最近加藤茂明元東大分生研教授の捏造等のニュースで生物系の研究者を中心に多くの関心を集めている。加藤が彼の専門分野で第一人者だったこと、加藤のグループが大規模なプロジェクトに参加する等重要な役割を担っていたこと、巨額の研究費が不正行為に使われたこと、加藤だけでなく筑波大学や群馬大学など他にも共同研究者に被疑者がいること、つまり組織ぐるみの不正の疑いがあることなどが大きな注目を集める原因だろう。
ネットでの様子を見ていると、加藤茂明という第一人者の不正にばかり注目が集まっていて、この問題が発生した根本問題についてはあまり議論されていないように思う。いつも思うが、不正事件が起きると不正行為の認定や被疑者の処分にばかり注目が集まり、研究費を返還し、被疑者をクビにしておしまいとするような対応で終わることが多い。
しかし、2006年頃から東大多比良元教授の事件、東北大学・上原亜希子の事件、大阪大学の杉野元教授や下村教授の事件、琉球大学・森の事件、獨協医大・服部の事件、名古屋市立大学・岡嶋・原田の事件、東北大学・井上明久の事件など捏造事件は後を絶たない。研究機関側は被疑者の処分、研究費の返還、お決まりの再発防止策の公示や謝罪を述べるだけで本質的には何も変っていない。被疑者の処分等は当たり前のこと。それだけでなく今後不正を繰り返さないための根本的な改善策が必要だ。そのためには根本問題をきちんと認識する必要がある。
なぜこのような研究不正が後を絶たず、繰り返されるのか?根本的な問題として次のことがあると思う。
(1)研究機関の競争・市場原理が強くなったことによる競争の激化
2000年以降大学や研究所は法人化され、競争・市場原理が強くなり競争が激しくなった。そのため競争に勝つために様々な不正が起きることになった。具体的には、
(1-1)論文([1])の二重投稿、サラミ出版([2])、ギフトオーサーシップ([3])で発表論文数を多くし、全部業績リストに載せて見かけ上の業績を高く見せる[9]
(1-2)データを使いまわす等の捏造、改ざんを行い論文の生産性を上げる
(1-3)重要な研究成果が出たように結果をでっちあげ、ネイチャー、サイエンスなどのインパクトファクター([4])が高いジャーナルに掲載する
(1-4)インパクトファクターを上げるため仲間同士で不必要に論文を引用しあい、見かけ上のインパクトファクターを高くする[9]
といったことがどの研究機関でも行われている。このような方法で見かけ上の業績を高く見せたり、重要な研究成果が出たように偽装することで大学・研究所評価等で好評価を得て競争に勝とうとしているのだ。無論、常識的にはこのような評価は全く意味のないバカバカしい評価であって、不公正極まりない。しかし、どの研究機関でも平然と行われているのが実情である。
人事や予算獲得で有利になるためには上のような不正を繰り返し、できる限り良い結果を出したように偽装することが必要なので、少なくない研究者や研究機関が不正に手を染めているのである。
さらに致命的なのは、どの研究機関でもこのような不正行為をしているせいか、上のような不正行為を不正でないと判断する驚くべき研究機関さえ存在していることだ。例えば、常識的には二重投稿は不正行為だし、同じ内容の論文を複数のところから出版して全部業績リストに載せて評価するのは水増し評価以外の何物でもなく、明らかに意味のない不当な評価だが、東北大学のように井上明久の業績を水増ししたまま評価している研究機関もある。
東北大学の有馬委員会が1月に「二重投稿は水増し評価に繋がる[5]」「同じ内容の論文、特に二重投稿の論文を業績リストから削除すべきである[5]」と公式見解を示したように、このような評価が水増しであり不当なのは常識的には至極当然だが、競争に勝つためにわざと目を背けている機関さえ存在している。
慧眼な読者ならわかるだろうが、こうした井上の水増し評価がおかしいのではないかという声は以前からあったし東北大学側もきちんと認知していたに違いない。しかし、東北大学側はすべて無視。大学自体が競争で有利になるため、あるいは保身のためにこういう評価を水増しとか不正とわざと判断していないのだから、大学側にいくらこんなことを述べても改善されるはずがない。
これは東北大学に限らずどの研究機関でも同じで、水増し評価は少なからずやっている。これが不正だと指摘しても、研究機関にとっては不正として取り締まってしまうと大規模な不正を組織ぐるみでやったという不祥事になってまずいとか競争に勝てないとかそもそも常識的なモラルが欠如しているため悪いことだと思っておらず不正を握りつぶす。
