2013年の大河ドラマは「八重の桜」で、主演に綾瀬はるかが起用されることが決まった。主人公は同志社大学の創始者新島襄の妻新島八重。彼女は幕末から昭和初期まで生きたので、その時代を描くことになる。大河ドラマが近代を描くのはかなり珍しく、「山河燃ゆ」(1984年、平均視聴率21.1%)、「春の波涛」(1985年、18.2%)、「いのち」(1986年、29.3%)以来4作品目。近代のものは「いのち」以来なので27年ぶり。近代ものは「いのち」以外当時の大河視聴率としてそれほど高くない。人気が出るとよい。
1868年にL.M.オルコットによって書かれた「若草物語」(原題 Little Women)は南北戦争期の四姉妹の成長や家族愛を描いた有名な児童小説で、特に少女達に読まれた。日本でも1987年に世界名作劇場「愛の若草物語」としてアニメ化された。
本作品を名作と一般の人たちは思うけれど、原作を読んでみると私には差別的な表現が感じられる部分があって、児童に読ませるには少し抵抗がある。例えば、末娘のエイミーが学校に持ってくることが禁じられているお菓子(ライム)を持ってきているのが先生に見つかって、鞭で手を叩かれるシーンがある。このシーンには次のような表現がある。
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(ライムが先生に見つかった直後、エイミーは先生にライムを持ってくるようにいわれる)
デイヴィス先生「ほんとうにひとつものこっていないね?」
エイミー「うそは申しません。」
デイヴィス先生「よろしい。それではこの汚らわしいものを、二つずつもっていって、窓から捨てなさい。」
いっせいにためいきがもれました。さいごののぞみの綱も切れ、待ちあぐねていたごちそうが口にはとどかなくなったことがわかって、一陣の疾風ほどもあるためいきがクラス中をふきぬけたのです。はずかしさと怒りでまっかになって、エイミーは、六回も行ったりきたりしました。呪われたライムが二個ずつ - でもまあ、なんてみごとにおいしそうだこと! - しぶしぶ彼女の手からほうりだされるたびに、通りからわっと歓声がおこり、少女たちのくやしさをいやがうえにもかきたてました。なぜってその声は、彼女らのせっかくのごちそうが日ごろからの宿敵であるアイルランド系の子供たちに横取りされたことを示すものにほかならなかったからです。これはひどい、あんまりでした。クラス中の目が憤りにもえ、あるいは哀願にぬれて冷酷無残なデイヴィス氏にふりそそがれました。とくべつライムきちがいだったある子なんて、わっと泣きだしたほどです。
若草物語(L.M.オルコット 作、矢川澄子 訳 福音館書店、初版) p137 より
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要するに罰としてライムを教室の窓からエイミーが投げ捨て、外にいるアイルランド系の子達が受け取って喜ぶ声を聞いて、エイミーの同級生の少女たちは怒っているということ。この表現が非常に差別的に感じられて私は嫌だ。少し想像すればわかるだろうが、アイルランド系の子供はおそらくとても貧しい。なぜなら、通常人は外に投げ捨てられたものを食べない。エイミーは適当に投げ捨てているのだから、おそらく地面に落ちて汚れたライムもあるだろう。そんなものですら、彼らは拾って食べ喜んでいるのだ。彼らが乞食のように貧乏である証拠だ。
エイミーやその同級生たちの人種はわからないが少なくともアイルランド系ではないのだろう。イングランド系か?アイルランド系の子達とは日頃からの宿敵と書かれているが、それは人種の違い、宗教の違い(プロテスタントとカトリック)、経済的な格差(平均的な裕福さと乞食のような貧しさ)など様々な違いに起因して彼らを卑しく下等な存在と差別することが原因であろう。
上述のように、平均的な裕福さを持ちプロテスタントでイングランド系のエイミーがライムを窓から投げ捨て、カトリックで乞食のように貧しく卑しいアイルランド系の子供たちがそれを拾って食べ喜ぶ様の表現は極めて差別的で酷いものだと思う。まるで上等な人種が卑しく下等な生き物にエサをばらまいているかのようなに感じられる。こんな描写はとても嫌だ。だから私は子供にこんな描写を読ませたくないし、若草物語は子供に読ませたくない作品だと思う。
