世界変動展望

私の日々思うことを書いたブログです。

中国模造品への調停・提訴仲介窓口、日本に

2008-11-30 09:02:19 | 知的財産
 『中国国家版権局の事業機関、中国版権保護センターは27日、中国ビジネス助言会社のプラネットシンクジャパン(東京・港、川口耕一社長)と共同で、業務仲介会社ゴールデンブリッジ(同、森田栄光社長)を設立したと発表した。[1]』

 海賊版の販売差し止め等の調停や提訴を仲介するらしいが、効果はどれほどあるだろうか。知的財産の保護は国際的に協力しないと十分な効果がない。中国の模造品は有名だが、最近はその対策が着実に進みつつある。日中の連携が緊密になることが重要だ。

参考
[1]中国模造品対策については"日経産業新聞(2008.11.28)"によった。

本当に市民の判断が裁判に適すか?-裁判員制度

2008-11-30 00:20:32 | 社会
 裁判員制度が始まろうとしているが、市民の考えを司法に反映させるのが狙いだ。しかし、法律の考えは学ばなければ判断できないと思う。市民の常識と法律の考えは違うのである。

 法律解釈が常識にあわせるべきだと思うかもしれない。確かにある部分はそうだろう。法解釈を常識に合わせた方がうまくいく場合もある。しかし、常識が法解釈にあわせるべき場面もある。例えば「疑わしきは被告人の利益に」の無罪推定原則も市民と裁判官では判断が違う模擬裁判例が見受けられる。合理的な疑いを超える確信を持ったときのみ有罪と認定する感覚や判断が法律を学んだことやキャリアのない市民にはわからないのだろう。

 また、福岡の飲酒ひき逃げ死亡事故の裁判のように世論は危険運転致死傷罪とすべきと判断した事件も多くの法学者が述べたように法的に考えれば業務上過失致死相当の裁判もある。法律を学び、運用をしたことがない人間には事件の酷さや遺族感情などに流されて不当で誤った判断をしがちな例だ。こういう事件を業務上過失致死で処断したからといって、裁判官に常識がないとか非難するのは間違いである。端的にいって、この場合は常識が法律にあわせるべきなのだ。

 以上の考えから、私は法律を学んだり運用をしたことのない人間には裁判での判断ができないと思う。常識にさえ適っていれば正当性があると考えることが誤りであって、常識的判断が時には誤判決や不当判決を生み、酷い人権侵害をつくりだす原因ともなるのだ。

 特に司法は多数者の権利濫用を制限し、少数者の人権を擁護することを目的とする機関であるから、多数意見や常識にばかり拘束された判断を下していれば法の支配の目的を達成できなくなってしまう。

 常識や多数市民の考えにあうことが必ずしも正しい判断ではないのだ。

世界変動展望、2周年!

2008-11-29 09:08:49 | Weblog
おかげさまで本日を持ちまして、世界変動展望は2周年を迎えました。
これも読者皆様のおかげです。ここに感謝の意を表します。

2年目は本ブログの記事がYahoo Japanのトップニュースの参考文献になり、地すべり的なアクセス数を記録したことや、gooブログのアクセスランキングに何度かランクインしたことなどアクセス面において昨年度以上に成長したことが伺えました。

記事の内容や文章の読みやすさなどは、読者の皆様にとってどのように受け止められているか不明ですが、自分なりに内容や読みやすさの点は向上させていきたいと思っています。

3年目を迎えた世界変動展望ですが、どうか今後もよろしくお願いします。

世界変動展望 著者
2008.11.29

持将棋駒数得による勝利について

2008-11-28 02:37:55 | 囲碁・将棋
 昨日の第21期竜王戦第4局は渡辺の玉が詰む見込みがなくなり、駒数でも羽生が渡辺に勝つ見込みがなかったため、羽生が投了した。この対局に限らず、相手の玉を詰ます見込みなくなり、持将棋の駒数得でも勝利する見込みがなくなり投了する勝負はたまにある。

 私はこのような勝負はあまり好きでない。将棋は相手の玉を先に詰ますゲームなのだし、きちんと相手玉を詰ます方向で勝負が決まってほしい。相手の玉を詰ますのではなく、駒数得によって勝利を目指すという勝負は見ていて面白いものではない。

里見香奈、女流名人挑戦なるか?

