光市母子殺害事件の差し戻し高裁裁判の弁護団は死刑廃止論者であることでも有名だ。被告の少年の死刑回避のために色々と弁論をしている。世論はこうした活動に反対意見だと思うが、死刑の存続・廃止の問題は人の命に関る問題だけに重大で議論が活発に行われている。
死刑廃止の適否に関して、私はどちらがよいかわからない。昔は単に極悪非道のことを行った人でも、命を奪うのはかわいそうだと思って、どちらかといえば廃止派だったが、それほど単純な議論ではない。受刑者の側からすればそれも要因の一つだろうが、他にも遺族の被害感情や犯罪の抑止効果、再犯防止効果、宗教・社会上の背景、死刑の代替案をどうするかなど要因は多い。死刑廃止問題は複雑な要因を激しく議論して決めていかなければならない。そのような要因のため先にも述べたように私は死刑廃止の適否に関して結論までいたっていない。
ただし、廃止を考える上での各要因の考察は述べることができるので、それを記述したい。まず最初に、犯罪の抑止効果の観点について。犯罪の抑止効果は刑法的には刑罰の目的そのものである[1]。死刑は絶望を与える極刑だから、廃止状態に比べれば抑止効果があると考えがちだが、実はそうとうはいいきれない。むしろ過去の調査・研究からは死刑の抑止効果については否定的な見解がある。例えば、米国で複数の州で死刑を廃止する前と後で犯罪率の変化があったかというと、優位な差は見られなかった。国連が調査した結果でも死刑の抑止効果については否定的だ。かといって、犯罪を犯さなかった人は死刑を恐れたから統計に入っていないという反論もあるので一概にはいえない。しかし、米国の例ではその反論はあたらないし、統計上の数字で効果が見えない以上私は死刑の抑止効果は否定的と考える。逆に再犯防止に関しては言うまでなく完璧である。
次に遺族感情だが、光市母子殺害事件の本村さんのように激しい憎しみの感情を犯人に持つ人もいるし、肉親・恋人などを殺した犯人が罪を償って普通に生きていく姿を見たらやりきれない思いをするというのも無理はない。そうした遺族は死刑存続を訴えるだろう。ただ、厳罰を求める遺族ばかりではないことにも留意する必要がある。6月の刑事訴訟法改正にいたる審議でもあったが、本村さんたち犯罪被害者の会とは別の犯罪被害者の会の代表の方の意見主張は本村さんたちの会とは違って厳罰を求めるより、犯罪を犯した人と遺族が向き合う姿勢が真に被害の傷を癒すと考えている。本村さんたちの団体が犯人への報復感情があるのとは対照的だ。被害者内でも意見が分かれているのだから、そこもきちんと議論しなければならない。
宗教上・社会上の背景は結論をいうと議論は難しい。多くの死刑廃止国は西欧や米国のいくつかの州であり、キリスト教圏だ。一方で死刑を行っている国は我が国の他に中国などで西欧や米国とは宗教上も社会上も違いが大きい。「死を与える」ということに対する根本的な価値判断の基準が異なるのであり、どちらがいいかという優劣はつけられないのではないか。
死刑の代替刑の観点でも議論は難しい。この観点は別な言い方をすれば死刑の酷さと代替刑の酷さの比較であり、私が昔考えていた死刑が酷すぎるからという要因もこれに含まれる。多くの国民は代替案として絶対的終身刑[用語1]を挙げるだろうが、死刑と絶対的終身刑の比較でどちらが厳しいかという議論は簡単ではない。ドイツでは死刑が酷すぎるとして死刑を廃止する代わりに代替刑として絶対的終身刑を導入した。しかし、受刑者は出獄できないという絶望を与えられ生き殺しのような状態に苦しみ精神的に崩壊した受刑者もいたという。そのためドイツでは絶対的終身刑も廃止され日本でいう無期懲役刑(相対的終身刑[用語2]、以下”無期懲役”と表記)が最高刑だ。