研究機関の自浄作用が働かない場合、本来こうした不正を正すのは監督機関である文科省や国立研究所を所管する省庁の役目だが、どの省庁も何もしない。それが不正が改善しないもう一つの根本原因であり、次で述べる。
(2)研究機関を監督する省庁や日本学術振興会や科学技術振興機構などのやる気がなく、無責任であること
先にも述べたとおり、上のような研究不正や不正評価が起きたら、監督機関や予算を管理する機関が積極的に改善をしなければならない。それが監督機関の職責であることは明らかである。しかし、どの省庁、学振などの公的機関も研究機関に任せて自分達は何もしない。彼らは本当に決められたことしかやらないし、監督機能は皆無である。
例えば文部科学省は単に告発の文書などを被疑者の所属機関に転送するだけの役目しか果たしていない。東北大学井上元総長の問題にしろ、総長を庇う意図がはたらくため明らかに大学にまかせたのでは不適切な調査裁定になるのはわかっているはずなのに、文科省は大学に任せたままで自分達は何もしなかったし、現在も何もしていない[6][7]。超一流誌であるNatureのニュースによると、記者が東北大総長に対して監督権限がある文部科学省にインタビューしたところ、「介入する意志はなく大学に任せている」との返答があったと紹介されている[6]。つまり、大学に判断させ大学が問題ないと判断するなら文科省としても問題ないと判断するということだ。
大学が保身のために不当な調査裁定しかしないということが重大な問題点であることは明白であり、これだけマスメディアなどで騒がれてもまだ「自分たちは何もしない。大学に任せる。」と公言するのはあまりに愚かではないか。大学が握りつぶしをしようとしているのに、大学に実質的な判断を委ねたら不正な判断にしかならない。これは子供でもわかることだ。
この態度は文科省に限らず、財務省、総務省などどの行政機関でも変らないし、日本学術振興会などの公的機関でも変らない。これらの機関はすべて「調査裁定は被疑者の所属研究機関任せ。自分達は何もしない。」というスタンスである。これは監督機関としてあまりに無責任である。被疑者の所属機関任せ、何もしないという態度は彼らが愚かというより、彼らがあまりに無責任なことが本質的な問題である。
「役人は決められたことしかしない。他のことは一切やらない。やる気がない。」
文部科学省、警察、日本学術振興会などの公的機関や公務員はなぜこんなにもやる気がなく無責任なのか?
彼らの無責任さややる気のなさのために、井上明久に本来払う必要のない給料や高額な退職金を支払ったり、獨協医大が不正に使ったため本来返還されるべき不正な研究費が返還されなかったりなど、あまりにバカバカしく、とんでもないことが平気でまかり通っている[8]。
研究不正を正すには米国研究公正局のような第三者機関が必要とNature誌の記者は述べているが、現状では研究不正に限らず研究機関が当事者となるあらゆる不正に関して公正に調査裁定できる第三者機関が必要といえる。なぜなら、研究機関で起きている不正は捏造や改ざんといった不正だけでなく、評価や運営の過程でも様々な不正が横行しており、研究機関に調査裁定を任せたのでは保身のために不当な判断がなされる可能性が極めて高いし、監督機関である省庁等もやる気がないため、実質的な判断を研究機関にまる投げし、全く監督機能がないことが理由である。
いろいろな研究機関で(1)で述べた不正行為が全く改善されないのは、研究機関が保身のためにわざと不正を握りつぶしていることだけが原因ではなく、本来それを改善すべき国の機関等のやる気がないために、愚かにも実質的な判断を研究機関にまる投げしていることが原因である。
本当に、こういう公務員らは給料を支給せずみんなクビにしてほしい。
(3)国民の無関心さ
残念ながらこういう不正が横行していることは我々国民にも責任があると思う。(1)で述べた不正は常識的には許されないことは明らかだし、必ず改善しなければならない。しかし、これが長年見逃されてきたのは、端的にいって国民が無関心で改善を促す世論を形成しなかったからに他ならない。水増し業績や捏造業績に基づいて不当に良く評価してしまって、本来支給すべきでない予算を国民の血税から何億円、何十億円と無駄に支払い、あげくのはてに悪い事をした井上明久のような研究者らに高額な退職金や栄誉まで与えてしまうというのは本当にとんでもないことだ。一般企業でこんなことをやったら粉飾決算で大きな社会的責任をとらされるが、研究機関だけは国民の無関心さのために見逃されている。
