世界変動展望

私の日々思うことを書いたブログです。

東北楽天ゴールデンイーグルス優勝!

2013-09-26 22:35:16 | スポーツ・芸能・文芸

東北楽天ゴールデンイーグルス優勝!

26日の西武戦に楽天が4-3で勝利し、2位のロッテも敗れたため楽天の優勝が決定した。球団創設9年目で初優勝。あの弱体球団だった楽天が悲願の初優勝。東北の人たちも喜んでいる。大きな勇気をもらったに違いない。

おめでとう、楽天ゴールデンイーグルス!


爆弾を抱えたO国立研究所研究員ら。そのような人物を雇い続ける研究機関について

2013-09-21 20:57:26 | 社会

Oは某国立大に所属していたが某国立研究所に移籍。現在同研究所研究員。Oは捏造、改ざんの不正疑惑があり、私はよく雇われたと思うし、同研究所はなぜこのような人物を雇い続けているのかわからない。爆弾を抱えたO研究員を雇い続ければ研究所の名誉を失墜させる危険が高い。

研究機関の人事はどうなってるんだ?きちんと審査すればOの研究者としての能力や資質はわかったはずだ。なぜ某国立研究所はOを雇った?

別人の例だが、I.T.はK大学医学部講師だったが同大医学部助教(有期)に降格。K大としては将来的に雇い止めにするつもりなのだろう。懲戒処分を出さなくても事実上解雇できるように降格させたのだろう。

K.T.はT大准教授だったが辞職。

やはり一番不可解なのは爆弾を抱えたままのOを雇い続けている某国立研究所だ。

全く理解できないぞ、某国立研究所は。


筑波大、国立環境研究所のおばさん研究者の現状。筑波大等は規定を遵守したか?

2013-09-18 00:00:03 | 社会

村山明子が筑波大研究者総覧で確認できないことがわかった(写し)。少し前は筑波大学生命環境科学研究科講師だったが、少なくとも同大を離籍している。これは端的にいって不正を理由に辞職又は解雇された可能性を示す。

7月に加藤茂明元東大分生研教授のグループの論文43編に不正が判明し撤回の必要があることが報じられた。疑惑論文の筆頭著者の一人が村山明子だ。加藤研の不正とは別に筑波大の柳澤純研究室でも不正疑惑が指摘された。これは2012年2月に筑波大に告発された関連)。筑波大は予備調査の実施を決定上昌広(東大医科学研究所特任教授)の記事によると加藤事件は「多くの場合、論文の筆頭著者と、不正を働いた研究者は別人だった。不正の大部分は、当時、助手を務めた一部の研究者によって行われていた[1][2]」という。村山や後に述べる立石幸代(告発時、国立環境研究所ポスドク)が不正の実行者かは判明していない。

しかし、村山は不正が濃厚と目されてきたのは事実で、加藤研の予備調査の公表後の翌月頃に筑波大を離籍したことを考えると、不正を理由に辞職又は解雇された可能性が最も高い。なぜなら、村山が他の研究機関に移籍することは不正疑惑ゆえに困難だからだ。村山が実行者でなくても筆頭著者としての不正責任をとったのかもしれない。

一方、疑惑論文の筆頭著者だった立石幸代は2012年4月以降の所属が不明。調査しても論文どころか口頭発表さえ確認できない。一般にプロが1年半以上も研究発表をしていないのは珍しく、研究者を辞めたのではないかという印象を受ける。2012年1、2月の告発のためにポスドクの任期切れで離職した可能性は否定できない。不正が認定された場合、立石はさらに博士号の取り消しの可能性もある

しかし、責任著者の柳澤純は現在も同大研究者総覧で確認でき離職していない。だから、村山が不正を理由に離職していても、それは加藤事件が原因で、別件の不正が理由ではないと推測する。