少なくとも作者のオルコットはアイルランド系ではないだろう。そうだったら絶対こんな屈辱的な描写は書かないはずだ。若草物語は南北戦争直後の1886年に出版されたものだから、まだ人種の違い等による差別意識が強く、当時としてはそれが普通の考えだったのだろう。オルコットは北側の人間で黒人奴隷解放など人種差別撤廃に肯定的な考えだと思ってしまうが、実際は人種差別意識に囚われていたのである。
若草物語は確かに名作だが、現代人の感覚では差別的な表現があり、児童小説としては必ずしもよい作品ではないかもしれない。
東北大学井上明久総長の論文2本が二重投稿に該当し取り消されたことがわかった[1]。昨年11月にも井上氏の論文は二重投稿で取り消された。今回の不正論文は井上氏が日本学士院賞を受けた時の主要な業績の一つだったという。朝日新聞によると、
『学士院賞の根拠になった論文は、応用物理の米学術誌「アプライド・フィジックス・レターズ(APL)」に1999年10月7日に投稿され、00年2月に掲載された。
ところが「材料工学の国際会議の議事録に、同じ内容の論文がAPLより先に投稿されている」との情報が最近、APL編集部に寄せられた[1]。論文の文面やグラフ・写真が極めて似ており、編集部は二重投稿と断定[1]。日本時間の今月25日未明、APLの電子版で論文の取り消しが公告された[1]。
さらに、日本の粉体粉末冶金(やきん)協会の学術誌に03年に掲載された井上総長らの論文とほぼ同一内容の論文が、同時期に米国の学術誌にも掲載されていたことも分かった。同協会は最新号で論文を取り消した。[2]』
井上氏は「東北大学には二重投稿についてのルールがなかった」と釈明しているようだが、二重投稿は水増しであり常識的におかしい。それは昔も変らないはずだ。参考[1]で述べたが普通は研究の完成度に応じて論文を発表していくものである。井上氏に限らず、国際会議の論文の内容やテクニカルレポートで出した内容と比べてほとんど新規性がないのにフルペーパーを発表する人がいるが、それは二重投稿になることを肝に銘じてほしい。
どの研究者も業績をあげることに必死だから、ついついそういう不正をしてしまうのだろうが、常識的に考えてみてほしい。全く同じ内容なのに国際会議の発表、レター、フルペーパーなど論文形式や発表媒体といった形式的な違いだけで独立とみなして複数の業績とカウントするのは水増しで明らかにおかしい。一度業績として評価されるものを発表したら、本質的に同一の内容は重ねて発表できないのは社会倫理規範である。論文に限らず口頭発表ではしばしばこのルールが破られているが、このような水増しを許すと実態的な業績評価を誤らせるおそれがあるので厳しく取り締まってもらいたい。
参考
[1]国際会議の議事録に収録された論文を査読付フルペーパーとして投稿するのは二重投稿ではないと考える人がいるかもしれないが、今回の判断のように原則二重投稿になる。なぜなら、国際会議のプロシーディング、テクニカルレポート、レター、フルペーパーといった論文形式や発表媒体は目的や内容で区別しているので、完全に同一又は本質的な部分が同一で新規性がない論文は新しく発表する価値がないからである。普通は研究の完成度に応じてテクニカルレポート→レター→プロシーディング→フルペーパーのように発表する。
[2]asahi.com 2011.6.25
論文のデータを流用するなどの不正が告発された教授を獨協医大が4月末に諭旨退職処分にしていたことがわかった[1]。不正の調査は現在も進行中で元教授を諭旨退職にした理由を大学は公表していない[1]。新聞社の報道によれば元教授はデータ流用を認めているという[1]。
諭旨退職は重い処分だが、調査が終わっていない段階で処分を決定したのは不当だと思う。なぜなら、結果次第では懲戒解雇相当の可能性があるからだ。おそらく元教授は告発を見て自分の懲戒処分が免れないと考え、大学と相談して諭旨退職で手を打ったのだろう。無論、処分理由は適当につけたのだろう。
しかし、それは不当な処分である。良識のある機関なら調査結果が出ない段階でそのような相談に応じたり、処分を下すべきではない。当然のことながら、調査結果が出るまで処分を留保し、結果に基づく適正な処分をすべきである。
