子宮頸がんワクチンの捏造報道は現在でも報道されない。私は前に大学の公式発表前だから慎重になっているので報道されていない可能性を述べた。それもあるかもしれないが、ある全国新聞では子宮頸がんワクチンの被害者が傷つくので報道に反対する記者たちがいる事も原因だという。これを見てブラックジャックによろしくという漫画の記者の議論を思い出した。精神科医編の池田小学校事件をモデルにした殺人事件の犯行経緯を報じるべきかという議論だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/cc/eacd2047f2d4176aff20775e6e07eaa8.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/6c/b7c0da6b7aef6cae0e3482a3863eef9d.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/47/be3403b40bc7540e456c3ee9bb44a01d.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/28/9ea99c9bfe801d5191ccba583d9029cf.png)
ブラックジャックによろしく第11巻
要するに事件の遺族は上の事を報じると傷つくので報じるべきではないという主張。新聞社も各社の思想や考えに基づいて報道しているので、それによって報道したりしなかったりするのかもしれない。今回の子宮頸がんワクチンの捏造が新聞やテレビで報じられないのもこれと似たような部分があるのかもしれない。誰かが傷つくから報じない。そういう考えはわかる。
しかし、商売として報道するならこういう考えが必ずしも通じない事があると思う。上の漫画でも言及されたとおり、新聞等は読者のために報じられている。つまり、新聞社は社会に対して有益な情報を提供して、その対価として購読料をもらって商売しているところだ。だから、裏付けがとれて社会に有益な情報なら、情報提供者や利害関係者等の状況や思惑と関係なく基本的に報じるべきではないかと思っていた。これが私のようにボランティアでやっているなら話は別だが、お金を取るなら個人の主義、主張で報じたり報じなかったりすると商売にならないかもしれない。
例えば現実問題として新聞社等に恨みや利害関係で誰かの足を引っ張るためのタレこみはいっぱいあるだろう。例えば某政治家の足をひっぱるためにライバルやその関係者がその者と企業の癒着や贈収賄等のスキャンダルを新聞社や週刊誌に証拠を付けて情報提供する事があるかもしれない。取材してみると大スキャンダルは本当だという裏付けがとれたら、記者個人がライバルの足ひっぱりの片棒を担ぐのが嫌だと思ってもたぶん報道されるだろう。そのニュースが社会に伝えていくべき事だし、それがマスコミの職責だからだ。「足引っ張りの片棒を担ぐのが嫌だから報じません。」では商売にならないだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/30/3ec49afad696622e4349cfa174f96a49.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/91/aef0e775a6c774216df5f64c00fc0e64.png)
ブラックジャックによろしく第11巻
確かに子宮頸がんワクチンの捏造を報じれば被害者は傷つくかもしれない。しかし、本当は問題になった症状は子宮頸がんワクチンの副作用ではなく別なものかもしれないし、間違った副作用を信じてワクチンの接種を避けたら多くの人が死ぬかもしれない。それは大問題だ。だから、子宮頸がんワクチンが本当に危険かどうかはきちんと議論しなければならないし、そのための情報は必ず提供されなければならない。これは社会的にも非常に重要な事だ。それを伝えるのがマスコミの職責である。
報道が誰かを傷つける事はよくある。研究不正、政治家のスキャンダル、企業の不祥事などの報道は社会的に必要だから報じられるが必ず誰かを傷つける。誰かの足引っ張りや復讐の片棒を担ぐ事もあるだろう。しかし、報道の仕事をするというのはそういう事を覚悟する必要がある。そうでないと上でいったとおり商売にならないだろう。
社会に伝えるべき情報を報じるのがマスコミの職責だ。それを行わないと甚大な損害が起きる事がある。上の漫画の例や子宮頸がんワクチンの捏造も同様ではないだろうか。今は報道に慎重なのだろうが、被害者の救済とは別に子宮頸がんワクチンの安全性議論のための情報を伝えないと社会の損失は大きいと思う。見立病院、弘前大学の事件もあわせて報道される事を期待する。