理化学研究所を舞台にしたSTAP細胞論文をめぐる疑惑が深刻化している。科学、そして日本への信頼にもかかわる事態といっていい。日本を代表する研究機関でなぜ? 現在の研究のありようの根本にさかのぼって見直す必要がある。
■「小保方さん問題」で終わりか 東京大学教授、ロバート・ゲラーさん
STAP細胞をめぐる問題は、日本の科学技術研究が非常に危険な状態にあることを明らかにしたように思えます。
僕は米カリフォルニア工科大でノーベル物理学賞を受けたリチャード・ファインマンに学びましたが、彼は研究者は常に真理をありのまま語るべきだと力説した。日本では、そうした科学の基本姿勢を必ずしも十分に教えていない。
STAP細胞問 題では、論文の共著者たちの姿勢も疑問です。通常なら、論文の共著者は、他の筆者が書いた部分も細かく読んで添削します。STAP論文は、不適切な画像だ けでなく、スペルミスなど、読めばすぐわかる間違いが放置されている。共著者が読んだかどうかすら怪しい。研究者としてあるべき姿ではありません。
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<理研の対応疑問> 理化学研究所の対応も非常におかしい。調査委員会に付託したのは6点の疑惑の調査のみで、他は対象外にした。すべての疑惑を調査すべきでした。これでは多くの疑問点が宙に浮いたままです。
6点のうち2点の不正を認定したが、不正に関与したのは小保方晴子さ んだけで、他の共著者は関与していないとしている点は、あまりにも甘すぎます。理研の上司たちは、投稿前に原稿や実験ノートを厳しくチェックする責任が あったはずです。また小保方さんは研究データを研究所のパソコンではなく私物のパソコンで管理し、実験ノートも数冊しか残していなかったようですが、とん でもない話です。理研の管理責任が厳しく問われなくてはいけません。
理研は、共著者の1人を実施責任者としてSTAP細胞再現の検証作業を行うと言っていますが、これも非常識です。不正が認められたなら、元の論文は存在しないと同じ。「再現」というべきではないし、理研の当事者たちはこの研究から手を引くべきです。
今回の疑惑の検証は、ネット上での匿名の告発がきっかけになりました。匿名だということを非難する人もいますが、論文は公表されるものだから、 チェックして疑問点を指摘するのは匿名であってもまったくかまわない。個人攻撃はよくないが、「この画像が使い回されている」といった事実関係の指摘であ れば問題ありません。
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<共著者にも責任> 今回の問題を「小保方さんが悪かった」だけで終わらせてはいけない。ネイチャー誌の投稿規定に明記されているように、共著者 には論文の内容を詳細に確認する連帯責任がある。小保方さんだけを切って、上層部は給与カットなど形だけの処分ではいけません。
再発防止のために一番重要なのは研究機関のガバナンスの改善です。海外の有名研究所や一流大学は、様々な国の研究者がマネジメントに携わっているのが一般的です。理研は国際水準の研究所といわれていますが、理事長を含めた理事6人は全員日本人で、うち2人は文部科学省出身者、1人は内閣府在籍経験者。外国から優れた研究者を招き、理事会の半分は外国人にすべきです。
さらに、外国人理事が意思決定に十分参加できるように、公用語も英語にする。コンプライアンス担当には、国内外から先端科学の現状がわかっている人を採用すべきです。役所からの天下りをなくし、官僚支配から研究者支配に切り替えることが必要です。
理研にも、中堅にはすぐれた研究者がいますが、必ずしも厚遇されていない。特に有期契約の若手はすごくプレッシャーを受けています。幹部があくび している間に、現場は奴隷のように研究しなくてはいけない。クビになる恐怖にさらされていると、誰でも不正をしてしまう可能性がある。
政府も問題が大きい。問題発覚前の2月、総合科学技術会議に 小保方さんを出席させようとしましたが、STAP論文が当初言われていた通りのすばらしい研究だったとしても、30歳の若手研究者をそのような場に呼ぼう とするのは、政権の人気取り、パフォーマンスでしかありません。「日本の科学技術を世界一に」するためには、当然カネをつぎこむ必要はあるが、まず体制を 立て直すべきです。そして何よりも研究者が真理を語ることを説いた、ファインマンの精神を忘れてはなりません。
(聞き手・尾沢智史)
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Robert Geller 52年米国生まれ。スタンフォード大助教授を経て、84年に東京大助教授、99年に教授。専門は地震学。著書に「日本人は知らない『地震予知』の正体」。