ドイツに限らず、死刑を廃止している国の多くは日本でいう無期懲役刑が最高刑であるという点も留意すべき点だ。死という絶望を与えるのと生きならが生涯にわたって苦しめ続けるのと、どちらが厳しいかと判断するのは難しい。仮に死刑の代替刑がなく、西欧諸国のように無期懲役を最高刑としたら、それがきちんと国民に受け入れられるように説得するのは現状の厳罰化の世では難しいだろう。ただし、この問題の結論を出す議論の上で世の一部の人が考えている「無期懲役は服役しても最短で10年で出れる。もっと長くても12~15年程度だろう」と無期懲役を軽く考えるのは現状では間違いである。報道番組のコメンテーターでもたまにこのように発言する人がいるので誤解するかもしれないが、日本の無期懲役囚は平均して25,6年は出ていないし、長い人だと40~50年いる人もいる。死刑の適否を考える際に無期懲役刑との量刑の酷さを比較することがよくあるが、現在の無期懲役刑の酷さを正しく認識することは議論の上で重要だ。
以上の点から考えて、死刑の廃止の問題は複雑な観点があり、一つ一つが結論をつけるのに非常に難解なものである。よって死刑の適否の結論を出すのは難しいだろう。しかし、将来死刑を廃止するにしろ存続するにしろ、国民が死刑問題を議論する上での様々な観点を知った上で有用な議論をすることが必要だ。
参考
[1]刑罰の目的は犯罪抑止効果の他に受刑者の矯正という目的もあるが、死刑の場合は矯正を目的としないので除外した。
用語
[1]絶対的終身刑:仮出獄の可能性がなく、生涯にわたって服役する刑。日本では単に終身刑とよばれていることが多い。厳密にいうと終身刑は無期懲役刑・禁固も含まれるので本記事では区別するためにあえて絶対的終身刑と記述した。
[2]相対的終身刑:刑の執行は生涯続くが、仮出獄の可能性のある服役刑。仮出獄の場合でも、長い期間服役する。もちろん仮出獄しなければ生涯服役する。仮出獄したとしても、保護観察下であり刑の執行は生涯続く。そのためにこちらも終身刑とよばれる。日本では無期懲役・禁固刑が該当する。
死刑廃止の適否に関して、私はどちらがよいかわからない。昔は単に極悪非道のことを行った人でも、命を奪うのはかわいそうだと思って、どちらかといえば廃止派だったが、それほど単純な議論ではない。受刑者の側からすればそれも要因の一つだろうが、他にも遺族の被害感情や犯罪の抑止効果、再犯防止効果、宗教・社会上の背景、死刑の代替案をどうするかなど要因は多い。死刑廃止問題は複雑な要因を激しく議論して決めていかなければならない。そのような要因のため先にも述べたように私は死刑廃止の適否に関して結論までいたっていない。
ただし、廃止を考える上での各要因の考察は述べることができるので、それを記述したい。まず最初に、犯罪の抑止効果の観点について。犯罪の抑止効果は刑法的には刑罰の目的そのものである[1]。死刑は絶望を与える極刑だから、廃止状態に比べれば抑止効果があると考えがちだが、実はそうとうはいいきれない。むしろ過去の調査・研究からは死刑の抑止効果については否定的な見解がある。例えば、米国で複数の州で死刑を廃止する前と後で犯罪率の変化があったかというと、優位な差は見られなかった。国連が調査した結果でも死刑の抑止効果については否定的だ。かといって、犯罪を犯さなかった人は死刑を恐れたから統計に入っていないという反論もあるので一概にはいえない。しかし、米国の例ではその反論はあたらないし、統計上の数字で効果が見えない以上私は死刑の抑止効果は否定的と考える。逆に再犯防止に関しては言うまでなく完璧である。
