世界変動展望

私の日々思うことを書いたブログです。

京都精華大で補助金不正 准教授を懲戒解雇

2012-08-31 00:00:31 | 社会

『京都精華大で補助金不正 准教授を懲戒解雇

 京都精華大(京都市左京区)は30日、2008年度から10年度まで実施した農林水産省などの「農山村地域活性化支援事業」で、補助金約2200 万円の不正使用があり、全額を国に返還した、と発表した。同大学は31日付で事業の責任者だった人文学部の松尾真准教授(62)を懲戒解雇、赤坂博理事長 や坪内成晃学長ら8人を同日付で減給やけん責処分にする。松尾准教授については刑事告訴を検討している。

 支援事業は、農村での活動を希望する人材育成を行ったり、大学と農村が連携して活性化策を模索したりすることが目的。国から3年で4900万円の補助金が支給され、大学側の負担金とあわせて総額5300万円が支出された。

 不正は会計検査院が今年2月と4月の調査で指摘。大学側は総額2500万円の不正を特定し、うち2200万円が補助金からの支出だった。

 同大学によると、業務委託先の団体が作成した業務経費の積算根拠を示す書類がなかったり、人材育成研修に参加していない人に手当や旅費を支給した りしていたという。ほかに、農村関係者が講演を行い、謝金を支払ったなどとする架空経理では360万円が支出されていた。同准教授は、ほぼ全額を自分が理事を務めるNPO法人「栄村ネットワーク」(長野県栄村)の債務の弁済に充てたことを大学側に認めた。

(2012年8月30日  読売新聞)』
 
補助金約2200 万円を不正使用、被疑者が理事を務めるNPO法人の債務返済に流用。とんでもないことだ。これは去年の研究費不正使用の調査対象だったのだろうか。だとしたら、京大だけでなく大学の調査で不正を発見できなかった事例がまた出てきたことになる。すでに研究機関の調査は信用できないとして来年度から文科省が独自の調査をすることになっている。今回の指摘も会計検査院からの指摘で発覚した。結局研究機関に自分たちの不正を調査させても保身に歪んだ不公正かついいかげんな調査になるのが実情。
 
研究機関に限らず、調査をする側と不利益を被る側が同じでは、構造上不適切な調査をするおそれが強い。そんな調査制度で研究機関の自律性に長年不正防止を任せてきた監督官庁は重い責任があるだろう。官僚体質で責任はとらないのだろうが。そういう体質は昔から変っていない。民主党政権になっても結局変ることはなかったし、いつまでたっても悪い体質は改善しない。

あなたのその気持ちだけでこんな時代でも生きていて良かったと思うことができる

2012-08-30 02:56:27 | 感動した言葉

レイ「マミヤ!や・・・やめろ ボウガンなどやくにはたたん!!北斗神拳の奥義には二指真空把がある 矢を放った人間にその矢が返ってくるぞ」

マミヤ「!! で・・・でも今戦えるのはわたしだけ」

(ラオウにボウガンの狙いを定めるマミヤ)

ラオウ「フフフ・・・ どうやらその女にも死兆星がみえていたようだな・・・・・・」

ラオウ「ふっ・・・よかろう 撃ってくるがいい!」

(矢を撃とうとするマミヤ、待ち構えるラオウ)

レイ「や・・・やめろラオウ!やめてくれ!!その女だけは その女だけは殺さないでくれーっ!!」

(はっとするラオウ、マミヤら)

マミヤ「レイ・・・」

ラオウ「ほう・・・ おまえ・・・この女を・・・」

レイ「ぐくっ!!」

レイ「そ・・・・・・そうだ・・・」

レイ「その女マミヤはおれに愛というものを教えてくれた!!たったひとりの女だ!!