諭旨退職には退職金が支払われるが、おそらく元教授には数千万円の退職金が支払われたと思う。それらのほとんどは学生からの授業料等でまかなわれているのだ。独協医大は卒業するまでにトータルで約3700万円かかるらしいが、ふんだくられたバカ高い学費が退職金支払いなしになるべき教授に支払われたら学生達は憤るだろう。獨協医大は調査の結果懲戒解雇相当と判明したらどう説明するつもりだろう。諭旨退職を決めた責任者が自分達の給料を減らして支払った退職金の補填をするくらいの覚悟をしてもらわないとだめだと思う。
それにしても琉球大学医学部の論文不正事件といい、医学部というところは平気で不当な処分をするところが少なくないようだ。
参考
[1]東京新聞(web) 2011.6.24
第69期名人戦最終局は森内俊之が勝利した。名人戦では初となる3連勝3連敗の戦いは森内が制した。最終局は名人位がかかっていただけになかなか見ごたえのある内容だった。横歩どりの戦法になったが、確かこれは今期3回目だったと思う。この戦法は奇妙な変化になるのでなかなか難しい気がする。密かに名人戦で3連敗4連勝を見たかった気もするが、いつか実現されるだろう。終盤では森内が優勢を築いたと思う。そこがきっと勝利につながったのだろう。なかなかよい将棋だった。
千利休は秀吉に命じられて切腹した。その理由は茶道に対する考え方で秀吉と対立したとか政治闘争に巻き込まれたとかいろいろ説があるが、定説はない。切腹前に秀吉の怒りに触れ蟄居を命じられたので、秀吉との仲はかなり悪くなってしまったのだろう。
アメリカのウィーナー下院議員がインターネットで知り合った女性に対し下着姿になった自分の写真を送るはずだったが、間違ってツイッターで公開してしまった問題で、16日ウィーナー議員が辞職を発表した。
似たような事件で、2006年に常磐大学の教授がオープンキャンパスで訪れた高校生に対して、構内で撮影した自身と知人女性とのわいせつ動画を誤って公開してしまった事件があった。大学は教授を停職1ヶ月の処分にし、教授は依願退職した。
米下院議員の事件も常磐大学の事件も社会的な批判が強く辞職せざるを得なかった。こういう事件を起こすと致命傷になる。エリートもお先真っ暗だ。さすがに恥ずかしすぎるだろう。こういうスキャンダルを背負った人はその後が少し心配だ。例えば、でっちあげ不祥事の追及で議員辞職した永田寿康元衆議院議員や国際的な公式会見の場でろれつがまわらなかった中川昭一元財務大臣は自殺し、わいせつな写真を報道された元グラビアアイドル藤本綾は自殺未遂した。
彼らはマスメディアや一般人に散々叩かれ追い詰められたのだろう。一生ついて回る汚名のために二度と浮かばれないと悲観して自殺に走ったのかもしれない。ウィーナー議員は政治家として致命傷を負ったが、決してそういう過ちをしないでほしい。
羽賀研二被告が詐欺罪で懲役6年の実刑判決を受けた。羽賀被告は1審で無罪判決を受けていたが、控訴審で逆転有罪判決。一審で無罪の根拠となった証言をした人物が偽証罪で有罪判決を受け、二審の大阪高裁も証言を信用できないと判断した。
羽賀被告といえば数々のスキャンダルで話題の人だが、ついに実刑を受けるまでになってしまった。上告するらしいが、おそらく判決は覆らないだろう。
最近ブログの管理画面や記事投稿後の画面に「ブラ、パンティ」など若い女性ものの下着の宣伝広告が表示されるのだが、こんなのをよく見せられるのはとても嫌だ。そういえば前も結婚・恋愛関係の宣伝だったし、私にとっては嫌なやつばっかりだ。なんでこんなのばっかり表示されるんだろう?多いユーザーに対してこういう宣伝やってるのだろうから、gooブログのユーザーは若い女性が多いのか?とにかくこんな宣伝やめてほしいな。
最近数ヶ月でまたブログのアクセス数が上がり嬉しい。ただ、一つ疑問がある。数ヶ月前からブンブンカウンターのアクセス状況をみると、キーワードのアクセスとユニークアクセスに数十の差があり原因がわからない。最初は直接アクセスでくる人が増えたのかと思ったが、そのアクセス数は以前と変わっていない感じで、どうもキーワードのアクセスのうちいくつかをカウントしていない感じがする。なんでキーワードのアクセスがカウントされないのかよくわからない。検索サイトで画像閲覧をした人のキーワードアクセスがカウントされていないからだろうか?
