世界変動展望

私の日々思うことを書いたブログです。

大気汚染データの改ざんの疑いで調査

2016-10-28 22:00:00 | 環境・地球温暖化問題

大気汚染データの改ざんの疑いで調査というニュースが報じられた。中国ではこういう事があるらしい。日本でも人口調査で改ざんがあったと思う。日本ではある環境経済学者の大規模で悪質な研究不正が問題となった。この事例はペテン師の悪質な不正だった。

環境分野の不正行為もそのうち発覚して大問題となるかもしれない。


少なくともあと20年は化石燃料の需要増の見通し、地球温暖化対策に関する米中の取決め

2014-11-16 01:57:13 | 環境・地球温暖化問題

12日にInternational Energy Agency (IEA) が最新のWorld Energy Outlook 2014を公表。世界の指導的なエネルギーシンクタンクによると少なくともあと20年は化石燃料の需要が増える見通し[1]。温室効果ガス削減にはアメリカと中国の活動が重要。最近アメリカと中国がそのことで会合したようだ[2]。

「Speaking at the Asia-Pacific Economic Cooperation summit in Beijing, US President Barack Obama pledged to cut total US greenhouse-gas emissions by 26–28% below 2005 levels by 2025. At the same time, President Xi Jinping said that China will stop its emissions from growing by 2030 at the latest. [2]」

とアメリカのオバマ大統領と中国の習近平国家主席は公表。いろいろ秘密会合をした後に上の公表をした。その意味とは両者の笑顔なき握手は今の日中関係の象徴か。興味のある方はリンク先をどうぞ。

参考
[1]Nature News Blog 2014.11.14
[2]Nature News 2014.11.12


ある環境経済学者の悪質で大規模な不正について

2014-11-14 17:17:35 | 環境・地球温暖化問題

不正をする研究者の中には驚くべき悪質さの者が稀にいる。これまでは理系の研究者ばかり紹介してきたが文系でもこのような研究者がいる。ネイチャーによるとドイツ人のハンス・ゴッティンガーHans Werner Gottinger)は環境科学技術分野の経済学者で10年以上にわたり論文盗用や肩書詐称を繰り返した。日本では関西学院大学教授や一橋大学客員教授を務め、ドイツや英国、米国の研究機関に所属し、有名学会誌に論文を100編以上発表した[1]。しかし多数の論文に盗用が判明し、確認できるだけで13件の盗用があった[2]。「オランダのマーストリヒト大の教員と名乗っていたが、大学側は否定。大阪大の所属と受け取れる不正確な肩書も使っていたという。 [1]」

はっきりいってペテン師。だから経歴や論文が本物か疑わしいが、関西学院大学のゴッティンガーの出版論文をみると地球温暖化関連の経済学論文を発表したことがあり、ネイチャー誌も環境科学技術分野の経済学者と記載したので環境経済学者ではあるのだろう。日本でそんなに騒がれた印象はないが、ネイチャー誌が報じ欧米の学会では波紋を広げたようだ[1][2]。アカデミックポストを得るのに立派な経歴と業績が必要なので10年以上詐欺行為を繰り返した。非常に悪質。

これと似た事件はアニリール・セルカン事件[3]。研究者の中にはこのような人物が稀にいる。ペテン師というとiPS臨床研究捏造犯も肩書詐称を常態的に行ったこの人物はあれだけ世間から強烈な非難をあびたにも関わらず事件後にまた架空の所属、共同研究者で怪しげな(おそらくは欺瞞の)論文を複数発表した。ゴッティンガーもまた事件後にEurosis国際会議で虚偽の所属と地位を使って研究発表しようとした。世間から非常に非難されても悪質な不正行為者は全然反省せず、懲りず、すぐに欺瞞を繰り返すのだから詐欺体質が直らないのだろう。現在研究不正の続発で倫理教育の強化が進められているが、このような人物には全く効果がない。