次に遺族感情だが、光市母子殺害事件の本村さんのように激しい憎しみの感情を犯人に持つ人もいるし、肉親・恋人などを殺した犯人が罪を償って普通に生きていく姿を見たらやりきれない思いをするというのも無理はない。そうした遺族は死刑存続を訴えるだろう。ただ、厳罰を求める遺族ばかりではないことにも留意する必要がある。6月の刑事訴訟法改正にいたる審議でもあったが、本村さんたち犯罪被害者の会とは別の犯罪被害者の会の代表の方の意見主張は本村さんたちの会とは違って厳罰を求めるより、犯罪を犯した人と遺族が向き合う姿勢が真に被害の傷を癒すと考えている。本村さんたちの団体が犯人への報復感情があるのとは対照的だ。被害者内でも意見が分かれているのだから、そこもきちんと議論しなければならない。
宗教上・社会上の背景は結論をいうと議論は難しい。多くの死刑廃止国は西欧や米国のいくつかの州であり、キリスト教圏だ。一方で死刑を行っている国は我が国の他に中国などで西欧や米国とは宗教上も社会上も違いが大きい。「死を与える」ということに対する根本的な価値判断の基準が異なるのであり、どちらがいいかという優劣はつけられないのではないか。
死刑の代替刑の観点でも議論は難しい。この観点は別な言い方をすれば死刑の酷さと代替刑の酷さの比較であり、私が昔考えていた死刑が酷すぎるからという要因もこれに含まれる。多くの国民は代替案として絶対的終身刑[用語1]を挙げるだろうが、死刑と絶対的終身刑の比較でどちらが厳しいかという議論は簡単ではない。ドイツでは死刑が酷すぎるとして死刑を廃止する代わりに代替刑として絶対的終身刑を導入した。しかし、受刑者は出獄できないという絶望を与えられ生き殺しのような状態に苦しみ精神的に崩壊した受刑者もいたという。そのためドイツでは絶対的終身刑も廃止され日本でいう無期懲役刑(相対的終身刑[用語2]、以下”無期懲役”と表記)が最高刑だ。ドイツに限らず、死刑を廃止している国の多くは日本でいう無期懲役刑が最高刑であるという点も留意すべき点だ。死という絶望を与えるのと生きならが生涯にわたって苦しめ続けるのと、どちらが厳しいかと判断するのは難しい。仮に死刑の代替刑がなく、西欧諸国のように無期懲役を最高刑としたら、それがきちんと国民に受け入れられるように説得するのは現状の厳罰化の世では難しいだろう。ただし、この問題の結論を出す議論の上で世の一部の人が考えている「無期懲役は服役しても最短で10年で出れる。もっと長くても12~15年程度だろう」と無期懲役を軽く考えるのは現状では間違いである。報道番組のコメンテーターでもたまにこのように発言する人がいるので誤解するかもしれないが、日本の無期懲役囚は平均して25,6年は出ていないし、長い人だと40~50年いる人もいる。死刑の適否を考える際に無期懲役刑との量刑の酷さを比較することがよくあるが、現在の無期懲役刑の酷さを正しく認識することは議論の上で重要だ。
以上の点から考えて、死刑の廃止の問題は複雑な観点があり、一つ一つが結論をつけるのに非常に難解なものである。よって死刑の適否の結論を出すのは難しいだろう。しかし、将来死刑を廃止するにしろ存続するにしろ、国民が死刑問題を議論する上での様々な観点を知った上で有用な議論をすることが必要だ。
参考
[1]刑罰の目的は犯罪抑止効果の他に受刑者の矯正という目的もあるが、死刑の場合は矯正を目的としないので除外した。
用語
[1]絶対的終身刑:仮出獄の可能性がなく、生涯にわたって服役する刑。日本では単に終身刑とよばれていることが多い。厳密にいうと終身刑は無期懲役刑・禁固も含まれるので本記事では区別するためにあえて絶対的終身刑と記述した。
[2]相対的終身刑:刑の執行は生涯続くが、仮出獄の可能性のある服役刑。仮出獄の場合でも、長い期間服役する。もちろん仮出獄しなければ生涯服役する。仮出獄したとしても、保護観察下であり刑の執行は生涯続く。そのためにこちらも終身刑とよばれる。日本では無期懲役・禁固刑が該当する。