星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

ふたたび登るために、山を下るということ。

2003-04-28 | …まつわる日もいろいろ
 思いがけなく、ほぼ1年ぶりに友ふたりから、電話があり、女性も人生の半ばにもなればいろいろな事に直面するのは仕方の無いことだけれども、そのどちらもがあまりに深刻な状況だったことにちょっと驚かされ、胸の中に重い水を抱えて、片方の肺でしか呼吸できないような気持ちで過ごしていました。「世の中、戦争したり、恐ろしい病気があったり、自分よりももっと大変な人がいることはわかってるのよ・・・」という友の言葉が余計に苦しくて。

 ・・・しかし、状況を抜け出す道を見つけられるのも、自分だけなのだし、そんなこともたぶんわかっていて、でもコントロールできない気持ちを私にただ聞いて欲しかったのでしょう・・・

 気がつけば、ゴールデンウィーク。私自身も元気を出さないと。先週は、本当にあちらこちらと飛び回って忙しくて、少し疲れも出たみたいで。
 でも、時々、電車の吊り広告や何かで気に留めてあった美術展や映画は、もう始まっていたのかしら、、と気持ちを切り替えてみれば、、ええ、たくさんたくさん予定が並んでいます。この春から夏は、ぼうっとしてなどいられないようです。

 週末は友と、東京都美術館へ『ロマノフ王朝展』に出かけることができました。今年はロシアにおける日本年(逆だったかしら?)だそうで、ロシア関係の催し物がたくさん続きます。ロマノフ王朝展もその一環でしょうか。豪華な装飾をほどこしたアクセサリーや銀器なども溜め息がでるようなものでしたが、私の目当てはロシア正教のイコンや祭事用具。昨年秋、アンドレイ・ルブリョフの『旧約聖書の聖三位一体図』について調べたりしていましたが、ルブリョフがその「聖三位一体」を捧げた聖セールギー、その人の伝記を描いた16世紀のイコンが最も素朴で美しく心に残りました。ロシア帝国が強大になるほどに、当然イコンにも黄金や真珠の装飾が施され、まばゆく輝く救世主の姿になっていくのですが、ルブリョフはまだ15世紀前半の人。聖セールギーのイコン画もたぶんルブリョフ派といわれるものに属するのでしょうが、ルブリョフの特徴だったロシアの自然の色、若草の緑、花々を示す薔薇色、大地の小麦色、色づいた秋の葉の褐色、そして澄み渡った空の青、、、ああ、きっとルブリョフのイコンもこのような色で描かれているのだろう、と、いつかモスクワでそれを観る夢を抱きつつ眺めていました。ルブリョフのイコンは、宗教を超えて、百済観音像や、弥勒菩薩像にあこがれて見つめた、小学生の時の自分と同様の気持ちを、私に抱かせます。

 ***

 話が前後してしまうけれど、友人の困難に心を痛めていた時、カミュの『シーシュポスの神話』を思い出して開いてみました。大岩を山頂へ押し上げては、また転がり落ちるその大岩を永遠に運び上げる無限の刑罰、、、しかし、カミュは、地上へ転がり落ちていった岩をふたたび持ち上げるために、振り返り、山を下りて行こうとする、その時に視点を据え、「神々の洞穴のほうへとすこしずつ降(くだ)ってゆくこのときの、どの瞬間においても、かれは自分の運命よりたち勝っている。かれは、かれを苦しめるあの岩よりも強いのだ」と言い切っている。そうなのだ、と思う。そうなのだよ、、、と、大切な友に、伝えたい。自分自身にも。
この記事についてブログを書く
« デルモア・シュワルツの偶然。 | TOP | 予兆は「すでに起こったこと」へ »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | …まつわる日もいろいろ