アイリ「に・・・兄さん!!」

マミヤ「レイ・・・」

マミヤ「ありがとうレイ・・・・・・」

マミヤ「あなたのその気持ちだけでこんな時代でも生きていて良かったと思うことができる

--

人間は一人では生きていけない。

「あなたのことが大切だ!」

そういってくれる人がいるだけで幸福というものだ。

地獄のような時代でも、愛があれば生きていてよかったと思える。

これって結構大切なことなんだろう。

そういえば、前にこんな趣旨のCMを見たことがある。


重複をごまかす手口

2012-08-29 00:52:12 | 社会

今回は論文の重複発表をごまかす手口を紹介します。まずはじめに、なぜこのような手口がとられるのか説明します。研究者の重要な評価対象に発表論文数があります。これによって採用、昇進、予算獲得などが決まるので、どの研究者も発表論文数を高くしようと考えています。そこで二重投稿といった不正にはしる研究者が出るのですが、二重投稿は不正行為です。

なぜ二重投稿が不正行為となるかといえば、業績水増しになることも理由の一つでしょうが、大きな理由に新規性のない発表をすることが挙げられます。論文や口頭発表では、総説論文等一部の例外を除いて、オリジナリティを求められるため原則として新規性のない発表はできません。

ではどうすれば論文数を高くできるのか?代表的な手口は次のものです。

(1)少しだけ新しい結果を加えて重複発表

図1 少し新規の結果を加えて重複をごまかす手口 [1]

図1のAPL論文(ジャーナルの査読付論文)とMSE論文(国際会議の査読付プロシーディングス)は重複発表の論文です。図も文章も酷似しています。APL論文が後発論文です[1]。

全く同じ文章やデータでは誰が見ても二重投稿になってしまいます。ではこの著者はどうしたかというと図1のように少し新規の結果を加えて、重複をごまかしました。図1左図と右図を比べると左図の下の2つのグラフだけ差分があることがわかります。著者の意思としては

新しい結果を発表している。決して重複発表ではない。

と主張するつもりです。客観的にはこの2つのグラフだけを追加しただけでは、新しく発表する価値はなく実質的に重複なのですが、それでも著者は「新規性はわずかだが、この部分を加えることに十分な意義があるんだ!」と不正行為にならないために強く主張します。

実際これはよくある重複逃れの手口です。

(2)少しだけ条件を変えて実験をやり直す

図2 条件を変えて重複をごまかす手口 [1]

もう一つよくあるのが条件を少しだけ変更して実験等をやり直す手口です。同じ発表をすると新規性がなく不正行為になってしまうので、少しだけ条件を変えて実験やシミュレーションをやり直し、新規の研究成果とごまかすわけです。実験だと手間なので、この手口はシミュレーションで行われることが多いと思います。著者としては

新しい実験やシミュレーションをやっている。決して重複発表ではない。

と主張するつもりです。(1)と同じく客観的にはただの重複逃れのための細工なのですが、著者はあくまで「少しだけ変更しているが、この変更に重要な意義がある。新規性の十分ある発表だ!」と不正行為にならないための主張を貫きます。

図2はその典型例で、実験条件を少しだけ変えて、(実際は本当に同じなのですが)同じような実験結果を載せて重複をごまかしています。

これもよくある重複逃れの手口です。

(3)常識的判断

著者は少し新しい結果を加えたり条件を変えて分析をやり直したりして重複発表でないつもりですが、皆さんお気づきのように、そういう主張はほとんどの研究者に通用しません。研究発表の内容を見てほとんど新規性がなく、改めて発表する価値を感じない場合は、

少し新しい結果を加えたり、条件を変えてやり直しているのは重複をごまかすための細工だな。重複発表をごまかしたいんだな。

とほとんどの人が見抜きます。なぜわかるのかと問われると回答に少し困るのですが、一言でいうと常識的にわかるからです。例えばある人がサッカーを一生懸命練習している様を見れば、ほとんどの人がその人はサッカーが上達したいと思っていると判断するのと同じことです。わずかな変化に改めて発表するだけの合理性が全く感じられない場合は、重複をごまかすための細工と考えるのが自然です。

実際、(1)(2)の細工を施しても建前上は二重投稿になります。二重投稿は全く同じ発表をすることだけでなく、「本質的に同じ研究成果を重複して投稿すること」も含まれると考えられているからです。

ただ、これはあくまで建前上の話で、現実の取り扱いは様々です。二重投稿かどうかは部署によって、かなり主観的に判断されます。その理由は「本質的に重複している」ことの判断が難しいことや二重投稿の定義が部署によって微妙に違うことが挙げられます。

