世界変動展望

私の日々思うことを書いたブログです。

フェルマーの最終定理を否定する自然数解に限りなく近い解

2009-04-30 01:50:11 | 物理学・数学

●フェルマーの最終定理

この定理は1635年頃、フランスの数学者ピエール・ド・フェルマーによって提起され、1995年にイギリスの数学者アンドリュー・ワイルズによって証明された。この定理の証明は伝説的な難問で、これまで数多くの著名な数学者が証明や反例に挑戦し、約360年間解決しなかった。フェルマーの最終定理の証明は最近20年の数学の証明で最も顕著な業績といえる。

上述のように、フェルマーの最終定理は正しいことが証明されているので、nが3以上の自然数の時に、xn + yn = zn を満たす正の整数解(x, y, z)は存在しない。

しかし、フェルマーの最終定理を否定する正の整数解に限りなく近い解を考えることは可能である[注意1]。一例は次の考えである。

[説明]

[説明終了]

無論、これはフェルマーの最終定理の反例ではない。N → ∞で  ε → 0 、つまりz → 1となるが、無限大でz→1ということは、ずっとzは自然数1にならないということである。「1/3 = 0.333・・・⇒ 1/3×3 = 1 = 0.999・・・ ⇒ よって、限りなく近いことは等しいことである。」のように考えて、1+ε=1 などと考えてはいけない。

また、「N → ∞のとき、 z → 1 だから無限大の自然数ではx=y=z=1」などとするのも間違いである。x=y=z=1では 「1 + 1 = 1 」となり、不合理であることは明らかである。そもそも無限大に自然数、有理数、無理数の区別があるのかわからない。無限に大きい自然数、有理数、無理数というのはいずれも考えられるが、無限大という概念は非専門家の私にはよくわからない性質だ。きちんと数学を学べば確かに正しいことを答えられるのかもしれないが、私の数学の学力では残念ながらできない。

上記の私の説明が正しいならフェルマーの最終定理を否定する正の整数解に限りなく近い解を考えることは可能だ。しかし、フェルマーの最終定理を否定する正の整数解は決して得られない。

上記の議論も数学の非専門家である著者が述べていることなのでどこまで正しいのか不明だが、フェルマーの最終定理が証明されているにも関わらず、これを否定する正の整数解が発見されたら数学界はたいへんなことになるだろう。

そういうのはファンタジーだが、この定理に限らず完全に証明されたと信じられている定理の反例が見つかる事例がおきるのを見たい。

注意
[1]「フェルマーの最終定理を否定する正の整数解に限りなく近い解を考えることは可能である」という文章は誤解を招くおそれがあるので、説明します。フェルマーの最終定理は正しいので、「フェルマーの最終定理を否定する正の整数解」は存在しません。よって、存在しない解に限りなく近い解を観念し得ないと反論されるかもしれません。私がこの文章で述べたいのは「フェルマーの最終定理を否定する正の整数解が存在して、それに限りなく近い解を考えることができる。」ということではないので、そのように解釈しないでください。

私が言いたいのは『xn + yn = zn を満たす正の実数解x, y, zの中には、x, y, zのうち2つが正の整数で、残りの1つがある正の整数に限りなく近い数である解を考えることができる。』ということです。[説明]のとおり、Nを大きくしていくとこの解はフェルマーの最終定理を否定する結果に限りなく近づいていくので、「フェルマーの最終定理を否定する正の整数解に限りなく近い解を考えることは可能である」と表現しています。


北朝鮮、安保理に謝罪要求、追加的核実験を宣言

2009-04-30 00:23:05 | 政治・行政
北朝鮮は人工衛星打ち上げと称した長距離弾道ミサイルの発射を非難した国連安保理の議長声明に反発し、安保理が謝罪しなければ、追加的な自衛的措置として核実験と大陸間弾道ミサイル発射を行うとの報道官声明を発表した[1]。