そのため、どうしても気になるのが、筑波大等は柳澤研独自の不正疑惑をきちんと調査したのかということだ。疑惑の態様からいって少なくとも本調査が行われないのは規定違反だ。私は責任著者の柳澤が責任をとらされないのは不可解だと思う。しかし現在まで本調査や処分を確認できない。本当に本調査をやったのか。

予備調査をして不正の疑いがあれば本調査しなければならないのが規定関連)。昨年2月の告発は立石らの論文を含んでいるから、文科省のガイドラインでは告発当時の立石の所属機関だった国立環境研究所と合同で調査する義務があり、本調査を実施しないのは規定違反。筑波大は専門誌の指摘を受けても藤井善隆の不正を調査せず、世界記録捏造を達成させた前科がある

本調査を実施したのが筑波大か国立環境研究所かは不明だが、本調査を実施していないなら不適切。

現在の研究不正調査制度の大きな問題の一つは規定に実効性がないことだ。井上明久事件、藤井善隆事件の東邦大調査、バルサルタン事件の京都府立医大のお手盛り予備調査など内部規定や文科省ガイドラインが恣意的に扱われ、不公正な調査が実施されていることは大きな問題だ。

もし筑波大や国立環境研究所が告発を受け、規定上調査しなければならないのに実施しなかったのなら、学術界の信用を大きく毀損し、「何も改善がない。結局同じ事の繰り返しだ。」という考えを世間に与えることになる。

研究機関が内部規定やガイドラインを恣意的に扱う現状を考えると、拘束力のある実効的な規定とそれを公正に運用する研究公正局(外部第三者調査機関)がなければ、研究不正の改善は実現できない。

村山らのことは加藤事件が大きなスキャンダルゆえに近いうちに必ず報道されるだろう。東大の公表が牛歩だったとしても、村山が不正を理由に辞職又は解雇されていれば公表前に十分報道される可能性がある。村山や立石が筑波大や国立環境研究所を離籍したのかどうか、その理由は取材すれば簡単につかめるはずだ。報道は迅速さがとても大切で、他紙に抜かれたら負けだ。牛歩の東大にあわせていたら、百歳まで生きなければならない。できるところから迅速に報道してほしい。

私は特に規定を遵守し本調査を実施したのかどうか、実施していないなら規定違反の不適切さを報じてほしいと思っている。なぜなら、上で述べたようにこれが不正調査制度の大きな問題点の一つで特に改善を必要とするからだ。繰り返しになるが、どれだけ優れた規定を作っても恣意的に運用されたら、不条理な調査にしかならない。

近いうちに報道があることを期待する。

参考
[1]上昌広:"加藤茂明教授のこと" Yahoo ニュース 2013.9.4
[2]東大分子細胞生物学研究所の助手を務めた人物といえば、北川造史(群馬大教授、経歴)、柳澤純(筑波大教授)、武山健一ハーバード歯科医学校客員准教授、2012年8月31日で東大分生研准教授を辞職(ここのp17)、経歴その他)、高田伊知郎(慶應義塾大学医学部助教(有期)、2009~2011年度まで同大医学部講師だったので降格、経歴)、大竹史明(国立医薬品食品衛生研究所研究員、2012年6月30日で東大分生研講師を辞職(ここのp17)、事実上の降格、経歴)など。その他の東大分生研の人事異動(p29)。

上は「一部の助手は、不正を指摘された研究が評価され、他大学の教授に就任している。辞職は避けられないだろう。[1]」と述べている。現在教授なのは北川と柳澤純。武山はハーバード歯科医学校に所属している。これはハーバード大学の大学院。いかに世界的に著名な大学とはいえ、東大の正規の准教授を辞めてまで客員准教授になるかな。正規の准教授なら移るかもしれないが。


伊勢湾台風の義援金送付地域だけに阪神大震災の義援金を送ろうとした名古屋

2013-09-16 21:53:10 | 社会

現在台風がきて被害が出ています。これで思い出すのが伊勢湾台風の義援金送付地域だけに阪神大震災の義援金を送ろうとした名古屋の驚くべき対応。1959年の伊勢湾台風の恩を1995年の阪神大震災時でも忘れず、自分たちを助けた地域だけ助けようとする名古屋人の民族性は面白い。

みなさんはどう思いますか?