もう一つは「不正行為の判断を避けたい」という意思があるためです。二重投稿は不正行為のため、認定すればジャーナルや著者、その所属機関の不祥事となります。多くの関係者にとってデメリットしかありません。だから、「できる限り不正行為と判断するのはやめてやろう。」という意思がどの部署でもはたらくのです。そのため内心二重投稿と思っていても、わざと「二重投稿でない」と判断することは珍しくないのです。無論、道徳や規律に違反した対処です。私見ですが、私は本当は二重投稿なのに不正の認定を避けるためわざと二重投稿でないと判断しているケースの方が多いと思います。

こういうのは不正の握りつぶしであって、不正行為は見逃すという風習を研究界につくることになりました。最近世界最高の大規模捏造が発覚した藤井善隆事件が20年以上にわたって、170編以上の論文で捏造が見逃されてきた原因の一つは、このような不正に対する極めて無責任かつ消極的な態度が研究者や研究界の風習として根付いているからだと思います。

例えば上で紹介した図2の細工はほとんどの人が「重複をごまかすための細工」と判断します。つまり、"故意"の変更だったと内心誰しもわかっています[2]。実は図2は実験をやり直した結果ではなく過去の結果を流用したものなので、単なる重複発表ではなく捏造です。しかし、ジャーナルの編集委員会や大学の調査委員会が判断すると、わざと過失と判断することが多いです。無論、不正の認定を避けるためであり、原因は上で述べたように研究界の悪い風習のためです。井上事件は本当にそういう対処です。

読者のみなさんには、(1)や(2)の事例を通して、著者の「重複をごまかす意思」を感じていただければと思います。調査のときに、著者は必ず「過失だ。」「十分新規性のある発表だ。重複でない。」と主張します。しかし、意図的な重複発表かどうかの判断は(1)(2)で紹介したような細工という客観的側面から内心を判断するのが有効だということを知っていただければと思います。

それにしても研究者や研究界の自律性のなさ、不正行為を見逃す悪い風習は必ず改善しないといけないと思います。

参考
[1]齋藤文良氏らの記者会見資料 2012.3.6
[2]実際これだけ見ると記載ミスと考える方もいるかもしれませんが、井上の場合は同じミスが大量にあり、とても過失とは考えられません。また、データを単に使いまわすだけでなく、左右反転や上下反転などの偽装工作が加えられており、「重複をごまかす意思」がなかったと考えるのは合理的ではありません。


本画と原画の違い

2012-08-28 23:33:00 | 絵画

ネットで本画と原画の違いを尋ねる文章を見た。説明すると次のようになる。

本画: 完成した絵画作品のこと。日本画の用語で下絵に対していう。油彩でいうところのタブローと同義。通常は筆で描いた完成絵画をいう。

原画: 複製に対してもとになる絵のこと。

なぜネットでは本画と原画の違いに疑問が持たれたのか?推測だが、それは本画と原画の区別がしばしば曖昧になるからだろう。

画家が最初に描く絵は通常本画で、新しく、一つしかないから本画は通常原画である。版画家には怒られるかもしれないが、多くの購買者は質の良さから本画を求める。しかし、東山魁夷、平山郁夫など人気作家の本画は非常に高額で一般人は購入できない。そこで本画をもとに版画(正確には複製版画)をつくり大量に刷って廉価な絵画を販売する。これが人気作家の通常の絵の売られ方だ。

だから、購買者が接する多くのケースで「本画=原画」であり「版画=複製画」だ。そのため、本画と原画を同じ意味で使っているのをよく見る。無論本画を原画としない版画もたくさんあり、そのケースでは「本画≠原画」である。そのケースの原画は刷られた版画だ。オリジナル版画とよばれる。

