殺人事件の時効がなくなるとは思っていたが、まさか遡及的に時効消滅を適用するとは驚いた。憲法が禁止する遡及処罰禁止に類似するので許されないような気がする。実現すれば、裁判で合憲性が争われることになるだろう。
参考
[1]時事通信 2010.1.28
私はメトロポリタン美術館に行ったことがあるが、絵は普通に壁にかけられており、客と絵の間を妨げるものは何もない。中には悪い客もいるだろうから絵が傷つけられないか心配になるが、そこは客を信用しているのだろう。しかし、不注意ということはあるのでやはり心配だった。
今回は不幸にもそういう事故が起きてしまったが、修理代はどうなるのだろう。壊した人はたいへんだ。
徳川家康は江戸幕府の初代将軍で戦国乱世を平定した人物である。日本では誰でも知っている。彼は大変な苦労人で、彼の我慢強さはたいへんなものだ。幼いときは織田に人質に出され、その後も今川の人質となった。一番の悲劇は織田信長の命令で正室の築山と嫡男の信康を自害させなければならない事態に追い込まれたことだろう。家族を死に追いやられたのだから、彼の精神的な苦しみは想像を絶するものだったろう。この時家康は実質的に信長の家臣のような立場だったが、よくこんな相手と付き合い続けたものだ。現代の常識では考えられない。本能寺の変の後も秀吉に一歩出遅れ、天下の主導権を秀吉に奪われ、長い間秀吉の家臣となった。
しかし、1598年(家康 55歳)に秀吉が亡くなってようやく天下を掴む日が訪れた。豊臣家臣内での政権闘争は1600年(家康 57歳)の関ヶ原の合戦で大勢が決し、勝利した家康は天下の覇者となった。この時家康は57歳。まさに長い苦労の末に花開いたといえる。その後1603年(家康 60歳)に征夷大将軍となり江戸幕府を開く。徳川時代のはじまりだ。
「織田がつき羽柴がこねし天下もち座わりしままに食うは徳川。」
などといわれるが、彼が天下をとるまでにどれほどの苦労をしたかを考えると、とても私にはそう思えない。家康が残した人生訓に
「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し。いそぐべからず。
不自由を常とおもへば不足なし。
こころに望おこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基。
いかりは敵とおもへ勝事(かつこと)ばかり知(しり)てまくる事をしら
ざれば害其身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過たるよりまされり。」
というものがある。まさに家康の人生そのものから出た教訓だと思う。今苦しんでいる人はたくさんいると思うが、あきらめずがんばり続けて、いつか幸福を掴んでほしい。
そもそもずっと勝つというのはほぼ不可能だ。終始一貫してずっと勝っていた力士といえば、江戸時代の谷風と雷電くらいだ。大関以降に限れば太刀山も含まれる。そういう化け物のような力士を除けば、双葉山でも3敗以上した場所は複数ある。
今場所は悔しい思いをした白鵬だが、来場所での活躍を期待している。
おそらく近いうちに政府は明確な修正合格者数目標を提示するだろうが、法務省などの発表を見る限り当初の予定より合格者数が削減される方向になる可能性が高い。合格率の低さから「5年間に3回だけ受験できる。」という制度も合理性が無く撤廃される可能性が高いと私は思っている。そうなれば近い将来の司法試験合格率は非常に低くなるだろう。10%も割り、一桁台の合格率になる可能性も十分ある。
私の理解では、法科大学院は旧司法試験の試験重視学習から脱却し実務などを重視した教育にするためにできた学校である。しかし、近い将来の司法試験合格率が非常に低く、場合によっては旧試験なみの合格率になったとしたら試験に受かるという現実に負けとてもじゃないが実務重視の学習などできないだろう。旧試験と同じ試験重視学習になるに決まっている。旧試験の試験学習批判、予備校批判で法科大学院を作ったにも関わらず、新しい制度でも試験重視学習を事実上強要するのは背理である。
結局のところ法科大学院制度は学生がほぼ確実に法曹になれる程度司法試験の合格率が高くない限り十分に機能しないのである。大学での学習に集中できるのは「ほぼ確実に法曹になれる。」という核心的事項が担保されているからであり、それがないのに法科大学院制度の高い理想を実現しようとしても無理な話だ。
法科大学院制度は現時点で理想と現実の乖離が著しい状態であり、多くの人が司法試験の世界から離れている。これははっきりとした数値として現れている。例えば、大学入試センターが実施する適性試験の受験者数は減少が著しい。
