるルールのはず([2])だがルールが守られていない。被疑者の弁明は保身のため嘘の可能性が極めて高いから、他の証拠に基づかず被疑者の弁明だけを根拠に過失を認定したら不当な結果にしかならないのは目に見えている。それは研究機関もわかっているはずだが、あえてそうしているのだから組織ぐるみで不正を隠蔽している印象を受ける。

研究機関側としては大事にしたくないとか研究費を返したくないとか保身のためにルールを無視し不当な調査裁定をしているのだろう。本当に第三者機関に調査裁定をやらせないと公正さが保てませんよ。

参考
[1]告発者のページ 2012.4.16
[2]「1調査委員会の調査において、被告発者が告発に係る疑惑を晴らそうとする場合には、自己の責任において、当該研究が科学的に適正な方法と手続に則って行われたこと、論文等もそれに基づいて適切な表現で書かれたものであることを、科学的根拠を示して説明しなければならない。」「 1の被告発者の説明において、被告発者が生データや実験・観察ノート、実験試料・試薬等の不存在など、本来存在するべき基本的な要素の不足により証拠を示せない場合は不正行為とみなされる。」「被告発者が自己の説明によって、不正行為であるとの疑いを覆すことができないときは、不正行為と認定される。」「本ガイドラインの対象とする不正行為は、発表された研究成果の中に示されたデータや調査結果等の捏造と改ざん、及び盗用である。ただし、故意によるものではないことが根拠をもって明らかにされたものは不正行為には当たらない。」

上は文部科学省の不正行為対応のガイドラインの規定。被疑者が科学的な根拠により過失などの立証ができず不正の疑いを覆せない場合は不正行為が認定されるルールである。保身のための嘘の可能性が高い被疑者の弁明だけを信じて判定するのは科学的根拠に基づくとはとても言えないし、不当結果を招くのが目に見えているから認められないルールなのだろうが、研究機関では全く守られていない。
[3]世界変動展望 著者:"研究不正が起きる根本原因について" 世界変動展望 2012.4.16


金沢大学多久和陽研究室の研究不正について

2012-04-19 00:30:07 | 社会

3月1日に金沢大学グループの研究論文が撤回された[1]。ネットで公示されているので実名を出すが端的にいって多久和陽教授のグループ。図の変更に関しては筆頭著者であるFei Wang氏の単独責任のようだ。

撤回理由は『All authors agree to retract the above article due to multiple use of the same images or manipulation of data in Figures 1A, 2D, 5C, 6B, 6C, and 8A and Supplemental Figure 8E. They are also not able to provide some of the raw data that are used in Figures 2A, 2B, 5, 6, 7C, 8, and 9C, Supplemental Tables 1–4, and Supplemental Figures 2C, 3, 4, 5, 7C, 8A–8C, 8E, 8F, 10A, and 10B. The first author, Fei Wang, has admitted his sole responsibility in altering figures. The authors apologize and deeply regret the impact of this action. However, the authors stand behind data showing that genetic deletion of S1pr2 or pharmacological S1PR2 inhibition alleviates atherosclerosis in Apoe–/– mice fed a high-cholesterol diet.[1]』

簡単にいうと、画像を複数使いまわし、かつデータの操作をしたので撤回になった。しかも著者はいくつか生データを提供できなかったようだ。無論、画像操作というのは改ざんだし、このケースの使い回しは捏造。生データがなかったというのは実験を実施していない証拠である。”manipulation of data(データの操作)”、"are also not able to provide some of the raw data(生データを提供できない)"という言及がバッサリという感じで痛々しい。この公示は捏造や改ざんがあったため撤回したとジャーナルが公的に認めたということだろう。

私があまり論文撤回事由を見ないからかもしれないが、こういう明確な捏造や改ざんの言及をジャーナル側が行うのは珍しいと思う。図の使い回しで撤回になる場合は単に「掲載論文中のいくつかの図は過去に発表された論文で掲載されたものだったので撤回する」という趣旨の文章だけが掲載されることが多いと思うが、ジャーナル側も独自にここまで認定することもあるのだろうか。