オリジナル版画とは過去にもとになった絵がなく、純粋に版画をつくることを目的に作られた作品のこと。平山郁夫などの版画のように本画を複製した版画は複製版画(エスタンプともいう)という。オリジナル版画と複製版画の最大の違いは作家の労力だ。オリジナルは版の作成や刷りなど、すべての過程が作家によるもの、当然作家のサインもある。それに対して複製版画は作家は名目上監修というだけで、実態的に作るのは工房スタッフだ。彼らが作家の原画を忠実に再現し複製版画を刷る。実態的には作家は最後にサイン等を記載するだけ。複製版画に作家のサインをしたものをオリジナル版画と見なしたことも過去にあったらしいが、現在こういう版画はオリジナルとはいわない。あくまで複製版画。平山郁夫監修の複製版画は10号で約100万円で売られており「平山郁夫」という作家名から本当に平山郁夫が版画を作成したと勘違いする購買者はいるが、実際は上に書いたとおりである。正確には「平山郁夫作」ではなく「平山郁夫監修」である。誤解を招く記載だと思う。言葉は悪いが、複製版画の売り方は知らない人には詐欺的だ。

そういう話はいいとして、とにかく本画というのは筆で描いた完成品のことで、原画は複製画のもとになる絵のこと。場合によって同じものを指したり、指さなかったりする。

本画と版画の見分け方を尋ねる文章も見たが、形式的にはエディション番号([1])の記載の有無で見分ける。版画にはエディション番号があり、本画にはない。質で見分けるのは素人には難しいと思う。少なくとも確実に見分けるのは専門家でないと無理だと思う。私が平山郁夫などの人気作家の本画と版画を見た限りでは版画は刷って作るため、絵がぺたっとしている。まさに印刷されたという感じ。版画家には申し訳ないが、版画は本画に比べて表現が浅く、少し味気ない感じがする。それに対して本画は一言でいうと熱い感じがする。熱いというのは作者の心や熱意がこもっている感じがするという意味。版画は機械的に作られるものだが、本画は完全な手作業で作られるものだから当然といえば当然という気もする。本画は温かい感じがするし、時に重厚だったりする。それが私の感じる本画と版画の質の違いだ。購買者ができれば版画でなく本画を求めるのは当然という気がする。当然のことながら値段は版画より本画の方がずっと高い。版画はたくさんあるが本画は一つしかなく、作るのに手間もかかるし、質もいいから当然だ。

ただ、版画が本画より絶対的に悪いといっているわけではなく、版画は本画にはできない表現ができるし、その点でよいものだと思う。そうでなければ版画家という職業はないだろう。版画には版画のよさがある。

本画と版画の区別としてもう一点ある。数だ。本画は一つしかないが版画は複数あるのが通常だ。そのため上でも書いたが本画が原画でないなら、版画は一つしかない原画を入手するというのは無理だ。厳密にいえば、複製版画は刷って作るのだから絵というより印刷物で、たくさん同じ作品があるため経済的評価は低くなるし、本画に比べ手間をかけずに作られるといった理由でその他の評価も低くなることがある。

複製版画は限定した数しか作らないことでオリジナル性を出そうとしているが、本画のような正真正銘のオリジナルとオリジナルライクな版画では評価が変るのは仕方ないかもしれない。画商と話をすると無制限にたくさん刷られるものが印刷物で、版画は限定数しか作らないから印刷物ではないという主張を見ることがある。先にもいったように限定数しか作らないことでオリジナルであるかのような気分を出しているのだ。しかし、刷って作る以上厳密には印刷物だし、中にはジクレー([2])のように極めて機械的な方法で印刷する版画もあり、限定数作ったとしても、とてもオリジナルという感じではない。ジクレーの場合は絵というより印刷物といった方が適確だ。

以上、本画、原画の違いを説明した。参考になればと思う。

参考
[1]エディション番号:版画で該当する作品の番号と刷った総数を記載したもの。例えば10枚刷って、そのうちの5番目なら 5 / 10 のように記載される。番号は通し番号であり、1番が1番価値が高いわけではないし、必ずしも最初に作られたわけでもない。すべての番号で価値は同じ。
[2]ジクレー:版画の作成法の一つ。原画をスキャナーやデジタルカメラで撮影し、インクジェットプリンターで印刷する手法。原画を精巧に複写できる点はいいが、極めて機械的な作成法であり、絵というよりまさに印刷物という印象が強い。当然他の作成法で作られた作品に比べて廉価。


器量がよい、とは?女性に対してはひょっとして危険な使い方?

