かつてゴールデンカードといえば大山康晴-升田幸三、中原誠-米長邦雄、羽生善治-谷川浩司というカードがあったが、現在の実力からいって現在のゴールデンカードは羽生善治-渡辺明だろう。2年前のような大熱戦を期待している。
参考
[1]渡辺明:"挑戦者決まる。" 渡辺明ブログ 2010.8.30
運動方程式やマックスウェル方程式など現在見つかっている物理学の基礎方程式はみな時間反転対称性を持っている。時間反転対称性とは基礎方程式で時間tをt → -t と変換しても、元の方程式の状態と同等になる事をいう。簡単な例はニュートンの運動方程式である。
x(-t) は元の運動x(t)をビデオ撮影して、それを逆向き再生させた状態を示す。また、適切な初期条件を与えればx(t)の軌跡を逆向きにたどる事が可能である事も示す。これはこの運動が可逆過程であることを示す。
可逆過程とはある状態から別の状態に変化させまた元に戻す過程を考えたとき、外界になんの変化も及ぼさずにこの過程を実現できることをいう。つまり、時間反転対称性を持つ基礎方程式はすべて可逆なのだ。
しかし、現実の変化はすべて不可逆過程で、可逆過程は一つもない。例えば死んだ人が生き返るとか混ざったミルクとコーヒーが勝手に分離することはない。現在見つかっている物理法則はすべて時間反転対称性を持っていて可逆なのに、現実の物理現象はすべて不可逆なのはいったいなぜか。そういうことは熱力学や統計力学でよく論じられる。
それは私の想像では熱エネルギーを力学的エネルギー等他のエネルギーに転換するのが他のエネルギーから熱エネルギーに転換するのに比べて難しいからではないか。例えば物体の運動を摩擦で止めて熱エネルギーに転換するのは簡単だが、その逆は容易ではない。このようなエネルギー変換の非対称性は熱力学第2法則として現在知られている。
熱力学第2法則とは「ある物体から熱を取りそれをすべて力学的仕事に変えて、それ以外に何の変化も残さないようにする循環過程は不可能である」(トムソンの表現)ことをいう。ただ、この法則は経験則であり、現実の過程がすべて不可逆なのでこのように法則化されたのであり、別の原理から演繹的に導かれたものではない。では、なぜ熱エネルギーを他のエネルギーに転換するのが難しいのか。それはよくわからない。もし熱エネルギーの転換が容易になれば、世界はすごく変わるだろう。
理想気体の定圧比熱と定積比熱の間には"Cp-Cv = nR"という関係式が成り立つ。これをマイヤーの関係式という。Cpは定圧比熱、Cvは定積比熱、nは物質量、Rは気体定数である。この関係式の導出は参考[1]を参照。定圧比熱等ではなく定圧モル比熱での考察だが、基本的には同じである。マイヤーの関係式の導出は簡単だが、定圧比熱が定積比熱より大きい理由を定性的に説明できない人をたまに見かけるので説明する。
マイヤーの関係式の導出をやらなくても定圧比熱が定積比熱より大きいことは定性的に考えれば明らかである。比熱とは物質1グラムの温度をセ氏1度上げるのに必要な熱量をいう。つまり、比熱が大きいほど物質は温まりにくいということである。従って定圧比熱と定積比熱のうちどちらが大きいかを決めるには、定圧変化と定積変化でどちらの方が気体が温まりにくいのかを考えればよい。
定積変化を考えると、例えば100[cal]の熱量を気体に与えた時、気体は外部に対して力学的な仕事をしないから与えた熱量はすべて気体の内部エネルギーの上昇、すなわち気体の温度上昇に転換される。
一方で定圧変化を考えると、同じ100[cal]の熱量を気体に与えた時、その一部は力学的仕事に転換し、残りの部分が気体の内部エネルギーに転換する。そのため定積変化よりも内部エネルギーに転換される熱量が小さく温まりにくい。
すなわち、定圧比熱は定積比熱よりも大きい。
以上である。定圧比熱が定積比熱よりどれだけ大きいのか定量的に求めるには計算するしかなく、それは上述のマイヤーの関係式となる。内部エネルギーの上昇は気体の温度上昇を意味するのはよいだろうか。ミクロの立場から言えば、気体の内部エネルギーは気体分子又は原子の平均運動エネルギーの総和であり、温度に比例する。温度とは物体を構成する原子・分子の運動エネルギーの尺度を表す事を考えれば、内部エネルギーの上昇が温度上昇を示すのは当然である。ちなみに理想気体の場合内部エネルギーは温度のみの1価関数である。
これは高校レベルでも理解可能な説明だが、何か物理量を計算した場合、計算するだけでなくなぜそのような性質になるのか併せて考えると理解が深まるし、間違いを防止する事もできる。物理学は数学やテストではないから「計算しただけでおしまい。」というのは学問といえない。きちんと考える姿勢を忘れないでほしい。
参考
[1] マイヤーの関係式 Wikipedia 2010.8.18
2008年頃カンボジアのある夫婦が離婚するとき財産分与として文字通りに家を真っ二つにしたという話がある[1]。
離婚の財産分与として半分にされた家 (参考[1]より)
離婚した元夫婦は40年以上暮らした熟年カップルだったらしい。離婚原因はどちらが悪いのかよくわからない。このような財産分与はカンボジアでは弁護士を雇って離婚調停に資金がかかりすぎるため、家を半分にする方が効率が良く、公平な離婚方法だと主張する人もいるらしい。
しかし、端的にいってバカな事をしたものだと思う。これでは家が使い物にならないではないか。家を壊す社会経済的な損失の方が大きい。普通は家をそのままにして家の半分相当の金銭を受け取る等するだろう。元夫の方が家半分の材料を持って行き、元妻が残って住んでいるという。夫の選択らしいが、この方が経済的に儲かるというなら経済的な理由はわかるが、本当に儲かるのか?
これは日本のテレビ番組でも放送されたことがあり、上記の行為が元夫の元妻に対する嫌がらせのようにも見えるため、出演していた若い女性芸能人たちは皆「最低!!」と元夫を非難していた。元夫の主張では「財産分与なんだから当然だ!」、それを聞いた元妻は「あの人らしいですね。大嫌いです!」と余計関係が酷くなっていた。
こうした問題とは関わりたくないないが、こうした事の原因の一つに元夫、元妻ともきちんと話をしようとしていない事があると思う。元夫、元妻の話を聞いているとそのように感じる。お互いが排他的になった結果これほど不幸な結末となってしまった。お互いの排除・否定による悪循環の末路といえよう。
こうした結末の責任は元夫、元妻の両者にあり、離婚原因がどちらにあるかとは関係ない。番組に出演していた若い女性芸能人は元夫が一方的に悪いかのように非難していたが、こういう結末の責任は明らかに元妻の側にもある。この結末はお互いが排他的姿勢を続けていた悪循環の結末であって、そうした悪循環を作り出していた責任は元妻にもあるからだ。
排他的姿勢では悪くなっていくだけ、きちんと話し合いをして解決しないとお互いにとって良く生産的な状況とならないと以前主張した事があるが、上述の事例はまさに排他的姿勢で悪循環を作り大きな不幸を招いた典型例といえよう[2]。
人間関係のトラブルがおきたら、相手を排除するのではなくきちんと話し合いの姿勢を持つ事が大切だ[2]。
参考
[1] "Married Cambodian couple saw home in half after separation" BST 2008.10.8
[2]世界変動展望 著者:"話をすることの大切さについて" 世界変動展望 2010.6.4