ジャーナルがここまで認定するケースは被疑者の所属研究機関などで不正の調査が行われ正式に認定されて論文撤回を求められたケースでは見たことがある。最近捏造で懲戒解雇になった東京医科歯科大学の川上明夫元助教の論文撤回事例などは撤回理由中に「生データを提供できない」という趣旨の文章があったと思う。調査委員会ができて不正が認定されるとジャーナルでも明確な不正の認定がなされる。

そう考えると多久和らのグループも誰かに告発され金沢大学などで調査が行われ、不正が認定されたのかもしれない。もしジャーナル側がきちんと調査して独自に認定したのならよいことだと思う。そういうジャーナルが増えてほしい。

いずれにせよ、不正は後を絶たない。なんとかならないものか[2]。

それにこの事件は金沢大から誰かが責任をとったという公示がない。筆頭著者は当然だが、責任著者([3])である多久和陽と岡本安雄(金沢大医学系准教授)は責任をとるべきじゃないの?捏造して懲戒解雇になったのに山崎雅英の氏名や研究内容を公表しなかったことといい、金沢大って・・・[4]。露骨にいえば、自浄作用がなさそうに感じる。こういうのは金沢大だけの問題ではなく他の研究機関でも珍しくない問題で、何とかしなければならないことだ。

参考
[1]JCIの論文撤回の公示 2012.3.1
[2]世界変動展望 著者:"研究不正が起きる根本原因について" 世界変動展望 2012.4.16
[3]撤回されたJCIの論文の著者 2010.10.18
[4]文科省の不正行為のガイドラインやそれをもとに作られた各研究機関の内規では不正行為があった場合きちんと氏名を公表するのがルール。氏名非公表はルール違反。


名人になれる人、なれない人

2012-04-18 00:59:57 | 囲碁・将棋

今年は名人が誕生してから400年。名人は将棋界の頂点であり抜群に長い歴史と権威を持つ。読売新聞は怒るだろうが、竜王が名人と同格の最高位とか竜王戦が名人戦を超える最高棋戦だというのは名目上のことで、実質的な最高位は竜王ではなく名人であり、多くの棋士が真の最高位は名人と思っているだろう。

そんな名人の歴史で実力制になってから名人になった人は木村義雄、塚田正夫、大山康晴、升田幸三、中原誠、加藤一二三、谷川浩司、米長邦雄、羽生善治、佐藤康光、丸山忠久、森内俊之の12人しかいない。第1期名人戦が1935~1937年だから約77年間にたったの12人しか名人になっていない。人気漫画月下の棋士の巻末で河口氏がいうように、この異常な人数の少なさが名人という地位の特殊性を表しており、よほどのことでは名人になれないことの証だと思う。

人気漫画の月下の棋士では名人は神から選ばれた者がなり、自分の力ではなく神の力で名人になるという神がかり的な話が描かれているが、常識的には全く非科学的で根拠のない話ではあるものの、現実の将棋の世界でも漫画ほど極端で荒唐無稽ではないにしろ、本当に神様から選ばれた人しかなれないといった神がかり的なことを信じている人がいるのではないかと思う。

私もそれなりに長く名人戦を見てきたが、本当に奇跡ではないかと思うことで勝負が決して名人になったりなれなかったりした人を見たので、神様に決められているような運命的なものを感じる。常識的にはただの錯覚で、そんな荒唐無稽なことはないが、名人戦を戦っている棋士に大変な重圧がかかり、それが影響して奇跡的な偶然を起こしているのは間違いないだろう。この重圧は実際に戦った人でないとわからないに違いない。