2012-08-27 17:03:01 | Weblog

ある人Aと中国人女性Bの次のような会話を聞いた。

A「君はデスクワークとか部屋の中での仕事が多いよね。そういう仕事の方が好きなの?」
B「そうですね。」
A「君は器量がよいから接客とか営業の方がいいかもしれないね。部屋の中で仕事をするには惜しい器量だよ。
B「器量がよいってどういうことですか?」

大辞泉によると

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き‐りょう〔‐リヤウ〕【器量】

1 ある事をするのにふさわしい能力や人徳。「指導者としての―に乏しい」

2 その人の才徳に対して世間が与える評価。面目。多く、男性についていう。「―を上げる」

3 顔だち。容貌(ようぼう)。多く、女性についていう。「―のよい娘」

4 もののじょうず。名人。

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上の会話では「顔だち。容貌。」という意味。即ち女性に対して「器量がよい=容貌がよい」といっているのだ。容貌がいいから部屋の中であまり人とあわない仕事をするよりも、接客とか営業のような人とよく接する仕事をした方がルックスがいかせていいとAはいっているのだ。

大辞泉によると男性の場合は世間的な評価が上がることを指すので、例えば「イチロはーヒットの通算記録を更新し、器量を上げた。」のように使う。

中国人は基本的な日本語しかしらない人が多いから、「器量がよい」というより端的に「美人」とか「容貌がよい」といった方が通じる。日本人でもこういう使い方はあまりしませんかね。

それにしても器量は男性に関しては世間的な評価なのに女性に関しては容貌を指すというのは、なんだかひっかかりませんか?男は外で働いて出世するのが、その人の価値。女は容貌のよさがその人の価値。男性は外で仕事をするのが主流だからそうなるのもわかるが、女性はなぜそうなるのか?

推測だが、男性目線の見方からそういう意味になったのではないか。男性にとって価値のある女性とは、性格や才知が優れた女性ではなく美人の女性。女性は家に入る人だから能力的なことは求めないが、美人であるかどうかは重要で、美人ほど付き合ったり、結婚するのが難しいし、美人と一緒にいると幸福、容貌のよさを武器に客寄せもできる。だから価値が高い女性は美人ということになる。

所詮女なんて顔のよさでしか世間に判断されない。

そういう男性目線の蔑視的な見方が世間で定着したから「女の器量=容貌のよさ」なんて意味になったのではないだろうか。本来器量とは「ある事をするのにふさわしい能力や人徳」という意味。男女平等の現代では女性に対して器量がよいというと、

私は人徳も仕事能力も優れているし、その他の才能や能力も優れているわ。女を顔だけで判断しないでちょうだい!!

といって怒られてしまうかもしれないと危惧するのは私だけだろうか。田嶋陽子にいったら、こんな感じで怒られるかもしれない。言う側は別にそういう意味で「器量がよい」といってるわけじゃないんですがね。


上下逆などの細工ありの使い回し例 - 東北大学井上明久前総長事件

2012-08-26 02:58:10 | 社会

上下逆などの細工を施して使い回しを隠したいという著者の意思を感じてほしいという趣旨のために、今回は井上明久東北大学前総長の改ざん疑惑を紹介します。

まず実験条件の改ざんと上下逆さまの細工事例から。

図1 透過電子顕微鏡(TEM)写真の実験条件改ざん [1]

左側と右側の図は一見違いますが実は同じものです。それは次に説明します。ここでは実験条件が異なることを理解してください。


図2 上下を逆にして偽装した例 [1]

図2の左図は図1の左図を上下逆にしたものです。図2を見ると同じ写真ということがわかります。しかし、焼鈍条件は異なります。そうしたことは通常あり得ません。しかもデータの使い回しがわからないように上下を逆にする細工がなされています。実験条件の改ざんが推知されます。

次はデータの左右反転例です。

図3 SEM写真(物質の凹凸を表示できるもの)の偽装 [1]

左側の写真を上下逆さまにすると右側の論文の写真と左右対称になります。明らかに同じ物質の写真です。同じ写真なので上下逆にしたり、左右反転させても凹凸は変らないので、間違った情報を伝えたというわけではないのかもしれませんが、なんだか「同じデータを別のデータに見せかけたい」という意思を感じませんか?なぜこんな細工をする必要があったのでしょうか?