■健全性を損なわせる「商業化」 東北大学教授・大隅典子さん
この10~20年に研究の世界で起きた変化、とくに生命科学の研究が抱えている問題が、今回の出来事にすべて凝縮されている、と思います。いろいろな角度からきちんと検証する必要があります。
一言でいえば、「科学の商業化」です。とくに生命科学は実利に直結し、少しでも先んずればノーベル賞、という世界なんです。
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<時間かけて定着> 科学とは本来、誰かが発表した論文を別の科学者たちが検証し、時間をかけてその正しさが認められていく、というものです。 10年、20年という時間をかけてまずその分野で確認され、やがて外に広がっていく。間違いもあるけれど、それは消えていく。これがいわば、100年以上 かけて作り上げられた近代科学のお作法です。
私の専門分野では、神経再生の可能性が1960年代初めに提唱されました。当初はだれも信じなかったのですが、技術の進歩もあって証明され、提唱者は2年前に国際生物学賞を受賞しました。
実に半世紀がかり。そうやって、本当のものが定着していきます。1本の論文だけで何かをいうのは、時期尚早なのです。
ところが、研究の「成果」が求められるようになり、評価の指標として一つひとつの論文が重視されるようになりました。とくに一流誌に載ることが重 要です。中でもネイチャーに論文が載ることは大変な栄誉であり、研究費やポストの獲得にもつながる。それが研究機関にとっても、研究資金に直結するように なってきました。
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<インパクト重視> ネイチャーは、イギリスの出版社が発行する商業誌で、専門家集団が検証する学会誌とは性格が大きく異なります。広い読者を得るために、よりインパクトの大きい論文を求める傾向は否めません。そんな商業誌が大きな力を持つという構造的な問題もあります。
これまでは、論文を書く前に学会などで発表し、議論して、もまれる、というプロセスが一般的でしたが、「掲載まで伏せる」というのがネイチャーの 厳格な方針です。とにかくまずネイチャーに、と考える研究者も少なくありません。特許との関係から事前には一切発表しないケースが増えてきたこととあわ せ、科学の健全性を損なう結果を招いていると思います。投稿論文をどうチェックするのか。ネイチャーの責任も非常に重いと思います。
報道も、時間をかけて検証するという科学の性格からすれば、一刻を争うものではないはずです。しかし、商業化の中で、研究機関も報道機関も先を急いでがんばる、というのが実態です。
広報のあり方も問われました。ただ、科学の成果を社会に伝える必要性がいわれ、研究機関や大学も発信しろと、広報体制が強化されたのもこの10年 ほどのことです。科学者という「人」を見せることは、次世代の若者を刺激することにもなります。科学の本筋を見失っては本末転倒ですが、科学者像も含めて 科学というものを社会に伝える、その重要性は変わらないと思います。
学位の品質保証の 問題もあります。大学院重点化の方針の下でこの20年余り、大学の教員の数はあまり変わらないまま、大学院生が増えました。その結果、弟子を手塩にかけて 育てることが難しくなってきました。仮説を立てて実験を計画するところから論文にまとめるまで、いわば「科学の作法」を弟子に伝えるのは先生の役割です。 しかし、それが十分でなかったり、劣化コピーとして伝わったり、というのが実情です。
実験ノートについても、その書き方のマニュアル本が出てきたのがこの10年くらいのことです。先生と弟子との間のコミュニケーションが足りなくなったことを示していると思います。
分野によっては、研究結果や発見にこそ独創性があるので、他の文献や論文からの引用は、出典を明記すれば素材として活用していいという考えもあると聞きます。急速に広がったITを私たちはまだ使いこなせていない。便利だけれど、どう扱うべきなのか。
科学者は科学のあり方を見直す必要があります。社会の側でも科学本来の姿を理解し、長い目で見守ってほしい、と思います。
(聞き手・辻篤子)
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おおすみのりこ 60年生まれ。98年から現職。専門は神経生物学。日本分子生物学会理事長として、理化学研究所に対して迅速な対応を求める声明を出した。
◆キーワード
<理化学研究所> 産業発展に資するため、高峰譲吉らが提唱、渋沢栄一を設立代表として1917年に創設された自然科学の総合研究所。リコーなど多くの会社を生み出した。03年からノーベル賞受賞者の野依良治氏が理事長。約3400人の職員と同数に近い研究生らがいる。予算は昨年度844億円。
朝日新聞
2014年4月15日
写し。