近年の具体的な例は第67期名人戦第3局羽生-郷田戦だ。最終盤で、郷田がはっきりとした勝勢で勝利目前だったにも関わらず自玉に詰みがあると勘違いし誤った手を指して大逆転負けをしたのがこのシリーズを通しての致命的敗戦だった[1]。もし第3局を郷田が勝っていたら、4勝2敗で名人位を奪取していた[1]。この時の感想戦で郷田は「自玉に詰みあると誤解した」と語っている。郷田はおそらく名人の重圧に負けたのだろう。奇跡的な偶然で羽生が名人防衛、郷田は名人になれなかった。郷田には失礼だが、オカルト的な言い方をすれば残念ながら郷田は神様から名人に選ばれなかった人なのだろう。

もう一つの例は第66期名人戦第3局森内-羽生戦だ。この対局は将棋ファンにはそこそこ有名だろう。「50年に一度の大逆転」といわれた大スカがあった対局である[2]。この対局は終盤まで森内が優勢で勝つと予測されていた。しかし次第に怪しい雰囲気になり始め、141手目に事件は起きた。141手目森内の▲9八銀が50年に1度と言われる歴史的な大スカで、羽生はすかさず142手目 △8六桂と指し、あき王手で森内の銀をタダ取りした。この時点で将棋はすでに終わっていた。この勝利で羽生は優位に立ち名人を奪取、永世名人になった。この対局に森内が勝っていたら羽生が永世名人になっていたかわからない。オカルト的な言い方をすれば、羽生が永世名人になるように神様が奇跡を起こしたのかもしれない。つまり羽生は神様から永世名人に選ばれた人なのだろう。タイトル戦出場は当たり前の羽生が永世名人獲得を決めた第6局で勝ちを確信し、永世名人を意識するあまり指す時に森内側の駒を飛ばしてしまったというかなり珍しいことが見れたのも、名人の権威からくる重圧ゆえであろう。

一般の読者の中には「こんな奇跡的な偶然が起きるなんて八百長じゃないの?」と邪推する人がいるかもしれない。確かに勝つのが当たり前なのに不自然な指し手や投了で相手が勝ち、名人防衛や永世名人になったのだから、不自然さや利害の観点で八百長を疑うことはあり得るかもしれない。しかし、これらの対局に関しては八百長ではないと断言できる。疑う人は当時の放送を見るとよい。当事者の森内や郷田は明らかに「しまった!」という感じで、とても八百長をした人の表情ではなかった。森内が50年に一度の大スカ▲9八銀を指した後羽生が△8六桂と、あき王手で銀をタダ取りする手を指したときの森内の表情は完全に「しまった!」という感じで誰でもあき王手で銀をタダ取りされる手を見落としていたとわかるものだった。この時の森内の内心は体の芯が凍りつくほどの大きなショックを感じていただろう。本人はそれほど表情に出さないもののしばらくショックで眠れない日が続いたと思う。

思えば、この大スカは極めて珍しく結果的に勝敗を決する一手だっただけに、NHKでは何度もこのシーンを放送し、報道陣も容赦なく森内にこの手の感想を質問していただろう。本人は相当ショックだったろうに、記者の容赦ない質問攻め、大スカのテレビ放送など森内にとっては拷問ではないかと思うほど容赦ない世間の取り扱いに、対局者の辛さが感じられ可哀想だと同情した。要するに、対局者の心中を考えれば八百長があったとはとても考えられない。

それにしても名人という地位はなれる人となれない人がはっきりしていて、なった人はどの人も名人を獲得するだろうと思わせる人ばかりだ。例えばもっとも実績の低い丸山にしろ第56期(1997年度)順位戦で史上初のB級1組12戦全勝でA級昇級を決めた頃から強豪と目されるようになった。月下の棋士の巻末紹介では「今最も強いのは丸山忠久」と紹介されたこともあり、当時はとても勢いがあり名人獲得を予感させたし、現に名人になった。確かに他の名人経験者に比べれば天才ではないと思うが、名人になることを予想させるだけの何かはあった。

