世界変動展望

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名人になれる人、なれない人

2012-04-18 00:59:57 | 囲碁・将棋

今年は名人が誕生してから400年。名人は将棋界の頂点であり抜群に長い歴史と権威を持つ。読売新聞は怒るだろうが、竜王が名人と同格の最高位とか竜王戦が名人戦を超える最高棋戦だというのは名目上のことで、実質的な最高位は竜王ではなく名人であり、多くの棋士が真の最高位は名人と思っているだろう。

そんな名人の歴史で実力制になってから名人になった人は木村義雄、塚田正夫、大山康晴、升田幸三、中原誠、加藤一二三、谷川浩司、米長邦雄、羽生善治、佐藤康光、丸山忠久、森内俊之の12人しかいない。第1期名人戦が1935~1937年だから約77年間にたったの12人しか名人になっていない。人気漫画月下の棋士の巻末で河口氏がいうように、この異常な人数の少なさが名人という地位の特殊性を表しており、よほどのことでは名人になれないことの証だと思う。

人気漫画の月下の棋士では名人は神から選ばれた者がなり、自分の力ではなく神の力で名人になるという神がかり的な話が描かれているが、常識的には全く非科学的で根拠のない話ではあるものの、現実の将棋の世界でも漫画ほど極端で荒唐無稽ではないにしろ、本当に神様から選ばれた人しかなれないといった神がかり的なことを信じている人がいるのではないかと思う。

私もそれなりに長く名人戦を見てきたが、本当に奇跡ではないかと思うことで勝負が決して名人になったりなれなかったりした人を見たので、神様に決められているような運命的なものを感じる。常識的にはただの錯覚で、そんな荒唐無稽なことはないが、名人戦を戦っている棋士に大変な重圧がかかり、それが影響して奇跡的な偶然を起こしているのは間違いないだろう。この重圧は実際に戦った人でないとわからないに違いない。

近年の具体的な例は第67期名人戦第3局羽生-郷田戦だ。最終盤で、郷田がはっきりとした勝勢で勝利目前だったにも関わらず自玉に詰みがあると勘違いし誤った手を指して大逆転負けをしたのがこのシリーズを通しての致命的敗戦だった[1]。もし第3局を郷田が勝っていたら、4勝2敗で名人位を奪取していた[1]。この時の感想戦で郷田は「自玉に詰みあると誤解した」と語っている。郷田はおそらく名人の重圧に負けたのだろう。奇跡的な偶然で羽生が名人防衛、郷田は名人になれなかった。郷田には失礼だが、オカルト的な言い方をすれば残念ながら郷田は神様から名人に選ばれなかった人なのだろう。

もう一つの例は第66期名人戦第3局森内-羽生戦だ。この対局は将棋ファンにはそこそこ有名だろう。「50年に一度の大逆転」といわれた大スカがあった対局である[2]。この対局は終盤まで森内が優勢で勝つと予測されていた。しかし次第に怪しい雰囲気になり始め、141手目に事件は起きた。141手目森内の▲9八銀が50年に1度と言われる歴史的な大スカで、羽生はすかさず142手目 △8六桂と指し、あき王手で森内の銀をタダ取りした。この時点で将棋はすでに終わっていた。この勝利で羽生は優位に立ち名人を奪取、永世名人になった。この対局に森内が勝っていたら羽生が永世名人になっていたかわからない。オカルト的な言い方をすれば、羽生が永世名人になるように神様が奇跡を起こしたのかもしれない。つまり羽生は神様から永世名人に選ばれた人なのだろう。タイトル戦出場は当たり前の羽生が永世名人獲得を決めた第6局で勝ちを確信し、永世名人を意識するあまり指す時に森内側の駒を飛ばしてしまったというかなり珍しいことが見れたのも、名人の権威からくる重圧ゆえであろう。