これでますます北朝鮮の孤立化が進むだろう。北朝鮮はどうしても核実験して核兵器を持ちたいらしい。すでに核兵器を持っているのかもしれないが、日本の防衛が心配だ。

北朝鮮はいつもこのように相手国に脅威を示して外交を進める手段をとるが、こういうやり方がどれほど有効なのだろうか。

参考
[1]時事通信 2009.4.29

海の不思議

2009-04-29 19:20:14 | 合唱・音楽

『海の不思議』(作詞・川崎洋、作曲・平吉毅州)は1989年(平成元年)のNHK全国学校音楽コンクール中学校の部の課題曲として作られ、現在でも合唱コンクールでよく歌われる。

この曲自体はとてもよい曲だと思うのだが、歌詞は昔から疑問だった。

「 海は広くて限りなく海の不思議も限りない。
①五千万年むかし絶滅したと思ってたシーラカンスが泳いでいる。

②人間は宇宙へ飛んで月の石まで持ち帰ったが地球の海の一番深いところへはとてもじゃないがまだ行けない。
ああ、月より遠い海なのだ。
(中略)

③夜になってもずっと水平線は明るさをほのかにそっと残している。

④あの向こうはるか彼方に、伝説の里ニライカナイが。泉のように炎があふれ
続けてて、太陽は日々その中から新しくうまれるという。」

①は調べてみると本当であることがわかった。goo国語辞典によると「シーラカンス:シーラカンス目の海魚。全長約1.5メートル。色は全身が青褐色を帯びる。シーラカンス類は古生代に出現し、白亜紀[用語1]に絶滅したと考えられていたが、1938年、南アフリカ東海岸で発見。原始的な形質を有するので、生きた化石といわれる。コモロ諸島周辺に多い。 」との事。シーラカンスが現生しているのは間違いない。

②人類が地球上で最も深い海の底に到達したことがなく、行くのはとても無理であるというのは嘘である。世界最深は西太平洋,マリアナ諸島の東側にあるマリアナ海溝のチャレンジャー海淵(現在の測定で深さ10911m)で、1960年1月23日にアメリカ海軍の協力のもとにオーギュスト・ピカールが開発した潜水艇バチスカーフ・トリエステ号にドン・ウォルシュ大尉とオーギュストの息子ジャックが搭乗してマリアナ海溝・チャレンジャー海淵に挑戦し、チャレンジャー海淵の底まで到達した。

人類が月面に着陸したのは1969年7月20日で、アポロ11号が月の静かの海に着陸し、ニール・アームストロング船長が人類で初めて月面に降り立った。

つまり、人類が海の最深部へ到達したのは月に到達する前の話である。歌詞を作ったときにはこの事実はすでに知られているはずだから、海を賛美するための作詞者の粉飾・でっちあげであると思われる。

ちなみに、日本の無人探査機「かいこう」も1995年5月にチャレンジャー海淵の10911mまで潜った記録がある。

③これは本当かどうかわからない。もし、本当だとすると科学的に理由がきちんとあるはずである。

④ニライカナイとはgoo国語辞典によると「奄美(あまみ)・沖縄地方で信じられている、海の彼方あるいは海の底・地の底にあり、年ごとに神が訪れ、豊穣を約束してくれるとされる楽土。」。これは伝説であり、歌詞はまったくの荒唐無稽な話である。

以上、海の不思議の歌詞は海を賛美するために海の偉大さや不思議さを粉飾し、でっちあげているだけだが、曲自体はとてもよいと思う。

用語
[1]白亜紀:「中生代最後の紀。今から約一億四三〇〇万年前から約六五〇〇万年前までのおよそ七八〇〇万年間。大規模な海進があり、アンモナイト・ベレムナイト・斧足類・腹足類などが栄え、恐竜類も繁栄した。末期には世界的に海退があり、動物界は激変した。 」 goo国語辞典より


楽天・野村監督通算1500勝、田中将大開幕4連続完投!