唯一私が知る中で名人になってもおかしくないのになれなかった人は二上達也九段だけだ。二上達也というと若い将棋ファンは知らない人も多いかもしれないが、昭和の時代ではかなりの強豪だ。元日本将棋連盟会長でもある。羽生の師匠といった方が今の将棋ファンにはなじみがあるかもしれない。二上は奨励会に入門してすぐ18歳で四段になり、加藤(一)ほどではないがかなりのスピード昇級でデビューから3期連続昇級、6年でA級八段になった。奨励会入門が二段からだったのでかなり高い地位からのスタートだったせいか八段昇段までわずか6年たらずで、これは現在も最速記録だ。こういう天才ぶりを見れば誰でも二上は名人になるのではないかと思うだろう。現にそう思っていた人はたくさんいた。しかし、当時は大山康晴の全盛時代で二上は大山の牙城を崩せなかった。名人挑戦は3度、すべて大山に退けられた。現代の人たちは羽生が強いというけれど、全盛時代の突出ぶりは大山に軍配が上がる。羽生の7冠(全冠)独占はわずか167日だったが、大山の5冠(当時の全冠)独占は3年は続いたし、1959年~1966年はほとんど無敵で他の棋士にほとんどタイトルを与えなかった。

河口氏は升田や米長を見ると神様から選ばれた人は苦労しても必ず名人になれるといっているが、二上を見ると必ずしもそうではないと思わされる。二上のタイトル獲得は棋聖4期、王将1期の計5期で立派な成績だ。棋聖をあと1期獲得すれば永世棋聖だった、残念である。これほどの天才棋士ですら名人になれなかった者もいる。

名人の歴史を見ると、概ねその地位の特殊性のため挑戦者に重圧がかかるのでなかなか名人になれず、大山や中原、羽生や森内といった選ばれた棋士が長く続けるという印象がある。その歴史上には上で述べたような郷田らのように悲劇的な不運で惜しくも名人になれなかった人たちのドラマが少なからず存在し、将棋ファンに名人戦の面白さや感動を与える大きな要素となっている。

今後も大きな感動がもたらされるとよい。

参考
[1]世界変動展望 著者:"羽生、名人位防衛!-第67期名人戦第7局" 世界変動展望 2009.6.24
[2]世界変動展望 著者:"羽生、50年に一度の大逆転勝利!-第66期名人戦第3局" 世界変動展望 2008.5.9


第70期名人戦開幕!

2012-04-17 00:19:36 | 囲碁・将棋

10日から第70期名人戦が開幕した。今年は名人誕生400年の節目の年。徳川家康が初代名人に扶持(ふち)を与えてから400年に当たるのが今年で、開始に先立って徳川恒孝十八代徳川宗家が振り駒を行い、第1局は森内が先手番になった[1]。いろいろ催しが行われているが、相変わらず名人戦の無料棋譜速報や中継ブログはない[2]。なんとかしてくださいよ、米長さん、毎日・朝日新聞社さん!

それはさておき、今期の名人戦の結果だが正直なところ私は羽生が勝つと予想している。その理由は今期の羽生は順位戦で抜群の安定感で勢いがあるからだ。名人戦は持ち時間が最も長い棋戦で勢いだけでは勝てないといわれるが、勢いがあった方が有利なのは間違いない。今期の羽生はA級順位戦で9戦全勝、抜群の安定感と勢いがあり、先月のA級最終局の放送でも森内が「最高の相手が最高の状態で挑戦してくる」と勢いを認めるコメントを述べた。私もそこそこ長い間名人戦を見てきたが、勢いがある人は名人を獲得していることが多いと感じている。2004年に今期の羽生と同じく9戦全勝で森内が挑戦者になったときも名人になるだろうと予想したが、その通り名人になった。その後も4連覇し一気に永世名人になった。

思えばこの10年は森内と羽生の2人で名人を務めている。森内・羽生時代ともいうか、2人の永世名人の時代が続いている。それだけ名人という地位は選ばれた者しかなれないし、選ばれた者が長く続ける傾向が強いのだろう。名人獲得にまつわる話は次回する予定。