一般の読者の中には「こんな奇跡的な偶然が起きるなんて八百長じゃないの?」と邪推する人がいるかもしれない。確かに勝つのが当たり前なのに不自然な指し手や投了で相手が勝ち、名人防衛や永世名人になったのだから、不自然さや利害の観点で八百長を疑うことはあり得るかもしれない。しかし、これらの対局に関しては八百長ではないと断言できる。疑う人は当時の放送を見るとよい。当事者の森内や郷田は明らかに「しまった!」という感じで、とても八百長をした人の表情ではなかった。森内が50年に一度の大スカ▲9八銀を指した後羽生が△8六桂と、あき王手で銀をタダ取りする手を指したときの森内の表情は完全に「しまった!」という感じで誰でもあき王手で銀をタダ取りされる手を見落としていたとわかるものだった。この時の森内の内心は体の芯が凍りつくほどの大きなショックを感じていただろう。本人はそれほど表情に出さないもののしばらくショックで眠れない日が続いたと思う。

思えば、この大スカは極めて珍しく結果的に勝敗を決する一手だっただけに、NHKでは何度もこのシーンを放送し、報道陣も容赦なく森内にこの手の感想を質問していただろう。本人は相当ショックだったろうに、記者の容赦ない質問攻め、大スカのテレビ放送など森内にとっては拷問ではないかと思うほど容赦ない世間の取り扱いに、対局者の辛さが感じられ可哀想だと同情した。要するに、対局者の心中を考えれば八百長があったとはとても考えられない。

それにしても名人という地位はなれる人となれない人がはっきりしていて、なった人はどの人も名人を獲得するだろうと思わせる人ばかりだ。例えばもっとも実績の低い丸山にしろ第56期(1997年度)順位戦で史上初のB級1組12戦全勝でA級昇級を決めた頃から強豪と目されるようになった。月下の棋士の巻末紹介では「今最も強いのは丸山忠久」と紹介されたこともあり、当時はとても勢いがあり名人獲得を予感させたし、現に名人になった。確かに他の名人経験者に比べれば天才ではないと思うが、名人になることを予想させるだけの何かはあった。

唯一私が知る中で名人になってもおかしくないのになれなかった人は二上達也九段だけだ。二上達也というと若い将棋ファンは知らない人も多いかもしれないが、昭和の時代ではかなりの強豪だ。元日本将棋連盟会長でもある。羽生の師匠といった方が今の将棋ファンにはなじみがあるかもしれない。二上は奨励会に入門してすぐ18歳で四段になり、加藤(一)ほどではないがかなりのスピード昇級でデビューから3期連続昇級、6年でA級八段になった。奨励会入門が二段からだったのでかなり高い地位からのスタートだったせいか八段昇段までわずか6年たらずで、これは現在も最速記録だ。こういう天才ぶりを見れば誰でも二上は名人になるのではないかと思うだろう。現にそう思っていた人はたくさんいた。しかし、当時は大山康晴の全盛時代で二上は大山の牙城を崩せなかった。名人挑戦は3度、すべて大山に退けられた。現代の人たちは羽生が強いというけれど、全盛時代の突出ぶりは大山に軍配が上がる。羽生の7冠(全冠)独占はわずか167日だったが、大山の5冠(当時の全冠)独占は3年は続いたし、1959年~1966年はほとんど無敵で他の棋士にほとんどタイトルを与えなかった。

河口氏は升田や米長を見ると神様から選ばれた人は苦労しても必ず名人になれるといっているが、二上を見ると必ずしもそうではないと思わされる。二上のタイトル獲得は棋聖4期、王将1期の計5期で立派な成績だ。棋聖をあと1期獲得すれば永世棋聖だった、残念である。これほどの天才棋士ですら名人になれなかった者もいる。

名人の歴史を見ると、概ねその地位の特殊性のため挑戦者に重圧がかかるのでなかなか名人になれず、大山や中原、羽生や森内といった選ばれた棋士が長く続けるという印象がある。その歴史上には上で述べたような郷田らのように悲劇的な不運で惜しくも名人になれなかった人たちのドラマが少なからず存在し、将棋ファンに名人戦の面白さや感動を与える大きな要素となっている。

今後も大きな感動がもたらされるとよい。

参考
[1]世界変動展望 著者:"羽生、名人位防衛!-第67期名人戦第7局" 世界変動展望 2009.6.24
[2]世界変動展望 著者:"羽生、50年に一度の大逆転勝利!-第66期名人戦第3局" 世界変動展望 2008.5.9