2009-04-29 17:47:57 | スポーツ・芸能・文芸
29日、楽天は日本ハムに2-1で勝利した。野村監督は監督通算1500勝を達成、監督の通算1500勝はプロ野球史上5人目。

一方、田中将大は開幕から4連続完投勝利。しかも、36イニング登板してたったの2失点という素晴らしい内容。この記録も十数年ぶりらしい。

2人ともすばらしい記録だ。

殺人時効成立後に出頭した者への損害賠償認める、除斥期間適用せず-最高裁

2009-04-29 00:28:07 | 社会
『1978年に東京都足立区立小の女性教諭を殺害して自宅の床下に埋め、殺人罪の時効成立後の2004年に自首した元警備員に自宅の床下に埋め、殺人罪の時効成立後の2004年に自首した元警備員の男に遺族が損害賠償を求めた訴訟の上告審判決が28日、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)であった[1]。

同小法廷は、不法行為から20年で賠償請求権が自動的に消滅するとした民法の除斥期間を適用せず、殺害行為に対する賠償責任を認め、男の上告を棄却した。計約4200万円の支払いを命じた2審・東京高裁判決が確定した[1]。最高裁が除斥期間を適用しない判断をしたのは98年の予防接種禍訴訟の判決以来2件目。

 判決は、元警備員について、「被害者を殺害したうえ、被害者の相続人(遺族)が被害者の死亡の事実を知り得ない状況を作り出した」と指摘。「相続人が一切権利行使できない原因を作った加害者が損害賠償義務を免れることは、著しく正義・公平の理念に反する」と判断した[1]。』

刑事事件の方でも最近時効撤廃の動きがあるが、最近の殺人事件の遺族感情を考慮した判決といえるだろう。この判決は民法の除斥期間の規定を無視して損害賠償を認めたものだが、法的安定性を欠くのは否めない。

問題はどのような時に除斥期間が適用されないのか、基準が不明確だという点だ。判例は「相続人が一切権利行使できない原因を作った加害者が損害賠償義務を免れることは、著しく正義・公平の理念に反する」というが、損害賠償の請求権者が加害者を知らなかったり、被害を知らなかったため権利を一切行使できないという事は本件に限らずいくらでもある。いったいどういう時に除斥期間は適用されなくなるのか。

思うに、損害賠償の請求権者が加害者を知らなかったり、被害を知らなかったため権利を一切行使できなかったとしても20年たてば不法行為の損害賠償請求権が消滅するというのが本来の除斥期間規定の原則だ。

法律の条文を無視した判例である以上、この判例が適用されて除斥期間が考慮されないのは極めて例外的なケースにとどまるだろう。除斥期間の規定を無視しなければ、正義公平が保たれない時に最終的な手段として適用される判例であると考える。

参考
[1]YOMIURI ONLINE 2009.4.28

地球が私を愛するように

2009-04-29 00:27:38 | 合唱・音楽
「地球が私を愛するように」(作詞・山川啓介、作曲・野田暉行)は1991年NHK全国学校音楽コンクール中学校の部課題曲となった曲である。おそらく、1991年頃作曲されたと思われる。

1991年のNHK全国音楽コンクールの課題曲は高校の部の「聞こえる」(作詞 岩間芳樹、作曲 新実徳英)の方が有名になったが、ちょうど同じ年の中学校の部の課題曲が「地球が私を愛するように」である。

野田暉行の曲は児童向けの「空がこんなに青いとは」(作詞・岩谷時子)が有名だが、この曲も1970年度のNHK全国学校音楽コンクール小学校の部課題曲であった。「地球が私を愛するように」はそれほど有名な曲ではないが、一度聴いた時に印象的だったので覚えている。

この曲も「地球に感謝しましょう。」ということがテーマの曲だが、きっとこの曲で合唱を作り上げるのは難しいだろう。

正確な歌詞は忘れたが、出だしの「それは例えば午後の海、素足で砂を歩く時、不意に心の唇を、思わずこぼれる言葉です。」というのが妙にロマンティックで色っぽい感じがするのは私だけだろうか。この歌詞の語り手は恋人がいる又は新婚の若い女性という設定なので、そんな感じがするのだろう。

また「地球よあなたは愛してくれる・・・崩れ去る壁で・・・」という歌詞があるが、これはおそらく1989年11月9日に崩壊したベルリンの壁のことだろう。ベルリンの壁崩壊は人々にとって喜ばしいことだったようだ。同じ年度の高校の部の課題曲「聞こえる」(作詞:岩間芳樹 作曲:新実徳英)でも「壁越しに歓喜の歌が聞こえる」といった歌詞でベルリンの壁崩壊が歌われている[1]。