それにしても研究機関は人事審査の際に経歴や業績を全く調べない事がそれなりにあるのか。アニリール氏の事件の時も東大や前所属のJAXAがなぜ大規模な経歴、業績詐称を見抜けず雇ってしまったのかという疑問が世間で生じたが、関西学院大学や一橋大学は大規模な欺瞞のある人物を教授又は客員教授として雇ってしまった。どちらも一流大学で助教ではなく教授として雇ったのだから、いったいどんな審査をしたのだろう?実体を調べずに業績リストの論文数やIF、引用回数だけを形式的に審査して採用したのか?簡単な確認さえすれば欺瞞を見抜けたと思うが、なぜゴッティンガーを雇ったのか。実績や実力のない小保方晴子をユニットリーダーとして雇った理研の人事審査といい、研究機関はでたらめな審査をやることがあるのだろう。実をいうと、公募なんて名ばかりで完全な出来レースは珍しくない。しかしこのような人物を雇った関西学院大学や一橋大学の人事委員会の責任はある。慶応義塾大でも教員の経歴や業績詐称が発覚し黒を白と判断した慶応大は業績のない人物を産業界や政界とパイプがあるという理由で教授、准教授として雇ったり、著名人がポストを買っているという実態があると報じられた事がある。要するに産業界、政界との癒着や著名人を客寄せパンダにしようとする慶応大の金儲け戦略で、経歴や業績を重視しない考えのようだ。だから経歴や業績等の審査を行わない又は表面的な審査で人事を行っているのだろう。

こういう事例を見ると、もしかして研究機関は嘘の経歴や業績でも教授等になれてしまうのか?でたらめでアカポスに就いた人はいっぱいいるんでしょうね。

ゴッティンガーの論文不正は盗用だったので、ある程度の被害で済んだのはまだよかったかもしれない。捏造や改ざんだっだら甚大な損害だったかもしれない。理系はiPS臨床研究捏造犯や藤井善隆のように捏造、改ざん実行者が多いが経済学者の不正は盗用が多く、捏造、改ざんは余り見ない。しかし一流誌等に複数論文を掲載した事のある国内経済学者のリストを作った大阪大学の安田洋祐氏によると経済学でも改ざんがあり日常茶飯事という人もいるある研究では経済学と教育学が最も研究不正が起きやすい

経済学者の捏造、改ざんは酷いと巨額の経済損失や国民の多大な不幸を招く。例えば、ゴッティンガーは環境経済学者だから、もし地球温暖化の経済政策の論文で改ざんを行って発表したら、巨額の経済損失や国民の多大な不幸をもたらす。ゴッティンガーの詐欺体質を考えると、捏造、改ざんをやってても全然不思議ではない。そういうのは絶対にやめてほしい。

上のことを考えると理系だけでなく経済学にも悪質な不正がある。現在の研究不正や研究機関の不公正さの問題は理系だけの問題ではなく経済学などの文系でも同様だ。またゴッティンガーの不正を他山の石とできずアニリール氏の事件を起こした東大、それを他山の石にできず杜撰な審査で不正博士論文を大量に出してしまった早大など、研究機関はどこも不正は対岸の火事で他山の石という言葉を知らない。もし他の研究機関の悪例を見て不正防止に積極的に努める機関があれば、現在まで起ったような不正は起きず、理研早大のように信用を地に落とし多大な損失を被るのを避けられるだろう。

でも、研究不正の問題に世間の注目が集まったので、近いうちに経済学の分野でも悪質な捏造、改ざんが発覚するかもしれない。

参考
[1]共同通信 2007.8.8
[2]Nature 452, 672 (2008)
[3]トルコ人のアニリール・セルカン元東大工学系助教が大規模な経歴、業績詐称、博士論文の盗用を行った事件でネットで追究され不正が解明された。その追及のされ方から必然的にネットでは話題になり東大初の学位取り消しが行われた事もあり少し話題になった。2009年に発覚。