森内俊之、竜王戦の挑戦者に

2013-09-15 22:09:50 | 囲碁・将棋

竜王戦の挑戦者は森内俊之になった。名人、竜王対決。でも、竜王戦の渡辺の強さを見ると長期戦で強い森内でも勝てなさそうだ。数年前のように一掃されるかも。A級順位戦はまた羽生が単独トップだし。次の渡辺との戦いで勝利するとまた挑戦者になる可能性が高い。今後どうなるのかな。


なぜ1582年10月5日~1582年10月14日は存在しないのか?

2013-09-11 00:55:55 | 物理学・数学

ネット上などで1582年10月のカレンダーをみると1582年10月5日~1582年10月14日だけ存在しません。なぜでしょうか?これはユリウス暦を使っていたために生じたずれを修正するためです。

1582年10月4日(木)以前はユリウス暦、翌日である1582年10月15日(金)からグレゴリオ暦が実施されています。ユリウス暦は1年を365.25日とし、4年に一度閏年を置く暦です。しかし、実際の地球の公転周期は365.2422日(平均太陽年)で、365.25 - 365.2422 = 0.0078日だけユリウス暦の方が長いです。

325年のニカイア公会議でユリウス暦の毎年3月21日を春分日とすることが決められました。しかし、実際の春分日は毎年0.0078日だけずれ続け、325年から1582年までの1257年間に生じたずれは、

0.0078 × 1257 = 9.8046 ≒ 10

より、約10日です。1582年3月21日は春分日とされましたが、実際の春分日は約10日前の1582年3月11日だったのです。暦がずれるというのは農作物の栽培時期が狂ったり、実生活上でも不利益があったでしょうし、キリスト教の最重要祝日である復活祭は春分日を基準に決めていたので、ローマ・カトリック教会は事態を無視できなかったのでしょう。当時のローマ教皇グレゴリウス13世は暦を改訂しグレゴリオ暦を実施。この時に春分日のずれをニカイア公会議時の頃に修正するために10日分日付を進めました。

つまり、1582年3月11日→1582年3月21日(春分日)と修正する必要があったので、10日分日付を進める必要があったのです。そこでグレゴリオ暦に改訂するときに、1582年10月4日(木)の翌日を1582年10月15日(金)とし、1582年10月5日~1582年10月14日の10日間を省くことで春分日のずれを修正しました。日付が存在しないのはこのためです。グレゴリオ暦は1582年2月24日に発布され、実施されたのが同年10月15日です。おそらく10月は行事が少ないので実施したのでしょう。

0.0078 × 400 = 3.12 ≒ 3

ユリウス暦の400年は平均太陽年の計算より約3日長いです。そのためグレゴリオ暦では400年で3年だけ4で割り切れる年でも閏年でない年を設けました。具体的には100で割り切れるが400で割り切れない年(1700、1800、1900、2100年など)を閏年でないと定めました。400年で97回閏年があるグレゴリオ暦の1年は

365 + 97 / 400 = 365.2425 日

です。グレゴリオ暦の方が平均太陽年より1年が約0.0003日(約26秒)だけ長いですが、1日のずれを生じるのに3200年以上かかるので、かなり精度の高いものです。しかし、いずれ修正は必要になるでしょうから、西暦5000年頃までのどこかで1日省く修正が行われるでしょう。

以上です。日付が存在しない理由をおわかりいただけたでしょうか?