「聞こえる」の方が「地球が私を愛するように」より有名なせいか、ベルリンの壁崩壊が歌詞に表れている曲として「聞こえる」は結構知られているが、「地球が私を愛するように」はあまり知られていない。

同じ年度の課題曲なので作詞・作曲の際に共通のテーマがあるかもしれない[2]。

この曲はそんなに好みの曲ではないが、悪い曲でもない。

参考
[1]世界変動展望 著者:"聞こえる" 世界変動展望 2009.2.23
[2]NHK全国音楽コンクールの課題曲は学校間で練習時間に不公平がないように、毎年コンクール用に作られるのが原則である。

IN TERRA PAX

2009-04-29 00:27:09 | 合唱・音楽
「IN TERRA PAX」は合唱組曲「IN TERRA PAX―地に平和を」(作詞・鶴見正夫、作曲・荻久保和明)の最後の曲で、1990年に作曲された。2番目の「OH MY SOLDIER」もたまに見かけるが、最終曲である「IN TERRA PAX」の方がよくみかける。

「IN TERRA PAX」とはミサ曲「Gloria」の一文に記されている「Et in terra pax hominibus bonae voluntatis.(そして、地の善き人々に平和を)」による。

この曲は最初の伴奏が長い階段を一気にのぼるような演奏だ。この部分はどうやって指揮するのだろう。合唱組曲「IN TERRA PAX―地に平和を」は有名で、調べてみると大学の合唱団でも定期演奏会の邦人曲として演奏しているところがある。

合唱組曲「IN TERRA PAX―地に平和を」は戦争関係の歌なので、あまり好きな曲ではない。合唱組曲「IN TERRA PAX―地に平和を」の中では最後の合唱組曲「IN TERRA PAX」が一番よいと思っている。この曲はとてもきれいだ。

戦争が永遠になくなって平和であってほしいと誰でも思っているだろうが、それは無理じゃないかと最近あきらめ気味である。

ひとつの朝

2009-04-29 00:26:39 | 合唱・音楽
「ひとつの朝」(作詞・片岡輝、作曲・平吉毅州)は1978年・1984年にNHKコンクールの高校の部課題曲となった曲。後に、2曲「時の狩人」「樹よ」が追加され、合唱組曲「ひとつの朝」になった。

変な曲が課題曲になることが多いといわれるNHK合唱コンクールの課題曲の中で好評得た曲である。合唱コンクールではよく歌われる。

ノアの箱舟が歌詞に出てくるが、新しい世界に進むのはなかなか大変である。

私はこの曲の最初の伴奏が好きである。

怪獣のバラード

2009-04-29 00:25:32 | 合唱・音楽
怪獣のバラード(作詞・岡田冨美子、作曲・東海林修)は1972年にNHKで放送されていた「ステージ101」でコーラスグループ「ヤング101」の歌で発表され、同年9月25日に発売されたヤング101のアルバム『怪獣のバラード』に収録された曲である。

これも中学校の合唱曲でよく歌われている。この曲はとても元気な感じの曲で、おもしろい歌詞だ。私はあまり好きな歌ではないが、よく歌われるということはそれだけ好きな人がたくさんいるのだろう。

この歌詞の怪獣の気持ちはさっぱりわからないままだ。

大地讃頌

2009-04-29 00:25:01 | 合唱・音楽
大地讃頌(作詞・大木惇夫、作曲・佐藤眞)は『混声合唱とオーケストラのためのカンタータ「土の歌」』の最後の第7楽章として、1962年に作曲された。中学校では合唱コンクールでよく歌われる。

私はそんなに悪い曲だと思わないが、それほど好きでもない。知人の話によると、大学の合唱団の定期演奏会を聴きに行ったときに、この曲を最後に演奏したとき、団員が泣きながら歌っていたという。