実験条件を変更してデータを使いまわす事例は他にもたくさんあります。

図4 X線回折図の使い回しと実験条件改ざん [2]


図5 ナノビーム電子回折パターンの電子顕微鏡写真の使い回しと実験条件の改ざん [2]

図6 ナノビーム電子回折パターンの電子顕微鏡写真の使い回しと実験条件の改ざん [2]

図7 合金の破断面写真の使い回しと実験条件の改ざん[2]

詳しい説明は[2]を見ていただくとして、どれも同じデータを異なる実験条件の結果として使いまわしています。APL論文は昨年二重投稿を理由に撤回され報道されたものです。単に二重投稿だけでなくこのような改ざんがあったのですが、1月の有馬委員会報告ではそれに全く触れられませんでした。

それにしてもよくこれだけ使い回しや実験条件の改ざんをやったと思いませんか?図2は改ざんではないので除くとしても、紹介しただけで5件もあります。その中には図1,2のように上下逆さまにして使い回しを隠す偽装工作がなされています。ここで紹介したのはほんの一部であって、井上の使い回し事例はこれだけでありません。

しかし、これだけ見ても意図的な改ざんがあったと思いませんか?実験条件を正しく記載するのは非常に容易なことです。それなのに虚偽記載項目が確認できるだけで5項目もあります。これだけ間違えることはまず起きません。しかも、単に使いまわしただけでなく上下逆といった偽装工作までなされています。実験条件を変更して使いまわすだけでなく、上下逆にして使い回しをごまかすということが偶然で起きるでしょうか?

「異なる実験条件に変更して同じデータを別のデータに見せかけよう。データを上下逆にして違うデータのように見せかけよう。」

そういう意思を皆さんは感じないでしょうか?

参考
[1]齋藤文良東北大学元教授の資料 2011.8.12
[2]齋藤文良氏らの記者会見資料 2012.3.6


fight(ファイト)

2012-08-25 00:23:06 | 合唱・音楽

fight(ファイト)[作詞・作曲 YUI、編曲 松本望]は2012年度のNHK合唱コンクール中学校の部の課題曲。なかなかいい詞と曲だ。

「希望の先にある 憧れに手を伸ばせば明日だって手さぐり見つけるよ」

こういう詞に触れると元気が湧いてくる。だから歌はとてもいいと思う。

宗教音楽よりこういう純粋な詞と曲の方が私はずっと好きだ。ただの好みだが。作詞・作曲者はシンガーソングライターのYUI、まだ25歳の女性。最近はPOPの人が曲を作る。来年もそうなんだろうな。

参考
[1]fight(ファイト)の詞と曲


Tommorow

2012-08-24 02:11:35 | 合唱・音楽

「Tommorow」(作詞・作曲 杉本竜一)はNHK「生きもの地球紀行」のエンディング曲として、1992年に発表された。結構人気のある曲だ。合唱曲としては卒業式に歌う曲として有名らしい。この曲は混声三部合唱。合唱曲は富澤裕編曲のものと、橋本祥路編曲のものがある。聞いたが、この曲もよい曲だと思う。


街は生きている

2012-08-22 01:32:10 | 合唱・音楽

「街は生きている」(作曲 すぎやまこういち)はドラゴンクエスト5(1992年)の街のBGMとして作られた曲。動画はオーケストラバージョン。2004年にPS2でリメイクされたドラクエ5はこれが採用された。とてもいい曲だ。ドラクエ5のオーケストラ曲の中ではこれが一番気にっているので紹介した。この曲を聴くと心地よくなりますね。


となりのトトロのBGM

2012-08-21 23:50:29 | 合唱・音楽

動画はスタジオジブリの映画「となりのトトロ」(1988年)のBGMのオーケストラバージョン。さんぽ、風の通り道、となりのトトロなどがある。私は「となりのトトロ」(作詞 宮崎駿 作曲 久石譲)が気に入っていて、動画では10分41秒頃からはじまる。この曲は聴くと感動しますね。となりのトトロの歌詞の一部は