渡辺は怒るかもしれないが、総合力が問われる名人戦においてはこの二人の対局が現在最も好カードといえるだろう。よい対局を楽しみにしている。将棋ファンには説明無用かもしれないが、この2人は子供の頃からライバル同士で対戦成績も互角といっていいだろう。羽生を相手に互角以上の対戦成績を持つのは羽生キラーと多くの人に認められた渡辺の他には森内、深浦ぐらいしかいない。これも将棋ファンでは知っている人が多いだろうが、この2人の対局は先手の勝率が高く、後手番の時にいかに勝つかが勝敗を分けることが多い。ちょうどテニスのゲームと同じでサーブをする側が有利で、相手がサーブの時にいかにブレイクするかが重要なのと似ている。玲瓏のデータ([3])によると10日時点で2人の対戦成績は、

通算
110局62勝48敗、勝率 0.5636
先手のとき
36勝13敗、勝率 0.7347
後手のとき
26勝35敗、勝率 0.4262

(対戦成績は羽生からみたときの表示。例えば通算では羽生が62勝48敗という意味)

本当に先手の勝率が高い。一般には将棋は先手の勝率が高く先手有利といわれるが、将棋の進化によって数年前はプロ全体の1年度通算勝率において後手が先手を上回ったことが報じられたが、この2人の対局に関しては相性の影響がかなり大きく先手が絶対有利である。タイトル戦では第1局がはじまらないと最終局直前までの先手・後手が分からない。たぶん少なくない棋士が思っているだろうが、当然作戦があるだろうから、予め決めておいて欲しいという思う人がいるだろう。この2人の場合も当然作戦があるだろう。現行制度では仕方ないので要は先後不明でも相手に勝てるだけの作戦をたてるとか実力を備えないといけない。

彼らはどういう作戦を立てているのか。今期も名局を期待したい。

参考
[1]毎日jp 2012.4.10
[2]世界変動展望 著者:"名人戦の無料棋譜速報、中継ブログについて" 世界変動展望 2009.4.12
[3]玲瓏のデータ 2012.4.10


研究不正が起きる根本原因について

2012-04-16 00:33:17 | 社会

最近加藤茂明元東大分生研教授の捏造等のニュースで生物系の研究者を中心に多くの関心を集めている。加藤が彼の専門分野で第一人者だったこと、加藤のグループが大規模なプロジェクトに参加する等重要な役割を担っていたこと、巨額の研究費が不正行為に使われたこと、加藤だけでなく筑波大学や群馬大学など他にも共同研究者に被疑者がいること、つまり組織ぐるみの不正の疑いがあることなどが大きな注目を集める原因だろう。

ネットでの様子を見ていると、加藤茂明という第一人者の不正にばかり注目が集まっていて、この問題が発生した根本問題についてはあまり議論されていないように思う。いつも思うが、不正事件が起きると不正行為の認定や被疑者の処分にばかり注目が集まり、研究費を返還し、被疑者をクビにしておしまいとするような対応で終わることが多い。

しかし、2006年頃から東大多比良元教授の事件、東北大学・上原亜希子の事件、大阪大学の杉野元教授や下村教授の事件、琉球大学・森の事件、獨協医大・服部の事件、名古屋市立大学・岡嶋・原田の事件、東北大学・井上明久の事件など捏造事件は後を絶たない。研究機関側は被疑者の処分、研究費の返還、お決まりの再発防止策の公示や謝罪を述べるだけで本質的には何も変っていない。被疑者の処分等は当たり前のこと。それだけでなく今後不正を繰り返さないための根本的な改善策が必要だ。そのためには根本問題をきちんと認識する必要がある。