環境経済学の挑戦

2014-11-04 16:27:55 | 環境・地球温暖化問題

環境経済学の挑戦」という記事が日経サイエンス2005年12月号で公表されている。この記事の要約によると「経済成長を前提とする発想は,世界経済が限界のない空間に存在しているのならうまく行くかもしれないが,現実はそうではない。」(出展 2005年12月号の先のリンク先)という。問題の簡単化のためにいろいろ前提を作るが、どれほど妥当で信頼性があるのか。少し古い記事だが、関心のある方はどうぞ。


原子力発電と原爆の原理

2012-07-19 01:11:11 | 環境・地球温暖化問題

原子力発電所やウラン型の原子爆弾([1])はウラン(質量数235)を用いた核分裂反応を利用している。

235U + n → A + B + 2n

 (nは中性子、A,Bは質量数が同程度の元素)

上が反応式。知ってのとおり、原子核は陽子と中性子が核力によって結合してできている。しかし、陽子数が増えるとクーロン斥力増大のために不安定になる。熱中性子(熱的に励起した運動エネルギーの高い中性子)をウラン235の原子核にぶつけてやると、核力による束縛を脱し核分裂する。その際にわずかに質量欠損し、有名なアインシュタインのE=mc2の式によりエネルギー(この場合は光)に変換され外界に放出される。右辺では中性子ができている。これを他のウラン原子核にあててやれば、さらに同じ反応が起き、連鎖的に核分裂が進んでいく。これを連鎖反応という。

この反応を制御して行えば、蒸気を沸騰させタービンを回して発電する原子力発電所になる。この反応を急激に行えば大爆発を起こす原爆となる。

原子力のエネルギーがどれだけすごいかは原爆や水爆、地球内部の高温([2])を見ればわかるが、発電に使えば確かに火力に比べれば効率がよさそうだ。ただ、上の反応式を見ればわかるとおり、放射性廃棄物が出て、その影響を子々孫々までツケとして残すことになる。例えば原発を利用すると毒性の強いプルトニウム(質量数239)を作り、処分のために何万年も地中に保管することになる[3][4]。プルトニウム型の原爆や水爆の材料にもなるので軍事的にもプルトニウムを大量に保有しているとよろしくない。日本はすでに45トンも保管しているらしい[5]。

この文章を読んだ人の中には、原発と原爆は同じ原理なのだから原発事故が起これば原爆爆発のような悲惨な事態になるんじゃないかと思う人もいるかもしれない。しかし、そういうことはない。原発と原爆ではウランの濃度が大きく違い原発事故が起こっても原爆のような爆発は起こらない。ただ、放射能汚染については規模の違いはあっても共通しており、昨年の福島第一原発の悲惨さを見れば甚大だということはよくわかるだろう。

福島第一原発事故は放射能汚染だけでなく東京電力を経営破たんにまで追い込んだ。それくらい原発は他の発電に比べてリスクの高い発電で、一度事故が起きると甚大な被害をもたらす。原発を運用し続けるにせよ安全性の高い原発は必須だ。でも、事故頻度は極力下げられたとしても災害や人為的ミスで事故が起きることは避けられないだろうし、事故は起きるという前提で考えなければならないだろう。

飛行墜落事故のように原発事故は努力次第で極めて稀な事故にできるかもしれない。しかし、絶対にゼロにはできないだろう。ただの一度でさえも事故を起こしたくないという人は原発に反対するしかないだろう。

原子爆弾や水素爆弾については、そのあまりの非道徳性に多くの人が反対しているとは思うものの、こんなものを人類は作ってしまった。こんなものを作って物理学者は怒られてしまうだろう。科学とは人類だけでなく森羅万象を幸福にするために存在し、そうでなければ意味がない。


水爆実験の映像[6]

水爆の実験映像を昔見たことがあるが、この動画を見て単純に「大変なお金と手間をかけてこんな大爆発を実現させるなんてバカじゃんか!」と思ってしまったが、人間は不思議なことにこんな甚大な破壊しか生み出さないものを多くの国が国をあげて大変なお金と手間をかけて、真剣に取り組んでるんですよ。

なんと愚かなことでしょう!