「だれかが こっそり
小路に 木の実 うずめて
ちっさな芽 生えたら 秘密の暗号
森へのパスポート
すてきな冒険 はじまる」

「子供のときにだけ あなたに訪れる
不思議な出会い」

「もしも会えたなら すてきな しあわせが
あなたに来るわ」

本当に夢があっていいですよ。それによくあっている作曲になっている。オリジナルを聴いてもオーケストラを聴いても感動して少し涙が出てきますね。本当にこういうものを創る人たちはすごい。

となりのトトロは今でこそとても人気で評価が高い映画だが、公開当時の成績は観客動員数約80万人、配給収入約5.9億円で、ジブリ映画の中では天空の城ラピュタ(観客動員数約77万人、配給収入約5.8億円)に続くワースト2位。いろいろ賞を受賞したが、興行的には成功していない。ジブリ映画が興行的に成功したのはトトロの翌年に公開された「魔女の宅急便」(1989年、観客動員数約264万人 配給収入約21.5億円)から。

子供向けとはいえ大人でも一定の人気があると思う。先月の13日に金曜ロードショーで放送され、13回目の再放送だというのに視聴率は18.3%だった。本当に人気がある。なぜこれほど人気なのに当時の興行成績は良くなかったのか不思議だ。

思えば宇宙戦艦ヤマトやファーストガンダム、ルパン三世カリオストロの城のように公開当時は人気はなくてもその後に評価が格段に上がる作品はいくつかある。トトロもその部類なんだろう。

こういう作品はどんどん出てきてほしいものだ。


ある国立研究所の研究不正について

2012-08-20 01:50:20 | 社会

関東にある国立研究所で捏造などの研究不正があった。調査されたらしい。詳細は後に述べる。研究不正は絶対に許されない。研究費もきちんと返還しなければならない。給料だって返還すべきだ。

それにしてもなぜ研究不正が起きるのか。業績がほしいから、研究費がほしいから、昇進したいから、いろいろ考えられる。そのために背信的な研究成果を報告して世間に迷惑をかける。学術に対する信頼性を致命的に傷つけるだけでなく、研究費を害悪になることに費やし、他の研究者の時間や研究費、労力を無駄にし、時には研究成果で人々の生活や身体、生命にまで害悪を及ぼす。こんなとんでもないことがなぜよく行われているのか。必ず取り締まらなければならない。

研究不正を取り締まるためには被疑者の所属機関に任せていてはだめできちんとした第三者機関が積極的に取り締まることが必要。そういう機関がきちんとできて現状を徹底的に追及することが望まれる。

上の国立研究所では不正に関し裁判までやったらしい。裁判にもなって確かホームページ上の記載を削除するということで和解したと思う。ホームページの記載を削除したからといって不正がなかったことになるわけではない。不正はなかったことで決着しないと研究者にとっては意味はないと思うものの、ネット社会ではホームページ上からデータが消えるだけでも意味があるんだろう。

ある国立研究所なんて書いているが端的にいって理化学研究所。捏造、改ざんなどの不正は絶えないから、いずれ他の国立研究所の不正についても記事を書くことになるかもしれない。研究不正がなくなってほしい。


街の賑わい

2012-08-19 00:02:57 | 合唱・音楽

「街の賑わい」(作曲 すぎやまこういち)はドラゴンクエスト2の街のBGMとして作られた曲。この曲も好きだ。ドラクエの曲はどれもいいが、特にドラクエ2とか初期の頃の音楽はとても気に入っている。


科捜研職員が証拠捏造!国公立系研究員も捏造・改ざんすれば犯罪になる!!

2012-08-18 23:29:47 | 社会

『科捜研職員が証拠捏造疑い 和歌山県警

 和歌山県警は16日、県警科学捜査研究所(和歌山市)の男性主任研究員(49)が証拠品の鑑定結果を捏造ねつぞうした疑いがあるとして、虚偽公文書作成、同行使などの疑いで捜査を開始したことを明らかにした。

 県警によると主任研究員は、交通事故の自動車運転過失致死容疑などでの捜査で、証拠品の繊維や塗膜片の鑑定結果を上司に報告する際、分析内容を示す図として、過去の鑑定の際に作った資料を流用して添付、決裁を受けた疑いがある。

 捏造の疑いがあるのは、2010年5月~12年6月の資料8件。7月初旬に科捜研の同僚が指摘し発覚した。主任研究員は「見栄えが悪かったから、過去の資料を使った」と話しているという。