2008-11-28 00:44:18 | 囲碁・将棋
 女流棋士の頂点を争う第35期女流名人位戦の挑戦者は先日倉敷藤花を奪取し初タイトルを獲得した里見香奈倉敷藤花(16)が7勝1敗でリーグトップであり、女流名人挑戦者の最有力である。次の成績者は先日里見に倉敷藤花を奪われたとはいえ、経験と実績では圧倒する清水市代女流王将が6勝2敗で里見を追っている。

 女流名人戦のA級リーグは残すところ最終戦のみであり、里見の最終戦の対戦相手は清水である。つまり、里見が最終戦に勝てば女流名人挑戦者となり、負けるとプレーオフとなる。今は倉敷藤花を獲得し、勢いにのっている里見だが、この調子で女流名人挑戦者となるだろうか。

 あらためて女流名人戦の対局時間を見てみると、A級リーグは持ち時間2時間、本戦である女流名人戦5番勝負は持ち時間3時間である。女流の棋戦はなぜこんなに対局時間が短いのだろうか。順位戦は持ち時間6時間だし、他のタイトル戦の予選も5時間等、女流棋戦よりも長い持ち時間だ。

 王座戦の予選1回戦では女流棋士トップ4人が新人の四段相手に対戦する機会があるのだが、残念ながら女流棋士が負けることが多い。その時の解説で言われるのが、女流棋士は持ち時間が短い対局が多く、持ち時間5時間程度の長い対局の修練を詰むことが課題だと解説した棋士がいた。

 私は単に女流の棋戦で従来よりも持ち時間を長くすればいいと思うのだが、なぜそうしないのだろう。その理由は全くわからない。

人間は1人では生きていけないか?

2008-11-27 15:04:18 | 社会
 「人間は1人では生きていけない。」とよく説教くさくいうことがある。しかし、本当に人間は1人でいきていけないか?

 私は、きちんと生きていく技能を身につけていれば1人でも生きていけると思う。仮に1人を残して人類が死滅したとしたとしても、その人物がきちんと生きていく技能を身につけていれば生きていける。生活レベルは低くならざるを得ないだろうが、生きていくのに最低限のものを確保しているからだ。

 「人間は1人では生きていけない。」というセリフをはく場合は、独りよがりになっているものを説教したり、道徳やきれいごとの精神論を強調したい場合にはくセリフである。

司法改革で弁護士サービスが身近になるか?

2008-11-26 00:36:46 | 社会
 市民に近い司法、市民が利用しやすい司法を目指して司法改革が行われている。弁護士の数を増やし、市民に司法サービスが身近なものになることを目指している。しかし、本当に弁護士のサービスが市民にとって身近なものになるか。

 弁護士のサービスが市民にとって身近でなく敷居が高い最大の要因の1つは弁護士費用の高さだ。日本弁護士連合会によると、離婚調停で着手金20~30万円、報酬金20~40万円、その他実費、法律相談料を入れるともっとかかる計算になる。弁護士に依頼してきちんと成果が得られた場合、かかる費用は50~100万円くらいはするだろう[1]。他の案件でも数十万~数百万のオーダだ。クライアントにとってはかなり高い金額と感じるだろう。

 この資料を見る限り弁護士費用の平均的な額と比べた場合、弁護士費用が総額20~40万円で済んだとしても、かなりの安い金額といえる。しかし、弁護士としては安価な値段でサービスを提供しているつもりでも、クライアントにとっては20~40万円でもかなり高い金額にうつるはずだ。このギャップは大きい。弁護士に対する誤解を産む原因の1つになるかもしれない。

 内容証明郵便で済むような案件を除いて考えると、いくら弁護士費用が安くなったとしても総額で20~40万円程度の額が限界ではないかと思う。しかし、それでも市民にとって20~40万円という額が高い額である以上、気軽に司法サービスを利用できる状態にはならないと思う。

 仮に弁護士が総額20万円ですべての案件を処理したとする。弁護士の1年間にかかえる事件数は数十件のオーダだが、仮に50件程度としよう。すると、弁護士の売り上げは20万×50=1千万円となる。しかし、事務員の人件費、家賃、文書費、光熱費を入れると普通の事務所なら営業費用として月あたり100万円程度かかるらしいので、年間の経費は1200万円。従って、営業利益は200万円の赤字である。弁護士は給料をもらうどころか借金である。

 以上はかなり粗い議論で実情にあっていない部分もある。確かに売り上げが1000万円以下の弁護士も存在するし、必ずしも赤字ではないかもしれない(おそらく売り上げ1000万円以下の弁護士は、事務員なし、自宅を事務所にするなど営業費用を安くしているだろう)。しかし、弁護士の給料をかなり削って弁護士費用を安くしようとしても、総額20万円というのは限界を下回っているか、それに近い額である。弁護士費用20~40万円でも弁護士としては安価な値段でサービスを提供していると述べたのは、この理由による。

市民にとって利用しやすい司法サービスの額がどのくらいなのかわからないが、仮に数千円~10万円だとすれば、間違いなく弁護士業はできないだろう。

安価に司法サービスを実現できることは望ましいことだが、それでも弁護士費用20~40万円という市民にとって安くない値段が限界ではないか。国民がその値段でも安いと思ってくれれば別だが、数十万円という金額を簡単に払える人はなかなかいないだけに、今の司法改革を続けても残念ながら金銭面で利用しやすいサービスにはならないだろう。市民にとっては残念なことだ。

参考
[1]弁護士報酬については"市民のための弁護士報酬の目安(日弁連-2005)"によった。