任意の日の曜日の調べ方その2 - 紀元後

2013-09-10 00:06:27 | 物理学・数学

前回紹介した求め方は「1901年1月1日~2099年12月31日」までの曜日の求め方です。なぜこのような限定があるかというと、この期間は現行のグレゴリオ暦ユリウス暦(4年に一度閏年)の計算法が一致するからです。

現行はグレゴリオ暦ですから、400年に3回だけ4で割り切れる年でも閏年でない年があります[1]。またグレゴリオ暦が採用されたのは1582年でそれまではユリウス暦でした。文献によるとグレゴリオ暦最初の日は1582年10月15日(水)、その前日(ユリウス暦最後の日)は1582年10月4日(木)でした[2]。1582年10月5~14日は空白の日付です。

さらに「閏年は4年に1回と決められたが、カエサルの死後、誤って3年に1回ずつ閏日が挿入された。この誤りを修正するため、ローマ皇帝アウグストゥスは、紀元前6年から紀元後7年までの数年間、閏年を停止した。紀元8年からは4年ごとに閏日を挿入している。」とあるので紀元後の最初の閏年は8年で、4年は平年でした。

今回は紀元後の日付に限定します。理由は後述。

上のことを考慮して紀元後の一般的な日付の曜日を求めます。 計算するときに現在の日付と曜日はわかっているものとします。一般的な公式は他の文献にゆずり、今回は具体的な日付で考え方を説明します。無論、他の日付だったとしても考えは同じです。

(1)1582年10月15日以降

例えば関ヶ原の合戦のあった1600年10月21日の曜日を調べましょう。

今日は2013年9月10日(火)で、約413年後になります。仮に1600年10月1日から年や月が変らずずっと日が続いてるとしたら、2013年10月1日は

103×(365×4 + 1) + 365 -3 + 1 = 150846  ・・・ (A)

より、1600年10月150846日となります。2013年9月10日は同年10月1日より30+1-10=21日前なので2013年9月10日は同様の表記では1600年10月150825日です。150825を7で割ると余りは3だから、火曜日は7で割って3余る日です。21日は7で割り切れる日なので、火曜日の3日前、即ち土曜日です。

従って、1600年10月21日は土曜日です。このサイトで調べると確かに土曜日で、計算が正しいことがわかります。

(A)で3を引いているのは1700、1800、1900年が閏年ではなく3日少ないからです。

(2)1582年10月5~14日

この日は暦の変更のために存在しません。

(3)1年1月1日~1582年10月4日

紀元前6年から紀元後7年までは閏年がなかったことを考慮し、1492年10月11日と1年1月1日の2つの曜日を調べます。

(3-1)1492年10月12日 (コロンブスがサン・サルバドル島に到達した日、11日という文献もある。)

1582年は1492年から90年後です。仮に1492年10月1日から年や月が変らずずっと日が続いてるとしたら、1582年10月1日は

22 ×(365×4 + 1) + 365 × 2 + 1 = 32873

1492年10月32873日、よって1582年10月4日は1492年10月32876日(木)です。32876を7で割ると余りは4です。12を7で割ると余りは5です。つまり、12日は木曜日の翌日の金曜日です。

従って、1492年10月12日は金曜日です。このサイトで求めると確かに金曜日です。

(3-2)1年1月1日

1583年は1年から1582年後です。従って仮にユリウス暦がずっと続き、年や月も変らず日だけ続いたとすると1583年1月1日は、

395 ×(365×4+1) + 365 × 2 + 1 - 1 = 577825 ・・・ (B)

1年1月577825日です。1582年10月4日は1583年1月1日の31+30+(31+1-4)=89日前なので、同様の表記法だとこの日は1年1月577736日。577736を7で割ると余りは5。1を7で割ると余りは1。つまり1日は木曜日より4日前の日曜日です。

従って、1年1月1日は日曜日です。結果はこのサイトの記載と一致します。

(B)で1を引いているのは4年が閏年でないため1日少ないからです。ちなみに、4年を閏年だとすると1582年10月4日は1年1月577737日のため、7で割ると余りは6。つまり、1日は木曜日より2日後の土曜日です。このサイトこのサイトで1年1月1日は土曜日と表示されるのはそのためです。

