今回は論文の重複発表をごまかす手口を紹介します。まずはじめに、なぜこのような手口がとられるのか説明します。研究者の重要な評価対象に発表論文数があります。これによって採用、昇進、予算獲得などが決まるので、どの研究者も発表論文数を高くしようと考えています。そこで二重投稿といった不正にはしる研究者が出るのですが、二重投稿は不正行為です。
なぜ二重投稿が不正行為となるかといえば、業績水増しになることも理由の一つでしょうが、大きな理由に新規性のない発表をすることが挙げられます。論文や口頭発表では、総説論文等一部の例外を除いて、オリジナリティを求められるため原則として新規性のない発表はできません。
ではどうすれば論文数を高くできるのか?代表的な手口は次のものです。
(1)少しだけ新しい結果を加えて重複発表
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/57/9255ce7731e990d192dfe3ab34a0f1ea.jpg)
図1 少し新規の結果を加えて重複をごまかす手口 [1]
図1のAPL論文(ジャーナルの査読付論文)とMSE論文(国際会議の査読付プロシーディングス)は重複発表の論文です。図も文章も酷似しています。APL論文が後発論文です[1]。
全く同じ文章やデータでは誰が見ても二重投稿になってしまいます。ではこの著者はどうしたかというと図1のように少し新規の結果を加えて、重複をごまかしました。図1左図と右図を比べると左図の下の2つのグラフだけ差分があることがわかります。著者の意思としては
「新しい結果を発表している。決して重複発表ではない。」
と主張するつもりです。客観的にはこの2つのグラフだけを追加しただけでは、新しく発表する価値はなく実質的に重複なのですが、それでも著者は「新規性はわずかだが、この部分を加えることに十分な意義があるんだ!」と不正行為にならないために強く主張します。
実際これはよくある重複逃れの手口です。
(2)少しだけ条件を変えて実験をやり直す
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/32/17526e5605e4ab0d555c61314a76e0bc.jpg)
図2 条件を変えて重複をごまかす手口 [1]
もう一つよくあるのが条件を少しだけ変更して実験等をやり直す手口です。同じ発表をすると新規性がなく不正行為になってしまうので、少しだけ条件を変えて実験やシミュレーションをやり直し、新規の研究成果とごまかすわけです。実験だと手間なので、この手口はシミュレーションで行われることが多いと思います。著者としては
「新しい実験やシミュレーションをやっている。決して重複発表ではない。」
と主張するつもりです。(1)と同じく客観的にはただの重複逃れのための細工なのですが、著者はあくまで「少しだけ変更しているが、この変更に重要な意義がある。新規性の十分ある発表だ!」と不正行為にならないための主張を貫きます。
図2はその典型例で、実験条件を少しだけ変えて、(実際は本当に同じなのですが)同じような実験結果を載せて重複をごまかしています。
これもよくある重複逃れの手口です。
(3)常識的判断
著者は少し新しい結果を加えたり条件を変えて分析をやり直したりして重複発表でないつもりですが、皆さんお気づきのように、そういう主張はほとんどの研究者に通用しません。研究発表の内容を見てほとんど新規性がなく、改めて発表する価値を感じない場合は、
「少し新しい結果を加えたり、条件を変えてやり直しているのは重複をごまかすための細工だな。重複発表をごまかしたいんだな。」
とほとんどの人が見抜きます。なぜわかるのかと問われると回答に少し困るのですが、一言でいうと常識的にわかるからです。例えばある人がサッカーを一生懸命練習している様を見れば、ほとんどの人がその人はサッカーが上達したいと思っていると判断するのと同じことです。わずかな変化に改めて発表するだけの合理性が全く感じられない場合は、重複をごまかすための細工と考えるのが自然です。
実際、(1)(2)の細工を施しても建前上は二重投稿になります。二重投稿は全く同じ発表をすることだけでなく、「本質的に同じ研究成果を重複して投稿すること」も含まれると考えられているからです。
ただ、これはあくまで建前上の話で、現実の取り扱いは様々です。二重投稿かどうかは部署によって、かなり主観的に判断されます。その理由は「本質的に重複している」ことの判断が難しいことや二重投稿の定義が部署によって微妙に違うことが挙げられます。
もう一つは「不正行為の判断を避けたい」という意思があるためです。二重投稿は不正行為のため、認定すればジャーナルや著者、その所属機関の不祥事となります。多くの関係者にとってデメリットしかありません。だから、「できる限り不正行為と判断するのはやめてやろう。」という意思がどの部署でもはたらくのです。そのため内心二重投稿と思っていても、わざと「二重投稿でない」と判断することは珍しくないのです。無論、道徳や規律に違反した対処です。私見ですが、私は本当は二重投稿なのに不正の認定を避けるためわざと二重投稿でないと判断しているケースの方が多いと思います。
こういうのは不正の握りつぶしであって、不正行為は見逃すという風習を研究界につくることになりました。最近世界最高の大規模捏造が発覚した藤井善隆事件が20年以上にわたって、170編以上の論文で捏造が見逃されてきた原因の一つは、このような不正に対する極めて無責任かつ消極的な態度が研究者や研究界の風習として根付いているからだと思います。
例えば上で紹介した図2の細工はほとんどの人が「重複をごまかすための細工」と判断します。つまり、"故意"の変更だったと内心誰しもわかっています[2]。実は図2は実験をやり直した結果ではなく過去の結果を流用したものなので、単なる重複発表ではなく捏造です。しかし、ジャーナルの編集委員会や大学の調査委員会が判断すると、わざと過失と判断することが多いです。無論、不正の認定を避けるためであり、原因は上で述べたように研究界の悪い風習のためです。井上事件は本当にそういう対処です。
読者のみなさんには、(1)や(2)の事例を通して、著者の「重複をごまかす意思」を感じていただければと思います。調査のときに、著者は必ず「過失だ。」「十分新規性のある発表だ。重複でない。」と主張します。しかし、意図的な重複発表かどうかの判断は(1)(2)で紹介したような細工という客観的側面から内心を判断するのが有効だということを知っていただければと思います。
それにしても研究者や研究界の自律性のなさ、不正行為を見逃す悪い風習は必ず改善しないといけないと思います。
参考
[1]齋藤文良氏らの記者会見資料 2012.3.6
[2]実際これだけ見ると記載ミスと考える方もいるかもしれませんが、井上の場合は同じミスが大量にあり、とても過失とは考えられません。また、データを単に使いまわすだけでなく、左右反転や上下反転などの偽装工作が加えられており、「重複をごまかす意思」がなかったと考えるのは合理的ではありません。