泣くような曲ではないと思うが、がんばってきた定期演奏会がフィナーレを迎えて感慨ふけるものがあったのだろう。

「母なる大地を、ああ~」で終わるが、そう歌われても何の感慨もわかない。

公然わいせつ罪、草剛の責任阻却、警察の違法捜査について

2009-04-28 17:56:55 | 法律
公然わいせつ罪(刑法174条、参考[1])の構成要件は「公然とわいせつな行為」をすることであるが、同罪の成立には公然性とわいせつな行為が必要である。

公然とは不特定または多人数が認識できる状態をいう(最高裁判決昭和32年5月22日)。不特定であれば少人数でもよく、多数であれば特定人の集まりであってもよい。また、現実にそれらの者がわいせつ行為を認識することを要せず、その可能性があれば足りる。

4月25日付けのYOMIURI ONLINEによれば、草なぎ剛が全裸なった事件は深夜とはいえ男性が公園にいたらしいので、公然性の要件は満たす。

「わいせつな行為」とは判例によれば「徒に性欲を興奮または刺激せしめ、且つ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(最高裁判例昭和26年5月10日)とされる。

草なぎ剛の行為は全裸になるものであり、普通人の性的羞恥心を害すのでわいせつ行為に該当する。

しかし、わいせつの概念は一般人からの視点では明らかではなく、裁判所が意味を明らかにしてはじめて規範性を持つ規範的構成要件要素である。そのため、裁判官等でなければ構成要件の意味がわからず「その行為をしてはならない」という規範に直面したといえないので故意があるのかが問題となる。

思うに、裁判官など法律家でなければ規範の問題に直面したといえず故意がないとしたのでは法益保護がはかれないため、わいせつ行為の場合は法律家ほど構成要件の意味を理解していなくても素人水準で「いやらしいもの」というレベルの認識があれば規範の問題に直面したといえ、故意が認められると考える。(「意味の認識」)

草なぎ剛の事件の場合は「いやらしいもの」という認識はあるので、構成要件的故意を満たす。また、違法性も満たすだろう。

しかし、草なぎ剛の場合は泥酔し全裸になった時点で判断能力があったかどうか疑わしい部分もある。また、草なぎの社会的損失を考えれば草なぎ剛が全裸になる利点は全くないので、全裸になるために泥酔したとは通常考えられない。そのため、いわゆる原因において自由な行為の法理は適用されない[2]。

草なぎの当時の体調や供述を詳しく調べないとわからないが、草なぎ剛は行為当時判断能力がなかったとして責任阻却される可能性がある[3][11]。具体的には責任能力の鑑定を行って、責任能力がなかった若しくは責任能力の立証が困難だった場合は不起訴になると思われる。

思うに、本人は「気がついたときには警察にいた。」と供述しているが、草なぎ剛は警察官に声をかけられたとき「裸で何が悪い。」と反抗したことを考えると、簡単な受け答えや判断はできる状態であり、簡単な判断である「全裸をみせるのはいやらしいことだ」という程度の判断能力はあったかもしれない。

検察官が総合的に考慮して草なぎが行為当時責任能力がなかった、又は責任能力の立証が難しいと判断されれば、責任阻却となり草なぎ剛は起訴猶予でない不起訴となる。裁判官がそれと同じように判断すれば仮に草なぎは起訴されても無罪である。少なくても、犯罪の軽微さを考えれば最悪でも起訴猶予だろう。報道や参考[11]を考えると今回は起訴猶予の公算が大きい。

草なぎが単純酩酊、複雑酩酊、病的酩酊のうちどれだったのかはきちんと調べないとわからない。今回は単純酩酊だったとしても起訴猶予だろうが、単純酩酊か病的酩酊かは犯罪の成立を左右する重大事項だから、それをきちんと調べてもいいと思う。草なぎにとっても単純酩酊で公然わいせつしたのか病的酩酊で公然わいせつしたかでは今後の職業人生で影響が違う可能性があるし責任能力を争う利点はあると思う。調べてみると草なぎが単純酩酊だという人もいれば病的酩酊だという人もいるので、少なくても病的酩酊と判断される可能性が全くないわけではないと思う。単純酩酊、複雑酩酊、病的酩酊のうちどれなのかは、鑑定をして明らかにした方がいいと思う。

