星のひとかけ

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生・此処・地… :『イタリアン・シューズ』ヘニング・マンケル著 / 『ある一生』ローベルト・ゼーターラー著

2019-09-02 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)


人生… 生き方… 生涯…

呼び方はいろいろですが ひとりの人間の生き方を描いた、 三つの異なる時代の、異なる国々の小説を読みました。 この夏に読んだものですが、 別にテーマを意識して続けて選んだ本ではなく たまたまだったのですが、、 それぞれが 《一生》 つまり「ひとりの人間の生涯」 あるいは「一度限りの生」 というものを考える小説なのでした。。

ヘニング・マンケル著『イタリアン・シューズ』 東京創元社 柳沢由実子・訳 は、 時代は現代(ほぼ戦後世代)。 国はスウェーデン。

ローベルト・ゼーターラー著『ある一生』 新潮クレストブックス 浅井晶子・訳 は、 時代は二十世紀の約80年間(ふたつの大戦を生きた世代)。 国はオーストリア。

イェンス・ペーター・ヤコブセン著『死と愛(ニイルス・リーネ)』 は、 時代は19世紀後半。 国はデンマーク。 (ニイルス・リーネについての読書記はまた別の機会にします)


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ヘニング・マンケルさんは 警部クルト・ヴァランダー・シリーズで著名な作家。 ヴァランダーシリーズ含め、 マンケルさんのミステリ―作品はほぼ全部読み終えてしまい、、 唯一 ヴァランダー作品の『ファイアーウォール』以降は (これを読んだらもう楽しみが無くなってしまうのがイヤで)読まずに残してあるのです。。

そのマンケルさんの未訳だった小説『イタリアン・シューズ』は ミステリ作品ではなく、 66歳の初老の男の、 生き直し、、 というか 人生の《再始動》の物語。 解説の中に、 本国での評価として「究極の恋愛小説」というふうに書かれているけれど、 この小説は 私は恋愛小説ではないと思う… 

66歳の男が暮らしているのは、 ストックホルムの東側にある群島の中のひとつの島。 ストックホルム群島というのは 2万4千も(!)島が存在するそうで… 、、以前読んだミステリ小説『静かな水のなかで』ヴィヴェカ・ステン著 では その群島のことを (ガラスを叩き割って散りばめたような…) という感じに表現されていたと思います(うろ覚えですが)

そんな細かな島の一つに、 男はもう十二年間 たった独りで住んでいる、、 世捨人のように、、 或は 引きこもりのように。。 何処へも行かず、 口をきくのは数日おきに船で来る郵便配達人だけ。。 かつては都会で有能な多忙な職業人であった彼は、 とある大きな《挫折》をきっかけに 一切を棄ててこの島に引っ込んだ。 その日から男の心も時が止まったように停止した…

その島にある日、、 男が遠い過去に棄てた女が現れる、、 病に侵された年老いた姿で…。。 
長い年月 心のすべての扉を閉ざしていた男の、 ひとつのドアが急に開かれ、 いやおうなく吹き込む風に男の心はかき乱され翻弄される、、 しかし、 ひとたび吹き込んだ風は 次の扉を また次の扉を… 

、、 世捨て人のような頑固で偏屈な老人が、 人とのつながりをきっかけに次第に心を開いて変わっていく… そういう物語は わりと何処にでもあるような気がする。。 日本の映画とかでもなんだかありそうな気がする。。 生き直し… 再生の物語… たしかにそうなのだけれど、、 ヘニング・マンケルさんらしいなと思うところは、 66歳の主人公も相当に《身勝手な》男なのだが、、 物語の運び、、 つまりは書いている作家さんの筆も相当に《身勝手な》書きっぷりというか、 強引な(?)展開で…