以上です。

これは紀元後の計算方法で、紀元前は紀元前46年にユリウス暦を採用(紀元前45年1月1日から実施)。ただ、カエサルの死後は誤って3年に一度閏年にしたため、紀元前6年から紀元後7年まで閏年を停止。ユリウス暦より前はローマ暦で、紀元前753年頃から実施されたらしい。こうしたことを考慮すれば紀元前の日付の曜日も計算可能。しかし、ローマ暦の日付の決め方は明確な文献が見つからない等、紀元前の日付の決め方は不明なことが多いので紀元前の曜日の計算方法は省略します。

ただ、この計算方法はグレゴリオ暦を使っているので、適切な適用範囲は4700年頃まででしょう。なぜならそれ以降には暦が変っているからです。グレゴリオ暦は1年を365+97/200日と定義しています。これは1平均太陽年より約0.0003日長いので約3200年で1日ずれます。1582年10月からグレゴリオ暦を使っているので4782年頃前までに春分日は1日ずれます。その頃までに閏を省く修正が行われるでしょう。

このような修正は後の世の人たちが決めることですから、現代人にはわかりません。正確な計算という点では、約4800年より後の遠い将来の日付や曜日を計算することは不可能です。

以上、参考になれば幸いです。

参考
[1]具体的には4で割り切れても、100で割り切れ、400で割り切れない年が閏年でない。1700、1800、1900、2100などは閏年でない。
[2]このサイト写し。 2013.9.9 閲覧
[3]ちなみに黄道12宮が整備された紀元前2世紀頃は春分点がおひつじ座の方向にあったので、おひつじ座が12宮の起点となった。ちなみに春分日は歳差運動を考慮して暦が決められているので将来もほぼ不変だが、春分点は変る。春分点は歳差運動のために黄道上を西へ毎年約50秒ずつ移動する。現在の春分点はうお座の方向にあり近い将来みずかめ座の方へ移動。約25800年で一周する。

念のために言及するが、現行も将来も歳差運動を考慮して春分日がずれないよう修正して暦が決められる。歳差運動のために約6450年後は12月22日頃、約12900年後は9月23日、約19350年後6月21日頃が春分日だとか、約12900年後は7月が冬になる等と勘違いしないように。変るのはあくまで春分点や見える星座の種類や位置だけです。


任意の日の曜日の調べ方その1- 1901~2099年まで

2013-09-09 00:16:13 | 物理学・数学

○年△月□日が何曜日か調べたい。スマートフォンやPCでネットを調べれば簡単です。だけどそれらを使えない!どうしよう~。そういう経験があるでしょうか?そういう時には計算で求めるしかありません。少し手間ですが、手計算でもできる方法を書きます。

ここで紹介するのはせいぜい1901年~2099年くらいの間で成り立つ計算法です。現在はグレゴリオ暦なので400年で100回ではなく97回閏年があり、4年に一度閏年があるというユリウス暦の計算法とは異なるからです。1582年10月頃にユリウス暦からグレゴリオ暦に変更になったので、1582年以前の日付の曜日計算はさらに複雑になります。正確に曜日を知りたい方は例えばこのサイトを利用してください。ちなみに西暦元年1月1日は日曜日です。

例えば今を時めくファッションモデルの剛力彩芽は1992年8月27日生まれです。


剛力彩芽 - オフィシャルサイトより

この日が何曜日か計算で求めましょう。わかっている情報は目的の年月日、今日の日付と曜日だけとします。さすがにこれらの情報は調べたい時にわかっているでしょう。

剛力彩芽は21歳です。1年間は365日、4年に一度366日の年があります。ゆえに4年=1461日です。剛力が20歳から21歳になる1年は閏を含みません(=1年が365日)。