参考
[1]例えば1945年8月6日に広島に投下された原爆「Little Boy」はウラン型の原爆で、5.5 × 1013ジュールの出力があったとされる。
[2]地球内部はかなりの高温だが、これは放射性元素による熱によるもの。
[3]プルトニウム(質量数239は物理的半減期が約2万4000年、生物学的半減期が200年で、毒性の強い放射性元素である。α線を出し、これは生物細胞を損傷し、発ガンの原因になる。
[4]さらに核反応をすすめて半減期の短い元素にしてから保管する計画もあるらしいが、それでも100~500年は保管することになる。
[5]河野太郎氏の文章 2009.8.12
[6]水爆実験の映像 2012.7.15 確認


放射性廃棄物を地中に捨てることについて

2012-07-17 00:50:33 | 環境・地球温暖化問題

放射性廃棄物は地中深くに埋めて最終処理している。原発を運用してできる廃棄物の一つにプルトニウム(質量数239)がある。これは物理的半減期([1])が約2万4000年、生物学的半減期([2])が200年で、毒性の強い放射性元素である。α線([3])を出し、これは生物細胞を損傷し、発ガンの原因になる。地中に埋めて処理すると数万年は保管しなければならないが、これを地下に保存しておくのは大丈夫なのか?

地表に放射線がもれてこないようにするのは当然だが、地中深くとはいえ土壌汚染は問題じゃないの?それに関しては調べていないのでなんともいえないが、ある資料を見ると原発存廃の問題の一つとして放射性廃棄物の捨てる場所を見つけるのが難しいことをあげていた。青森県六ヶ所村のように嫌なことは弱い自治体に押し付けるのはやめなければならない。

土壌汚染の問題はどうなんだろう?簡単に考えると、我々が使う土壌が汚染されると確かにまずいが、地中深くなら大丈夫なんだろうか。知ってのとおり、地球内部は高温でその原因は放射性元素が熱を出しているからだ。もともと地中の深いところは放射性元素が含まれていて原子核の崩壊エネルギーであれだけの高温を保っている。放射性元素が地中にあるから土壌が汚染されてまずいというなら、我々の大地はとっくに汚染されて使い物にならなくなっていただろう。

だから、必ずしも地中に放射性元素を捨てることが悪影響になるとはいえないように思う。これはまだよく調べていないから、このように思うというだけで調べてみれば悪影響があるかもしれない。だから、近いうちに調べてみようと思う。

ただ、地中深くへの廃棄に悪影響があろうとなかろうと、さすがにそれを引き受けるところはどこも嫌だろうな。放射能汚染は周りの地域より酷くなるだろうし。放射性廃棄物を地中に捨てることを気分的に嫌だという人もいるだろうし。

有名な宮崎駿のアニメ映画「風の谷のナウシカ」(1984年)でナウシカが

「汚れているのは土なんです。この谷の土ですら汚れているんです。なぜ、誰がいったい世界をこんなふうにしてしまったのでしょう。」

と嘆くシーンがある。環境のことを考えず汚染を続けるとこういう酷い目にあうよという宮崎氏の警告だが、土壌汚染をするとこういう目にあってしまう。「環境にいい」というと気分がいいので、それだけで賛成する人がいる。確かに原発を運用し続ければプルトニウムなどの放射性廃棄物をずっと作り続けることになるし、物理的半減期が長いので半永久的に保管し続けなければならない。我々はまだ原発を使い始めてまもないからいいが、原発を運用し続ければ後生は大量の廃棄物を持つことになり、子々孫々までツケを残すことになる。

福島第一原発事故であれだけ福島県民を中心として酷い目にあったと嘆き文句を言っている人たちが後生にそういう負の遺産を残すことはあまりに無責任ではないかと思う人もいるだろう。ナウシカのような酷い世界になることはないと思うが、後生の人たちが我々のせいで酷い目にあって上のナウシカのセリフのように「なぜ世界をこんなふうにしたんだ!」と言われることだけは先人として絶対に避けなければならない。