2003年度 39,350人
2004年度 24,036人
2005年度 19,859人
2006年度 18,450人
2007年度 15,937人
2008年度 13,138人
2009年度 10,282人 (2003年度の約26.1%)
おそらく今年は1万人を切るだろう。
・司法試験の合格率は当初より大幅に低く合格しにくい。
・法科大学院の授業料等で多額のお金と時間が必要になる。
・さらに政府は司法試験の合格者数を下げる計画で、いっそう合格しにくくなる。
・法科大学院に進学しても法曹になれない可能性が高く、損失が大きすぎる。
・司法修習は給料が貸与性となり経済的負担が大きい。
・法曹増員といいながら、裁判官、検察官は一向に増えない。
・司法試験に合格しても就職難。
これだけリスクがあったら多くの人は司法試験・法科大学院を志さないだろう。これらの要因が上記の適性試験受験者数減少に現れている。
端的にいって、合格率をはじめとしたこれらのリスクを改善しない限り、法科大学院制度は破綻に追い込まれるだろう。リスクや苦労は多いのに得るものが少なければほとんどの人が司法試験を目指さない。各都道府県弁護士会が危惧している「有為な人材がいなくなる。」というのは現実化し、優秀な人が司法の世界からいなくなる危険も高い。
それでもいいと考えているのかもしれないが、私はかなり問題だと思う。この制度でせいぜいいい事といえば、司法修習でお金をかけて教えていた内容を法科大学院で受験生の自己負担のもと教えることに成功したくらいだ。結局いい思いをしたのは法務省や最高裁判所だけかもしれない。
私にとってこの問題は対岸の火事だが、司法試験を目指している人はリスクが大きい分高い実力を身につける以外に救済される道はないのでがんばってほしい。
大相撲界の変革に取り組みたい貴乃花だが、それを嫌う人たちは大勢いるようだ。貴乃花を支持したから破門というのは行き過ぎではないのか。一門として統制を取るために一門の考え方に反対するものを排除する必要があるのかもしれない。しかし相撲部屋の親方集は元々一門の考えに同調して当該一門に属していたわけではないだろう。現役の時に入門した部屋がたまたまその一門だったというだけだろう。引退後の協会運営の考えまで固めて入門したわけではないだろうから、一門には様々な考え方の親方がいて当然だと思う。それなのに、一門の考えに合わないから破門というのは、様々な考えがあるのを前提とする団体の性質に適合する処分ではない。
貴乃花にはそういう点も含めて相撲協会を改革してほしいと思う。
参考
[1]YOMIURI ONLINE 2010.1.19
高橋留美子の作品はラブコメディが多く、どの漫画のキャラクターもみな可愛らしい。そこが人気なのかもしれない。しかし、私は高橋留美子の作品は好きなものが少ない。めぞん一刻くらいだ。キャラクターはかわいらしく人気なのだろうが、私の好みではないし話がそんなに面白くない。だから、私にとって高橋留美子はそれほど面白い漫画を描く作家ではない。思うに、漫画の対象年齢があわないためだろう。らんま1/2は典型例だと思うが、読者対象が小学生、特に女子向けの作品に思える。めぞん一刻は青年誌で連載していたものだし、小学生でも読めると思うが他の高橋作品に比べれば少しだけ対象年齢が高いと思う。めぞん一刻は高橋作品の中でも男性ファンが多いらしい。
あだち充の作品は青春ストーリーが多い。彼の描く作品はどれも純粋できれいだ。私はあだち充の作品は好きなものが多い。「タッチ」「H2」「KATSU!」などとても面白いと思う。彼の描く純粋でひたむきなストーリーが好きなのだと思う。現在は「クロスゲーム」が連載中で、ちょうど今がクライマックスだと思う。つまり、最終回が近いのだと思う。あだち充はデビューしたての画風と今の画風ではまるで違う。あだち充がデビューしたのは、おそらく1970年くらいだと思うが、当時流行していた血なまぐさいスポーツ根性物の画風はおよそ今のあだち充作品からは想起できない。彼が少女漫画に転向し、少女漫画のお家芸ともいえる恋愛ストーリーを描くようになってからの作品の方が現在のあだち充作品に通じるものがあると思う。「みゆき」「スローステップ」「陽あたり良好!」など少女漫画の人気作品も多い。
高橋留美子とあだち充は戦友とも言われるらしいが、これからも人気漫画を描き続けてほしい。
民主党には逆風がふく。小沢氏まで逮捕されるのだろうか。
参考
[1] 産経新聞(Web) 2010年1月15日22時8分