つまり、仮に1992年8月1日から年や月が変らず日だけ続くとしたら、2013年8月1日は

1461×5+365+1 = 7671 より、

1992年8月7671日ということになります。今日は2013年9月9日(月)です。今日の日付を同様に考えると

7671+31+8 = 7710 より、

1992年8月7710日となります。7710÷7 = 1101 余り 3 なので、月曜日の日付は7で割って3余る日です。27÷7 = 3 余り 6 なので、1992年8月27日は月曜日から3日後、つまり木曜日となります。

剛力彩芽は1992年8月27日木曜日生まれです。ここで調べると確かに木曜日で、計算が正しいことが証明されます。

他の年月日でも同様に求められます。少し大変ですが、これくらいなら手計算でもできます。計算機を使えればもっと楽です。ツェラーの公式というのがありますが、これを知っていなくても小学校の算数がわかれば十分求められます。参考になれば幸いです。

なぜこんなことを考えたかというと、飲み屋で何曜日か調べる機会があったので。

店員「お客さん前に来たの3ヶ月前だよね。いつだったかな?」
私「確か14日だったな。」
店員「よく覚えてるね。」
私「店のスタンプカードに日付けが書いてあるからね。あの日は店が込んでたな。」
店員「じゃ、金曜日だったんじゃない?」
私「カレンダーを持ってないからわからないけど。えーと・・・。」

(しばらくして)

私「確かに金曜日だね。」

飲み屋でそんなことを考えるのは珍しいでしょうが、その時に考えたのが上の方法と似た方法。私が先日飲みに行ったのが2013年9月6日(金)です。6月から日付が続いているとすると、30+31+31+6 = 98で、2013年6月98日です。98÷7 = 14 だから金曜日は7で割り切れる日、14日は7で割り切れる日なので、2013年6月14日は金曜日と求めました。後にカレンダーで確認したところ正しいとわかりました。

みなさんは小学生の時にこんな計算をやったことがありませんか?


ブログ移転、その他の計画

2013-09-05 00:25:19 | Weblog

最近gooブログが運営しづらいことがわかりました。また記事の公表を安定的に行いたいと思っています。そこで次のように計画しています。

(1)移転先のブログとそのバックアップサイトを開設。ただし、バックアップサイトは新記事のみ扱うかもしれない。
(2)移転先のブログとバックアップサイトが軌道にのるまでgooブログは同時並行で運営。
(3)移転先ブログ等が軌道にのっても、過去の記事のバックアップやgooブログへのリンクでアクセスする人を考慮しgooブログは非公開としない。
(4)gooブログ、移転先ブログの名称はメインの方を"世界変動展望"、サブとバックアップサイトを例えば"世界変動展望(別館)"とし別サイトとわかるようにする。特に検索サイトの表示で競合し人気に支障が出る場合等完全な別名称とする必要がある場合はそのような名称にする。
(5)サブサイト、バックアップサイトは完全な別名称とした時でも、"世界変動展望"の関連サイトであることがわかるように工夫する。ただし、特別な事情がある場合はこの限りでない。

以上が現行の方針です。

ブログ移転にともなって名称変更することも考えましたが"世界変動展望"の名は長年使用したために読者の皆様にも覚えていただき、googleのサジェスト機能でも表示され価値があるので継続しようと思います。

私のうぬぼれかもしれませんが、本ブログは学術や将棋などの分野でよく読まれ、多くの読者を啓発し、社会問題の改善や議論に有益な情報を提供することで、これまでも社会に貢献してきました。本ブログの記事を引用、議論の題材としたサイトは数多くあり、gooブログでも上位1%未満のアクセス順位に常にランクインしています(ただし、ランク対象外設定時除く)。

本ブログは社会に対して一定の価値を持つようになったと思います。これからも社会に対してこれまで以上の貢献を続けていくために上のことを計画しています。

今後とも世界変動展望をよろしくお願いします。

世界変動展望 著者

2013.9.5

写し


経済学の研究不正、論文撤回等の紹介

2013-09-04 00:38:35 | 社会

Retraction Watchでは経済学の論文不正、撤回等も紹介しています。その他のニュースも掲載します。2月に椙山女学園大の現代マネジメント学部の男性教授(58)=公共経済学=が論文盗用で停職2ヶ月、5月に会津大准教授が論文盗用で懲戒解雇、山口大経済学部の教授が論文盗用で諭旨解雇になりました。