なぜこのような研究不正が後を絶たず、繰り返されるのか?根本的な問題として次のことがあると思う。

(1)研究機関の競争・市場原理が強くなったことによる競争の激化

2000年以降大学や研究所は法人化され、競争・市場原理が強くなり競争が激しくなった。そのため競争に勝つために様々な不正が起きることになった。具体的には、

(1-1)論文([1])の二重投稿、サラミ出版([2])、ギフトオーサーシップ([3])で発表論文数を多くし、全部業績リストに載せて見かけ上の業績を高く見せる[9]
(1-2)データを使いまわす等の捏造、改ざんを行い論文の生産性を上げる
(1-3)重要な研究成果が出たように結果をでっちあげ、ネイチャー、サイエンスなどのインパクトファクター([4])が高いジャーナルに掲載する
(1-4)インパクトファクターを上げるため仲間同士で不必要に論文を引用しあい、見かけ上のインパクトファクターを高くする[9]

といったことがどの研究機関でも行われている。このような方法で見かけ上の業績を高く見せたり、重要な研究成果が出たように偽装することで大学・研究所評価等で好評価を得て競争に勝とうとしているのだ。無論、常識的にはこのような評価は全く意味のないバカバカしい評価であって、不公正極まりない。しかし、どの研究機関でも平然と行われているのが実情である。

人事や予算獲得で有利になるためには上のような不正を繰り返し、できる限り良い結果を出したように偽装することが必要なので、少なくない研究者や研究機関が不正に手を染めているのである。

さらに致命的なのは、どの研究機関でもこのような不正行為をしているせいか、上のような不正行為を不正でないと判断する驚くべき研究機関さえ存在していることだ。例えば、常識的には二重投稿は不正行為だし、同じ内容の論文を複数のところから出版して全部業績リストに載せて評価するのは水増し評価以外の何物でもなく、明らかに意味のない不当な評価だが、東北大学のように井上明久の業績を水増ししたまま評価している研究機関もある。

東北大学の有馬委員会が1月に「二重投稿は水増し評価に繋がる[5]」「同じ内容の論文、特に二重投稿の論文を業績リストから削除すべきである[5]」と公式見解を示したように、このような評価が水増しであり不当なのは常識的には至極当然だが、競争に勝つためにわざと目を背けている機関さえ存在している。

慧眼な読者ならわかるだろうが、こうした井上の水増し評価がおかしいのではないかという声は以前からあったし東北大学側もきちんと認知していたに違いない。しかし、東北大学側はすべて無視。大学自体が競争で有利になるため、あるいは保身のためにこういう評価を水増しとか不正とわざと判断していないのだから、大学側にいくらこんなことを述べても改善されるはずがない。

これは東北大学に限らずどの研究機関でも同じで、水増し評価は少なからずやっている。これが不正だと指摘しても、研究機関にとっては不正として取り締まってしまうと大規模な不正を組織ぐるみでやったという不祥事になってまずいとか競争に勝てないとかそもそも常識的なモラルが欠如しているため悪いことだと思っておらず不正を握りつぶす。

研究機関の自浄作用が働かない場合、本来こうした不正を正すのは監督機関である文科省や国立研究所を所管する省庁の役目だが、どの省庁も何もしない。それが不正が改善しないもう一つの根本原因であり、次で述べる。

(2)研究機関を監督する省庁や日本学術振興会や科学技術振興機構などのやる気がなく、無責任であること

先にも述べたとおり、上のような研究不正や不正評価が起きたら、監督機関や予算を管理する機関が積極的に改善をしなければならない。それが監督機関の職責であることは明らかである。しかし、どの省庁、学振などの公的機関も研究機関に任せて自分達は何もしない。彼らは本当に決められたことしかやらないし、監督機能は皆無である。

例えば文部科学省は単に告発の文書などを被疑者の所属機関に転送するだけの役目しか果たしていない。東北大学井上元総長の問題にしろ、総長を庇う意図がはたらくため明らかに大学にまかせたのでは不適切な調査裁定になるのはわかっているはずなのに、文科省は大学に任せたままで自分達は何もしなかったし、現在も何もしていない[6][7]。超一流誌であるNatureのニュースによると、記者が東北大総長に対して監督権限がある文部科学省にインタビューしたところ、「介入する意志はなく大学に任せている」との返答があったと紹介されている[6]。つまり、大学に判断させ大学が問題ないと判断するなら文科省としても問題ないと判断するということだ。