一方で今回の警察の草なぎ剛宅への捜索は違法の疑いがある。捜索は強制捜査で令状が必要である[7]。今回の捜索は令状にもとづくものだろうが、普通に考えると公然わいせつで家宅捜索を行う必要性は乏しい。

また、尿検査(たぶん、草なぎへの採尿検査は任意捜査。無論令状があれば強制採尿もありえる[8]。)をしたという事実を考えると捜索の目的は麻薬等の発見を目的として行ったと思われる。つまり、別件での捜索である疑いがある。

麻薬取締法違反(大麻取締法違反、覚せい剤取締法違反などのこと。以下これら薬物関連の犯罪を麻薬取締法違反と略す。別件捜索の場合の本件に該当。[13])での捜索か公然わいせつ罪(別件捜索の場合の別件に該当。[13])での捜索かを判断するのは警察官の内心に踏み込んだ判断なので簡単には判断できない。このような場合は、別件および本件の犯罪としての軽重の比較、関連性、本件の取調べに要した時間を含めた逮捕後の取調べ状況、別件と本件の捜査が当初から併行して行われていたか否かなど客観的状況から総合的に判断すべきである。

思うに、公然わいせつ罪(6月以下の懲役)と麻薬取締法違反(例えば大麻所持-5年以下の懲役、覚せい剤使用-10年以下の懲役[5])では罪の軽重の差が大きい。

関連性については公然わいせつ罪と麻薬取締り法違反の罪質を考えると一般には関連性が薄いと考えられるが、酩酊による混乱も薬物による混乱も混乱という点では共通しているから、関連性が全くないとも言い切れないかもしれない。

しかし、混乱しているというだけで麻薬取締り法違反との関連性が肯定されるなら、全ての酩酊者は麻薬取締り法違反で取り締まられかねないので、自由保障上妥当でない。

そこで、少なくとも麻薬取締り法違反を疑わせる他の客観的な証拠がない限り混乱しているというだけで関連性を肯定し、プライバシー侵害が著しい捜索を認めるのは妥当でない。関連性を肯定するには例えば、被疑者が全く酒臭くないのにひどく混乱しているといった状況が必要だと考える。

結果的には草なぎは薬物に関して全く嫌疑がなかったことを考えると、逮捕時に薬物による混乱を疑わせる客観的事実はなかったものと推察される。よって、当該事件では関連性も乏しい。

さらに、公然わいせつ罪の証拠が現行犯逮捕時で十分にあったことや公然わいせつ罪に対する家宅捜索や尿検査の必要性が乏しいことを考えると、警察が行った家宅捜索や尿検査はもっぱら麻薬取締法違反のための捜査だと考えられる。

以上より、警察の行った家宅捜索は別件捜索である疑いが強く、実質的に令状主義を潜脱し、違法である疑いが強い[10]。

特にプライバシー侵害が著しい捜索で別件捜索するのは、任意捜査以上に許されない。裁判所も捜索令状請求をきちんと審査し、捜索令状請求を却下すべきではなかったか。また、警察がこのような捜査を行うのは断じて許されない。

参考
[1]刑法174条:公然とわいせつな行為をした者は、六月以下の懲役若しくは三十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。

[2]原因において自由な行為の法理:完全な責任能力を有さない結果行為によって構成要件該当事実を惹起した場合に、それが完全な責任能力を有していた原因行為に起因することを根拠に、行為者の完全な責任を問うための法理。例えば、殺人を犯すために覚せい剤を使用し錯乱状態になって殺人を犯した場合に殺人罪の罪を問う場合に用いる。

[3]犯罪は、構成要件、違法性、責任の3段階がすべて認められて成立する。責任が成立するためには規範の問題に直面して反対動機を形成できる能力が必要である。病気や泥酔、麻薬などによって一時的又は恒常的に心神喪失した場合に犯罪の構成要件該当行為を行った場合は、規範の問題に直面して反対動機を形成できないため責任阻却され、無罪となる[4]。