NEW!
山口大教授の盗用認め解雇 中国新聞
2013.5.30

NEW!
会津大准教授が論文盗用 懲戒解雇 47NEWS、
2013.5.15

NEW!
論文盗用で教授再び処分 名古屋・椙山女学園大 日本経済新聞
2013.2.5

Influential Reinhart-Rogoff economics paper suffers spreadsheet error
2013.4.18

Markets crash, and so does a paper explaining why
2013.4.11

“[A]ll of Section 3 is wrong until proven otherwise”: Correction of paper on Democrats’ economic policy
2013.3.19

Lichtenthaler co-author Ernst retracts paper that didn’t include Lichtenthaler
2013.2.25

One plagiarized economics paper that won’t need to be retracted
2013.2.11

Duplicate analysis of Eastern Europe’s GDP retracted from two journals, one in US, one in Croatia
2013.1.8

Why aren’t there more retractions in business and economics journals?
2012.12.12


規定不遵守、研究不正隠蔽と官学癒着について

2013-09-02 21:25:56 | 社会


動画1 北村幸久前東北大学副学長への厚遇

"研究不正と国立大学法人化の影-東北大学再生への提言と前総長の罪"(社会評論社、日野秀逸ら)には井上明久東北大前総長の捏造事件を組織的に隠蔽した黒幕として北村幸久前東北大学副学長が言及されている[1]。北村は文科省の元キャリアで、副学長でありながら旧帝大総長並みの高給、研究業績は皆無なのに流体科学研究所教授に就任など異常な厚遇が実在した。

一言で言えば官学癒着、文科省官僚を厚遇し、見返りとして予算などの点で大学を厚遇する。総長裁量経費は約65億円となり、一橋大学の運営交付金約56億を上回った[2]、(動画2)。


動画2 膨大に膨らんだ総長裁量経費 11分50秒頃

"日本の科学を考える"では研究公正局などについて議論されている。井上事件が組織的に隠蔽された大きな原因の一つに官学の癒着がある。文科省のガイドライン等が守られない原因について言及されているが、"文科省等としてはガイドラインが遵守されなくても改善するメリットがないので不当さを指摘されても研究機関に問題を丸投げ、研究機関は都合が悪いので恣意的に対処、文科省等は盲目的にそれを追認"という構造のために、ガイドラインや研究機関の内部規定は紙切れにすぎなくなっている

文科省等にとってはガイドライン遵守の指導は余計な仕事が増えるだけで扱いたくないのか、癒着している大学に厳しいことをして天下り先やおいしい出向先がなくなるのを恐れているか、理由は不明であるが、現行のガイドラインや研究機関の内部規定に実効性がなく研究不正が隠蔽される一つの原因には監督省庁や資金配分機関が監督責任等を果そうとしないことがある。井上事件の組織的隠蔽に関しては官学癒着も原因である。

現在は研究不正防止の対応策が文科省や学術会議で検討されているが、本気で改善をするつもりなら、第三者調査機関を作ったり、論文数水増しなどの業績誇称等の改善、拘束力のある実効的な規定の策定など、すでに提言されていることをきちんと実現してほしい。また省庁や資金配分機関は問題を丸投げせず、ガイドライン等の不遵守や不当な調査裁定があれば主体的、積極的に改善してほしい。

参考
[1]日野秀逸、他:"研究不正と国立大学法人化の影-東北大学再生への提言と前総長の罪" 2012.12
[2]中井浩一:"11月25日(日) 公開講演・討論会のご案内  「研究不正と国立大学法人化の影―東北大学再生への提言と前総長の罪」" 、写し 中井浩一ブログ 2012.11.23