大学が保身のために不当な調査裁定しかしないということが重大な問題点であることは明白であり、これだけマスメディアなどで騒がれてもまだ「自分たちは何もしない。大学に任せる。」と公言するのはあまりに愚かではないか。大学が握りつぶしをしようとしているのに、大学に実質的な判断を委ねたら不正な判断にしかならない。これは子供でもわかることだ。

この態度は文科省に限らず、財務省、総務省などどの行政機関でも変らないし、日本学術振興会などの公的機関でも変らない。これらの機関はすべて「調査裁定は被疑者の所属研究機関任せ。自分達は何もしない。」というスタンスである。これは監督機関としてあまりに無責任である。被疑者の所属機関任せ、何もしないという態度は彼らが愚かというより、彼らがあまりに無責任なことが本質的な問題である。

役人は決められたことしかしない。他のことは一切やらない。やる気がない。

文部科学省、警察、日本学術振興会などの公的機関や公務員はなぜこんなにもやる気がなく無責任なのか?

彼らの無責任さややる気のなさのために、井上明久に本来払う必要のない給料や高額な退職金を支払ったり、獨協医大が不正に使ったため本来返還されるべき不正な研究費が返還されなかったりなど、あまりにバカバカしく、とんでもないことが平気でまかり通っている[8]。

研究不正を正すには米国研究公正局のような第三者機関が必要とNature誌の記者は述べているが、現状では研究不正に限らず研究機関が当事者となるあらゆる不正に関して公正に調査裁定できる第三者機関が必要といえる。なぜなら、研究機関で起きている不正は捏造や改ざんといった不正だけでなく、評価や運営の過程でも様々な不正が横行しており、研究機関に調査裁定を任せたのでは保身のために不当な判断がなされる可能性が極めて高いし、監督機関である省庁等もやる気がないため、実質的な判断を研究機関にまる投げし、全く監督機能がないことが理由である。

いろいろな研究機関で(1)で述べた不正行為が全く改善されないのは、研究機関が保身のためにわざと不正を握りつぶしていることだけが原因ではなく、本来それを改善すべき国の機関等のやる気がないために、愚かにも実質的な判断を研究機関にまる投げしていることが原因である。

本当に、こういう公務員らは給料を支給せずみんなクビにしてほしい。

(3)国民の無関心さ

残念ながらこういう不正が横行していることは我々国民にも責任があると思う。(1)で述べた不正は常識的には許されないことは明らかだし、必ず改善しなければならない。しかし、れが長年見逃されてきたのは、端的にいって国民が無関心で改善を促す世論を形成しなかったからに他ならない。水増し業績や捏造業績に基づいて不当に良く評価してしまって、本来支給すべきでない予算を国民の血税から何億円、何十億円と無駄に支払い、あげくのはてに悪い事をした井上明久のような研究者らに高額な退職金や栄誉まで与えてしまうというのは本当にとんでもないことだ。一般企業でこんなことをやったら粉飾決算で大きな社会的責任をとらされるが、研究機関だけは国民の無関心さのために見逃されている。

マスメディアもなぜこういう問題を報じないのか。マスメディアは実際に研究機関が公表している評価用の業績リストを精査すべきである。どれだけ水増しによる不正な評価がまかり通っているか、その深刻な実態に気がつくだろう。国民は黙っていてはいけない。

(4)不正の根本問題を絶対に改善すべき

上で述べたような不正の根本問題は必ず改善しなければならない。特に研究機関や国の機関は自浄作用を必ず発揮しなければならない。やる気のないところにこんなことをいうのは非常にバカバカしい思いだが、あえて言おう。