[4]刑法39条1項:心神喪失者の行為は、罰しない。

[5]大麻取締法第24条の2第1項:大麻を、みだりに、所持し、譲り受け、又は譲り渡した者は、五年以下の懲役に処する。

(私見)
大麻吸引など通常の大麻違反使用者である研究目的外の大麻使用を直接取り締まる条文はない。おそらく、大麻を所持しなければ使用もできないはずだから、通常の大麻違反使用者は大麻取締法第24条の2第1項の大麻所持違反で取り締まられていると推測する。

[6]覚せい剤取締法第41条の3 1項: 次の各号の一に該当する者は、10年以下の懲役に処する。
一 第19条(使用の禁止)の規定に違反した者

[7]現行犯逮捕では必要な場合、無令状捜索ができる。

刑事訴訟法第220条第1項 検察官、検察事務官又は司法警察職員は、第199条の規定により被疑者を逮捕する場合又は現行犯人を逮捕する場合において必要があるときは、左の処分をすることができる。第210条の規定により被疑者を逮捕する場合において必要があるときも、同様である。
一 人の住居又は人の看守する邸宅、建造物若しくは船舶内に入り被疑者の捜索をすること。
逮捕の現場で差押、捜索又は検証をすること

第2項 前項後段の場合において逮捕状が得られなかつたときは、差押物は、直ちにこれを還付しなければならない。

第3項 第1項の処分をするには、令状は、これを必要としない

草なぎの逮捕現場は自宅ではないので刑事訴訟法第220条第1項2号、同条3項は適用されず、家宅捜索を行うには刑事訴訟法第218条1項により裁判官の発する令状が必要となる[9]。したがって、草なぎ宅への捜索は形式的には裁判官の発した令状にもとづき行われたものと思われる。

しかし、本文で述べたとおり草なぎ宅への家宅捜索は実質的に令状主義の潜脱であり違法である疑いが強い。

[8]強制採尿は被疑者に耐え難い屈辱を与え人としての尊厳を侵すものだから、判例は強制採尿は嫌疑の重大性、嫌疑の存在、当該証拠の重要性とその取得の必要性、適当な代替手段の不存在に照らし、犯罪捜査上、真にやむを得ないと認められる場合に、最終的手段として、適切な法律上の手続きを得たうえ、被疑者の身体の安全とその人格保護のため、十分な配慮が施されたうえで、強制採尿が許されると考えている。

そのため、採尿検査は被疑者から任意提出を受け領置するのが原則である(刑事訴訟法221条)。判例によれば、強制採尿のためには医師をして医学的に相当と認められる方法で行わせなければならない旨の条件記載付の捜索差押さえ令状が必要である。

したがって、草なぎへの採尿検査は任意捜査である可能性が高い。

[9]刑事訴訟法第218条第1項: 検察官、検察事務官又は司法警察職員は、犯罪の捜査をするについて必要があるときは、裁判官の発する令状により、差押、捜索又は検証をすることができる。この場合において身体の検査は、身体検査令状によらなければならない。

[10]別件逮捕・捜索・差押えは違法であるが、警察は常態的に行っているのが現実である。

[11]飲酒時に行った犯罪についてはビンダーという学者が提唱した三分法という考えにより、酩酊状態を

①単純酩酊 → 完全責任能力あり → 通常通りの罰則
②異常酩酊-(1)複雑酩酊 → 限定責任能力(心神耗弱)→ 必要的減軽
       -(2)病的酩酊 → 責任無能力(心神喪失) → 無罪

と分類して扱うのが実務で広く使われているという。公然わいせつ罪のような重大でない犯罪については通常責任能力鑑定されないらしい。
(以上、弁護士・落合洋司:「日々是好日」 2009.4.25 より)

とすると、草なぎは起訴猶予になる可能性が高い。
[12]単純酩酊、複雑酩酊、病的酩酊については「酩酊の分類

[13]別件捜索とは「もっぱら本件について証拠を発見・収集する目的で捜索の理由と必要性がない、または乏しい別件により捜索を行うこと」である。草なぎの事件の場合は、本件が麻薬取締法違反であり、別件が公然わいせつ罪である。