それにしてもこのブログは著者の言いたいことだけをつづったものなのにこれほど人に読まれるのは珍しいと思っている。有名人や素姓がわかっている人なら知名度や信用である程度人気を獲得できるかもしれないが匿名ブログだし、そんな効果はないだろう。
その分読者にとって有意義な又は関心のある情報を提供しているということだろう。「無銭飲食が無罪になる問題」、「パチンコは犯罪か?」、「再犯率から見る死刑制度の是非」など調査してみると一部の人たちの間で議論の材料にされているようで嬉しく思っている。
記事執筆はノーサラリーでやってることだが、そういう様子をみるとやっててよかったと思いますね。今後はもっと記事を簡潔に書けるように努めたいと思う。自分の文章を読み返すと、くどいというか同じ内容を繰り返している部分があるので、もっと簡潔に書いた方が読みやすい文章になるだろう。
私は森鴎外のようなスーパーマンではないので、専門外の文章執筆は上手とはいえないが、その方面もがんばりたい。思えば、自分の専門も文章を書く上で活かせるんだよね。そういうのはとてもよいことだ。
来春のNHK朝の連続テレビ小説のヒロインに堀北真希が起用されると発表された。近年朝ドラの視聴率は低調だったが、現在の「おひさま」のヒロイン井上真央や「純情きらり」の宮崎あおいなどトップ若手女優を起用した作品の視聴率が好調だったことを考慮し、堀北真希の起用を決定したのだろう。
朝ドラは1961年4月に始まったので今年で50年になる節目。ヒロインに無名女優を起用する方針が変化するかわからないが、有名若手女優を起用することで近年の視聴率低調を改善したいという考えがあるのだろう。
NHKが視聴率を気にすることはないかもしれないが、朝ドラと大河ドラマは看板番組なので人気を獲得したいのだろう。現在の「おひさま」は視聴率約20%と大好調で、大河ドラマの江すら凌ぐ勢い。トップ若手女優の一人井上真央をヒロインに起用したのが好調の要因の一つと考えられている。堀北真希はその流れに乗れるだろうか。
第82期棋聖戦第1局は羽生が勝った。羽生は1日制の棋戦だと強いと思う。思えば棋聖戦と名人戦をあわせて防衛すれば羽生のタイトル獲得数は大山の80期(歴代1位)に並ぶではないか。大記録の達成も近いかもしれない。少なくとも近い将来この記録は更新されるだろう。永世全冠とあわせて実現してほしい。
「任意の異なる実数の間には必ず無理数が存在する。」
[説明] 任意の実数をx,yとし、十分大きな整数をnとすると、nx < m√2 < ny となる0でない整数mが存在する。
x < (m/n) √2 < y。[補題]から(m/n) √2は無理数。よって成り立つ。
[説明終了]
[補題] pを0以外の有理数とするとp√2は無理数である。
なぜなら、p√2 = q (qは有理数) とすると、 √2 = q/p。√2が有理数となり不合理である。
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「十分大きな整数をnとすると、nx < m√2 < ny となる0でない整数mが存在する。」というのはわかるだろうか。nx と ny の差はn(y-x) だが、y-x がいくら小さくても十分大きなnをかけることで、n(y-x) > √2 とできる。m√2 はmの値が1だけ増えるごとに√2だけ大きくなっていくから、n(y-x) > √2ならば、nx < m√2 < ny となる整数mが必ず存在し、十分大きな整数nをとり、n(y-x) > 2√2とすれば、nx < m√2 < ny となる整数mは少なくとも2つ存在する。
独自の説明なので証明というほどではないが、これでも十分説明になっているだろう。以前に「任意の異なる実数の間には必ず有理数が存在するか?」という記事を書いて、興味を持った人が何人かいたので説明した。
参考
[1]世界変動展望 著者:"任意の異なる実数の間には必ず有理数が存在するか?" 世界変動展望 2009.4.24