 県警は、捏造された資料は上司の決裁用のもので、鑑定自体は実施していたと説明。「裁判には正規の鑑定結果を提出しているため問題はない」としている。

 また、鑑定結果を所轄署に報告する際、所長公印を無断で使用した有印公文書偽造、同行使の疑いもある。

 科捜研には18人の職員がおり、研究員は1985年から勤務。薬物や自動車の塗料など、化学分野の鑑定を担当しており、発覚後の6日からは休職している。

 県警は発覚した以前の捜査でも捏造がなかったかどうか、任意で研究員の取り調べを続ける。容疑が固まり次第立件する方針。

 和歌山県警の小西順士こにし・じゅんし首席監察官は「あってはならない行為で、指導を徹底して再発防止に努めたい」とコメントした。

 警察による証拠品捏造では今年3月、大阪府警の警部が強盗強姦ごうかん事件の証拠品のたばこの吸い殻を捏造したことが発覚している。[1]』

科捜研の主任研究員がデータ流用をして捏造の疑いが持たれ、虚偽公文書作成・同行使罪で捜査されている。論文の捏造ではないが、やったことは上原亜希子や服部良之らと全く同じ。動機も「見栄えが悪かったから、過去の資料を使った」と服部と同じようなことをいっている。捏造をする動機は似たようなものなのか。

『捜査関係者によると、この研究員は化学部門を担当。麻薬やひき逃げ事故現場に残された車の塗膜片などの鑑定作業に従事しているが、以前行った同種の証拠品の鑑定書を流用し、件名などを書き換えるなどの方法で複数回、鑑定書をでっち上げた疑いが持たれている。[2]』

読売新聞の捏造手口の記事だと、本当に上原亜希子や服部良之らと全く同じ手口。読売の記事では「鑑定書をでっち上げた」とされているが、中国新聞の記事では「鑑定自体は実施していた」と説明されている。矛盾するように見える。おそらく文章が正確でないのだろう。鑑定をやらずに結果をでっちあげたなら捏造、鑑定をやったが他のものとすり替えたなら改ざんだ。どっちでもいいけれど。

こんなふうに刑事裁判で人の一生を左右するかもしれないような証拠を捏造、改ざんするのは絶対に許されない。

ところで、研究不正に関心のある読者の中には気付いた人もいるでしょう。「同じことをやって科捜研の主任研究員は犯罪になるのに一般の研究者はなぜならないのか?」と。一般の研究者でも国公立の大学や研究所の職員の捏造、改ざんはこの科捜研の職員と同じく虚偽公文書作成・同行使罪になります[3]。鑑定書でやるか論文や口頭発表資料でやるかという違いだけです。

では、なぜ上原亜希子などの捏造研究者は逮捕され、有罪とならないのでしょう?それはおそらく前例がなく、告訴・告発されないからです。告訴・告発されれば逮捕され、有罪になることは十分考えられます。例えば捏造論文数の最高記録を更新した藤井善隆のように、非常に悪質なことをやっても諭旨退職で済んで、医師をしゃあしゃあと続けていく人に対して制裁が軽すぎると思うならば刑事処罰を受けさせるのも一つの考えでしょう。

ちなみに、告発は誰でもできるし、告発があれば警察は受理・捜査・送検義務があります[4][5][6][7]。

参考
[1]中国新聞(web) 2012.8.16
[2]Yomiuri Online 2012.8.16
[3]世界変動展望 著者:"研究不正を防ぐための罰則強化策について" 世界変動展望  2012.5.15
[4]刑事訴訟法第239条1項 何人でも、犯罪があると思料するときは、告発をすることができる。
[5]犯罪捜査規範第63条1項 司法警察員たる警察官は、告訴、告発または自首をする者があつたときは、管轄区域内の事件であるかどうかを問わず、この節に定めるところにより、これを受理しなければならない。
[6]刑事訴訟法第189条2項 司法警察職員は、犯罪があると思料するときは、犯人及び証拠を捜査するものとする。
[7]刑事訴訟法第242条 司法警察員は、告訴又は告発を受けたときは、速やかにこれに関する書類及び証拠物を検察官に送付しなければならない。