内閣支持率28.2%

2009-04-28 00:53:33 | 政治・行政
『産経新聞社が25、26の両日、FNN(フジニュースネットワーク)と実施した合同世論調査で、麻生内閣の支持率は28.2%となり、前回調査(3月28、29日実施)より7・4ポイント増加、昨年11月調査(27.5%)の水準まで回復した。次期衆院選の比例代表の投票先は、自民党が34.6%、民主党34.0%で、麻生政権発足後では初めて自民党が民主党を上回った。自民党の党勢回復傾向が顕著になった。[1]』

麻生内閣の支持率が上昇している。これは麻生内閣が評価される仕事をしたというより、民主党の小沢代表の失敗で民主党に逆風がふいたことによる反射的効果だ。まだまだ政権交代してほしいという世論は強い。西松献金事件が起きる少し前の内閣支持率がどん底だった頃と比べれば多少は有利になったかもしれないが、まだまだ政権を維持できるほどの支持を自民党が得ているわけではない。

今後も内閣支持率調査を注目していくが、解散総選挙の時期はまったく不透明だ。ひょっとすると9月頃の任期満了まで解散しないかもしれない。解散しても8月とかギリギリまで解散しないのではないか。

参考
[1]産経新聞 2009.4.27

大学の数学に関する記事について

2009-04-27 02:05:50 | 物理学・数学
今まで大学レベルの数学を解説したことがなかったので、最近ワイエルシュトラスの定理やカントルの共通部分定理といった大学教養レベルの数学を紹介した。下は小学生から上は大学生・社会人まで幅広い層の数学に興味ある人を読者の対象としたかったためだ。

高校までの数学と大学の学部課程以降の数学では興味を持っている人の数がずいぶん違うだろう。多くの人に読んでもらえる内容は、初等的な内容が多いだろう。大学レベルの数学も面白いのだということを伝えたいが、今までの記事は定理とその証明を紹介するにとどまり、教科書との差分がほとんどない。大学レベルの数学を面白く伝えるのは難しい。それは初等、中等教育の数学も同じだが。

高等教育で学ぶ数学に関する記事はもう少し工夫が必要だ。

海賊版対策のため高橋留美子の新作「境界のRINNE」の英訳配信

2009-04-27 00:08:19 | 知的財産
22日から高橋留美子の新作「境界のRINNE」の連載が始まった。これと同時に漫画が英訳されて北米向けにインターネットで配信されている[1]。海外では日本のマンガを勝手に翻訳した違法な海賊版がネット上に横行しており、その対策として配信に踏み切った[1]。

『小学館や集英社などが出資する米国企業で、マンガの翻訳出版を手がける「VIZ Media」が英訳版を作成。同社が運営する高橋さんの英語版公式サイト(http://therumicworld.com)で第1回の配信を始めた。会員登録が必要だが無料。アクセスは北米からしかできず、印刷は不可。サンデー発売日の毎週水曜に更新していく。小学館によれば、「日米同時連載」はマンガ史上初の試みだ。

VIZの広報担当によると、海外で評価が高い日本のマンガは、ネットに多数の海賊版が出回っている。人気の高橋作品では、早ければ日本での発売から数日で海賊版が出回るという。画質が落ち、セリフの訳が間違っていることもある。こうした違法な粗悪品が野放しのままでは日本のマンガのイメージが悪化すると、出版社やマンガ家の間で懸念が強まっていた。

 「正確で美しい正規版を海賊版より早くファンに届け、単行本が出た際のセールスにつなげたい」とVIZの担当者。[1]』

インターネットで漫画を読む機会が今後増えていくだろう。英語版などの翻訳はオリジナルに比べて少し遅く発表されるのかと思っていたら、海賊版横行を防ぐため素早く発表する。発表前に原稿を英訳して同時発表するのだから、翻訳時そんなに時間はかからないということか。

私は日本語でも英語でも漫画の海賊版を読んだことがないので、どれほど品質が悪くなっているのかわからないが、ネットで英語版を無料でオリジナルと同時配信すれば海賊版を抑える効力があるだろう。

この試みは漫画界では初らしいので、どれほど効果があるか注目したい。

参考
[1]asahi.com 2009.4.25