マスメディアもなぜこういう問題を報じないのか。マスメディアは実際に研究機関が公表している評価用の業績リストを精査すべきである。どれだけ水増しによる不正な評価がまかり通っているか、その深刻な実態に気がつくだろう。国民は黙っていてはいけない。
(4)不正の根本問題を絶対に改善すべき
上で述べたような不正の根本問題は必ず改善しなければならない。特に研究機関や国の機関は自浄作用を必ず発揮しなければならない。やる気のないところにこんなことをいうのは非常にバカバカしい思いだが、あえて言おう。
確かに今は国民の無関心さゆえに、不正は見逃されている。しかし、こんな調子で不正な評価や研究発表、監督放棄を続けていたら、将来的に研究機関や行政機関は国民から信頼されなくなる。それをきっちり改善しないと日本の将来は大変危なくなる。こんなことでは大学では立派な学生が育たないし、研究所でもまともな研究が行われなくなる。でたらめな研究発表ばかり行われたり、若い人がすぐに研究成果が出るようなものばかりに飛びついてじっくりと重要な研究に取り組むということがなくなる。重要な研究成果はそんなに簡単に出るわけがなく、姑息な方法ばかりに走ったら学術界は危ないし日本の将来も危ない。
そういう危機を回避し、健全な学術の発展を目指すには研究機関が競争においても公正でなくてはならないし、監督機関である行政機関は独立して研究機関の不正を積極的に取り締まらなくてはいけない。
そのように現状を絶対に改善しなければならない。
参考
[1]ここでいう論文とは学術的な成果を伝える文献一般を指す。査読付のジャーナルに掲載された論文だけでなく、プロシーディングス、テニクカルレポートなど研究機関の業績評価で評価対象となるあらゆる文献を指す。
[2]サラミ出版:本来一つの論文で発表できるのに、内容を小分けにして複数の論文として発表し、見かけ上の発表論文数を増やすこと。不正行為であり、二重投稿の一種と考えられることもある。
[3]ギフトオーサーシップ:実態的な貢献がないのに論文に著者として名を載せること。研究室の主宰者などボスが行っていることが多い。
[4]インパクトファクター:論文の引用回数に基づく評価の一つ。引用回数が多いほどインパクトファクターが高く重要な研究成果と見なされる。
[5]"研究者の公正な研究活動の確保に関する調査検討委員会報告書" 東北大学 2012.1.24
[6]井上総長の研究不正疑惑の解消を要望する会(フォーラム)
[7]Nature News 2011年2月23日 第470巻(通巻7335号) p.446-447
[8]世界変動展望 著者:"獨協医大は不正研究に使った科研費を返還すべきである!" 世界変動展望 2012.1.28
[9]二重投稿やサラミ出版による業績水増しや相互引用によるインパクトファクターの水増しは評価する側がきちんと評価対象の論文を精査すれば問題ないとか、発表論文数等以外のことで評価すればよいのではないかと思うかもしれない。確かに、人事などでは重複がないか実物と照合して調べることはよく行われているし、論文数等以外で評価した方がいいかもしれない。
しかし現実には業績評価の一つとして発表論文数の評価は避けられないだろうし、研究機関や研究グループに対する業績評価では何百、何千とある発表論文数による評価を行っているし、いちいち業績リストと実物を照合していたら数が膨大なため手間がかかり過ぎるので、評価側は実数の把握を行わず形式的に業績リストに書かれている発表論文数等で評価している。評価側は「基本的に提出側を信頼し、水増しは行っていない」という前提で評価しているのだろうが、とんでもない。
そもそも人事や予算獲得でこのような不正な評価がよく行われているからこそ多くの研究者が二重投稿などの不正に手を染めているのだろう。そうでなければ不正を犯す動機がない。現実にはどれだけ業績を出したかの指標の一つとして発表論文数を用いることは避けられないだろうし、それに基づく評価を行っているところがあるのだから、「評価側が調べて実態を把握しろ!」というだけでは済まない。調査で実態を把握すれば問題ないから水増し記載は大丈夫だという主張があるなら、「それなら水増しする意味もないし、水増しのために実態調査等の評価手続きが複雑になるし、評価対象が膨大で調査に手間がかかりすぎ現実的でないのだから止めるべきだ」という反論が成り立つ。ただ、業績申告側が不正をしない保障はないので、評価側が公正さのため実態調査が必要なのは避けられないだろう。そもそも水増しは意味のない不当な評価を招くのだから禁止して当然である。業績申告側は水増ししない、評価側も実態調査を行う、そうしなければならない。評価の労力を減らしたいなら信頼が必要だが、その場合は業績申告側が水増ししないことが絶対条件である。