確かに今は国民の無関心さゆえに、不正は見逃されている。しかし、こんな調子で不正な評価や研究発表、監督放棄を続けていたら、将来的に研究機関や行政機関は国民から信頼されなくなる。それをきっちり改善しないと日本の将来は大変危なくなる。こんなことでは大学では立派な学生が育たないし、研究所でもまともな研究が行われなくなる。でたらめな研究発表ばかり行われたり、若い人がすぐに研究成果が出るようなものばかりに飛びついてじっくりと重要な研究に取り組むということがなくなる。重要な研究成果はそんなに簡単に出るわけがなく、姑息な方法ばかりに走ったら学術界は危ないし日本の将来も危ない。

そういう危機を回避し、健全な学術の発展を目指すには研究機関が競争においても公正でなくてはならないし、監督機関である行政機関は独立して研究機関の不正を積極的に取り締まらなくてはいけない。

そのように現状を絶対に改善しなければならない。

参考
[1]ここでいう論文とは学術的な成果を伝える文献一般を指す。査読付のジャーナルに掲載された論文だけでなく、プロシーディングス、テニクカルレポートなど研究機関の業績評価で評価対象となるあらゆる文献を指す。
[2]サラミ出版:本来一つの論文で発表できるのに、内容を小分けにして複数の論文として発表し、見かけ上の発表論文数を増やすこと。不正行為であり、二重投稿の一種と考えられることもある。
[3]ギフトオーサーシップ:実態的な貢献がないのに論文に著者として名を載せること。研究室の主宰者などボスが行っていることが多い。
[4]インパクトファクター:論文の引用回数に基づく評価の一つ。引用回数が多いほどインパクトファクターが高く重要な研究成果と見なされる。
[5]"研究者の公正な研究活動の確保に関する調査検討委員会報告書" 東北大学 2012.1.24
[6]井上総長の研究不正疑惑の解消を要望する会(フォーラム)
[7]Nature News 2011年2月23日 第470巻(通巻7335号) p.446-447
[8]世界変動展望 著者:"獨協医大は不正研究に使った科研費を返還すべきである!" 世界変動展望 2012.1.28
[9]二重投稿やサラミ出版による業績水増しや相互引用によるインパクトファクターの水増しは評価する側がきちんと評価対象の論文を精査すれば問題ないとか、発表論文数等以外のことで評価すればよいのではないかと思うかもしれない。確かに、人事などでは重複がないか実物と照合して調べることはよく行われているし、論文数等以外で評価した方がいいかもしれない。

しかし現実には業績評価の一つとして発表論文数の評価は避けられないだろうし、研究機関や研究グループに対する業績評価では何百、何千とある発表論文数による評価を行っているし、いちいち業績リストと実物を照合していたら数が膨大なため手間がかかり過ぎるので、評価側は実数の把握を行わず形式的に業績リストに書かれている発表論文数等で評価している。評価側は「基本的に提出側を信頼し、水増しは行っていない」という前提で評価しているのだろうが、とんでもない。

そもそも人事や予算獲得でこのような不正な評価がよく行われているからこそ多くの研究者が二重投稿などの不正に手を染めているのだろう。そうでなければ不正を犯す動機がない。現実にはどれだけ業績を出したかの指標の一つとして発表論文数を用いることは避けられないだろうし、それに基づく評価を行っているところがあるのだから、「評価側が調べて実態を把握しろ!」というだけでは済まない。調査で実態を把握すれば問題ないから水増し記載は大丈夫だという主張があるなら、「それなら水増しする意味もないし、水増しのために実態調査等の評価手続きが複雑になるし、評価対象が膨大で調査に手間がかかりすぎ現実的でないのだから止めるべきだ」という反論が成り立つ。ただ、業績申告側が不正をしない保障はないので、評価側が公正さのため実態調査が必要なのは避けられないだろう。そもそも水増しは意味のない不当な評価を招くのだから禁止して当然である。業績申告側は水増ししない、評価側も実態調査を行う、そうしなければならない。評価の労力を減らしたいなら信頼が必要だが、その場合は業績申告側が水増ししないことが絶対条件である。