みなさんは趣味をどのように楽しんでいるだろうか。真剣に取り組む人、そこそこの努力の人、いろいろいるんじゃないかと思う。学生時代の部活動やサークルなども職業として行っているものではなく趣味の範囲といえるかもしれない。
漫画などの創作作品の中にはひたむきに頑張る青春ストーリーとして活動を描くものがある。例えばスラムダンクなどはその一つかもしれない。
スラムダンク マイ フレンド
上はスラムダンクのEDでZARDが歌っていた。スラムダンクのひたむきな青春ストーリーに合った曲だと思う。湘北高校バスケ部が全国制覇を目指してひたむきにバスケに取り組む様は感動を呼び、発行部数は1億2029万部の大ヒットとなった。
こうしたものをみると部活動などに真剣に取り組む様がきらきらと光ってよいように思うのかもしれない。
では次の作品はどうだろうか?
弱キャラ友崎くん 1話
これは弱キャラ友崎くんというライトノベルの人気作のアニメ1話。主人公の友崎文也は友達や彼女などがおらず、本人の考えでは非リア充のようだ。しかし、アタックファミリーズ、通称アタファミというネット対戦型の格闘ゲームでは全国1位のゲーマー。そのためにひたむきで大きな努力を行ってきた。友崎君はスラムダンクのバスケ部員やキャプテンの赤木剛憲の大目標である全国制覇を達成した人物で湘北高校のバスケ部員や赤木剛憲などと同じように血のにじむような大きな努力をしてきた人物。対象がバスケかゲームかという違いだけだ。
しかしスラムダンクの場合はきらきらとした青春ストーリーとして描かれ、友崎君の場合は暗くマイナス思考として描かれている。
現実の世界でも部活動などにひたむきで真剣に取り組む者は多い。またゲームなどで上位の成績を求めてひたむきで真剣に努力する者もたくさんいる。しかし、ゲームなどを悪くとらえる事もよくあるのだが、なぜそのような違いが出るのかはいろいろ理由があるだろう。上のスラムダンクや弱キャラ友崎くんの場合はそもそも創作作品で、スラムダンクのバスケ部員のひたむきな努力がきらきらと光って見えるのは、そのように描いているというだけだ。弱キャラ友崎くんの場合マイナス思考の方に見えるのも、そのように描かれているだけだ。ただ、ゲームなどを悪くとらえる傾向がある気がするのだが、それは対象に対するイメージが原因なのだろうか。
東洋経済の文献によると『ほとんどの親は「ゲームはイコール悪いもの。できるだけやらせたくない。もっと有意義なことに時間を使わせたい」と思ってい』るらしい。ゲームを役に立たないとか無駄なもののように主張する事もあるが、そんな事をいったら野球やバスケ、合唱などの部活動・サークルなども同様だ。ゲームの全国優勝などは無意味で何の価値もないからゲームは意味がないというなら野球や合唱などで全国優勝や定期演奏会で立派な演奏をすることなど無意味で何の価値もないといえるだろう。そもそも趣味とは楽しむためのもので、そういうものである。
部活動などを人物的成長のためにやっている側面もあるが、ゲームもそれなりにコミュニケーション力を求められるものもあるし、それは趣味の目的ではない。人物的な成長や能力上げのための活動は趣味ではなく修行である。
無意味な修行を行っている者や趣味と修行を取り違えている者も多いかもしれないが、趣味でスポーツなどをやる者はそれなりにがんばってもらいたい。
そういえば昔、ルパン三世 血の刻印 〜永遠のMermaid〜で次のような会話があったと思う。
ルパン「次元、お前なんでこの仕事やってる?金が欲しいっていうんならこっそりと空き巣に入ればいいじゃないか。何のために予告状配って厳重な警備をかいくぐってお宝を盗むんだよ。」
次元「よりうまい酒を飲むためっていう理由じゃだめなのか?」
ルパン「だめなもんか。俺だって同じさ。」
ゲーム、野球、バスケ、合唱などをやる人たちはルパンでいうところのよりうまい酒を飲むためにやっているのだろうか?それでもいいかもしれない。
例えばゲームの場合、初期で有利になるためにリセマラを5時間くらいかけてやる人がいるようだが楽しみのためにやるのにそこまで初期の活動に労力を費やすのは割りあわないのではないか。野球、バスケ、合唱などの活動も似たような事はよくあると思うのだが趣味でやるのにやたらと苦労している人も多い。その人がそれでいいならそれでいいんですけどね。
野球や合唱の部活やサークルに入るとひたすら練習して何年も留年、あるいは留年すれすれという人たちもたくさんいるが、そういう人たちはソーシャルゲームの廃課金者たちと何が違うのだろうか。