クルト・ヴァランダー警部シリーズを読んでいる人間には、、 この初老の男って、、(ヴァランダーだよ…)とつい笑ってしまう。。 とつぜん気が変わる、 とつぜん怒る、 とつぜん思い込む、 とつぜん逃げる、、 とつぜん決意する、、 とつぜん… (笑
… ヴァランダーシリーズで、 ある事件をきっかけにヴァランダーが精神的に追い詰められ 休職に至るのですが、、 そのあと警察に復帰できずに辞めてしまっていたら きっとこの島に引きこもりの男みたいになっていたと思う… 、、そういう ヴァランダーらしい、 実に 身勝手で、 ダメで、 弱くて、 でも強がりで、、 孤独を選んだくせに 心の中には消すことの出来ない何か 悔いや おさまりのつかない抗いや 誰か、、 そういうものが燻っている、、熱く… (だから氷の海に毎日入ったりするんだ、、きっと…)


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ゼーターラー著『ある一生』の主人公は、 正反対のような人物。。 この人物は自分に降りかかるすべてを受け入れて生きる、、

オーストリアの山岳地帯。 男は生まれながらに何も所有していなかった、、 みなし児になり、 遠い町からこの地へもらわれてきた。 厳しい労働も、 折檻も、 そのせいで身体に障害が残っても、、 すべてを受け入れて生きる、、 そもそもこの世に 疑いとか 抗いなどという概念が存在しないかのように…

この男の物語には《神》への信頼とか信仰については何も触れられないけれど、 男の人生に次々に起こる悲劇や苦難、、 愛、 死、 戦争、、 さながら「ヨブ記」のように男の身を翻弄する… それでも生きる、、 淡々と、 一歩一歩、、 巨大な岩を永遠に山頂へ運び続けるシジュフォスみたいに… 

その姿はやはり、、 この物語の舞台、 男が暮らす地、、 山岳地帯の風景にどこか似ているのかもしれない… 、、山は一瞬にして嵐が吹き荒れる、、 雪崩が起き、 霧に包まれ、、 氷に閉ざされ、、 それでも正しい季節になるとひっそりと花は咲き、 どこかで生き物は冬を乗り越え、、 そして 毎日、 太陽は正しく昇り、 山腹を黄金に染める… 

『ある一生』の男の人生は、 もしかしたら20世紀の困難な時代の中では たぶん何処にでも存在し、、 語られることもなくこの世を通り過ぎて行った 名もなき人々すべての人生なのかもしれない。。

この小説を読んでいると、 「小さな村の物語 イタリア」というTV番組が脳裡にうかびます。。 土曜の夕や日曜の朝にやっているので しばしば観ることがあるのですが、、 イタリアの小村の風景も美しいですし(とりわけ北イタリアの山岳地帯は、この小説を思い出させます)、、 取り上げられる村人は羊飼いだったり、 農家だったり、 バールの経営だったり、 様々だけど  皆 自分の暮らしに納得し、 その地を愛して長い年月を生きてきた満足感というか、 決してひけらかすことの無い誇らしさに満たされている… そんな無名の人々の尊い人生のことを想います。。


 ***

小説としては どちらも価値のある小説だと思うけれど、、 人生も初老に近くなったとは言え いまだにダメダメな自分としては 『イタリアン・シューズ』のおっさんの方により感じるものがありました。
何より、 『イタリアン・シューズ』の魅力的な点は、 このおっさんと関わることになる登場人物のいずれもが どこか勝手に生きていて、 それぞれ我儘で、 でも自分の道というものを持っていて、、 そんな個性のある登場人物たちと このおっさんとの距離感(この後の物語のつづきを想像させる上でも) なんだかいい距離感を感じるのです。。 おっさんの暮らす群島のことを 《ガラスを叩き割って散りばめたよう…》だと 先ほど書きましたが、 ちょうどそんな風に、 少しずつ離れていて、 ばらばらなんだけど なんだか一つ一つ輝いている、、 そんな群島。。


、、 人とのつながりは大事… (だいじ、とも おおごと、とも) だけど、、 この日本の中での人と人との距離感、、 密度に、、 たま~~に 息苦しくなること、、 ありませんか…?


ストックホルム群島も憧れる…


オーストリア山岳地帯も素敵…


、、 自分の人生の中で 自分にとっての 最善のいごこちを感じられる場所、、 生・此処・地… そして ともに生きる人との距離感…  あらためて自分の身もふりかえり、 この先の生き方も想ってみる読書でした。。



一度きりの人生だものね、、

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