それはわかるが、精神論ではなく科学的に考えてほしい。放射性元素を地中に捨ててまずいというなら、もともと地中には多量の放射性元素が含まれていて、それで地球内部はあれだけの高温を保っているんですよ。地中に放射性元素があるから土壌が汚染されて大地がだめになるというなら、もうとっくにだめになってると思いませんか。これは私の知識に基づく簡単な考察なので、もう少し検討してみないと有益なことはいえないし、間違っていることをいっているかもしれない。ただ、気分とか精神論だけで根拠もなく放射性廃棄物を地中に捨てることに反対するのは合理的でないと思う。

精神論や気分ではなく科学的に考察することは重要である。

参考
[1]物理的半減期:「放射性元素が崩壊して、その原子の個数が半分に減少するまでの時間。放射線の強さが半分に減るまでの時間。アクチニウム217では0.018秒、ウラン238では45億年。粒子の寿命を表すのに用いられる。」 (大辞泉より)
[2]生物学的半減期:「人間や動植物の体内に取り込まれた物質が、代謝や排泄などでおよそ半量が体外に排出されるのに要する時間。多く、放射性物質や毒物・重金属など有害な物質についていう。生理的半減期。」 (大辞泉より)
[3]α線:「放射線の一。放射性元素のα崩壊で放出されるα粒子の流れ。人工的には、サイクロトロンなどを用いてヘリウムイオンを加速して発生させる。β(ベータ)線・γ(ガンマ)線より電離作用が強く、透過力は小さい。数センチメートルの空気の層や紙一枚で容易に遮蔽することができるが、α線を放出する放射性物質を体内に取り込んだ場合、内部被曝により人体に悪影響をもたらす。」 (大辞泉より)


喜ばれる記事、執筆の基本方針転換の検討

2011-10-30 18:59:58 | 環境・地球温暖化問題

幸い本ブログは開設当初に比べるとかなり人気が上がってある程度読まれている。基本的な執筆姿勢は良いことも悪いことも信じたとおりを書くということだ。批判的というか悪い内容でも書いているのは、首相をかばう与党議員のように正直な見解と関係なく常に良いことだけ述べていては公平でないし良い言論にならないと思うからだ。

しかし最近はブログの人気上昇にともなってそういう考えを見直すことを検討している。人気が上がるということはそれだけ影響度が大きくなるということだが、批判的な内容で悪影響が出ることは、記事の内容が正当であれば仕方ないと思うが、人気ブログほど記事の正当性に気をつけないといけない。

それにできればどんな読者にも喜んでもらえる記事を書きたいと思っている。他のブログの中にはではできる限り批判的な内容は書かないようにしているところもあるし、そういう執筆姿勢も一つのあり方としていいのではないかと思う。

最近だと東北大学総長の不正、獨協医大の不正、上原亜希子の不正など大学や上原亜希子の悪い姿勢を批判する記事を書いたが、こういう内容は確かに人気はあるようだが、人の役に立つ記事ではあるかもしれないが、読者が喜んだり、楽しくなったりする記事ではないだろう。もともと、そういう類の記事を書く才能が著者にないのが原因かもしれないが、できれば誰にとっても喜ばれるものを書きたいと思う。

批判的なことをわざと言わないというのは、たぶん言論としてはあまりよくないと思うが、喜ばれるにはそれもいいのかもしれない。批評とは関係なく単に数学、物理、法律などの知識を読者に提供するだけなら、悪影響は与えず単に読者に有益なだけで済むかもしれない。そういうのも悪くないだろうか。

今のところ信じたとおりのことを書くという基本方針を変えるつもりはないが、上のような方針転換は検討しようと思う。読者の方で何か要望や意見があれば言ってください。

--
追記 2011.11.3

読者から要望はなさそうなので、今までどおり悪評価の内容も信じたとおりを書きます。