星のひとかけ

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音の不思議… :『調律師の恋』ダニエル・メイスン

2016-09-08 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
『調律師の恋』 ダニエル・メイスン著/小川高義訳 角川書店 2003年



12,3年ほども書棚に籠もったままになっていた本です。。 やっと手に取った読書記ですけど、、 あまり感想文らしくは書けません… まずは関係ないことから。。

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この春、 ピアノリサイタルに行ったりしましたね、、 その頃 お友だちと話していたことで、、 ピアノの先生である彼女の家に 調律師さんが毎年いらっしゃるそうです。 それで、、「調律は 440Hzにしますか? 442Hzにしますか?」という話になって、、

、、 そのとき私、 初めて 音というのが世界基準ではないと知ったんです。。 え?? Aの音って音叉で決まってるんじゃないの??

「それがね、、 日本ではAは440Hzって決まってたんだけど、 ヨーロッパのオーケストラでは442Hzの方が張りがあって きらびやかに聴こえるから、 だんだん442が主流になってきて、、 最近では、 ホールとかに置かれているピアノも 442Hzで調律されていることが多いの。 だから、 442にしますか? って、、」 、、という話で

聞けば、 ベルリンフィルなど、 444とか、 カラヤンなんか446Hzで演奏していたらしい。。

「、、じゃ、 あのベルリンフィルの煌びやかな音は調律のせい・・・??」 、、なんだか 長年 ちょっと騙されてきたような、、 そんな気すらしてきた。。。

、、 そんな話を友人としてから、 その1ヘルツ、 2ヘルツの違いが影響する「音」や「調律」というものに興味も湧いて、 とつぜんに思い出して 本棚から引っ張り出してきたというのが、 この 『調律師の恋』

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物語の内容は、、 google books のほうでもご覧になってください(>>

19世紀の英国。 植民地政策を拡げるビルマの奥地に駐屯する軍医が、 なぜピアノをわざわざ英国から運ばせ、 そして 戦時下にもかかわらず なぜピアノ調律師をそこへ派遣する必要があるのか。。。(そりゃ高温多湿でピアノがいかれてしまったに決まっているのだけど、、 でも、 いったいピアノで何をしようと?) 

読み出す以前に つい想像してしまうのが 『地獄の黙示録』のカーツ大佐のイメージ、、 本来の軍の指令とはかけ離れて、、 その土地の民族の長のように自らの王国を築いてしまった人、、、 (もしそうだとしてもピアノの重要性って?)

、、 そんな興味だけで読み進めていったのですけど、、 ピアノに辿り着くまでが、、 長い! 英国殖民地下のビルマの情勢や風俗の説明が、、 ひじょうに細かい! 、、史実を綿密に取り込んで、 自然の描写も 土地のさまざまな少数民族ごとの風俗なども大変細かくて、 これだけのものを書く力量は凄い、、と思うのですが、、 なかなか ピアノまでがしんどかったです。。。

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、、でも、 主人公のピアノ調律師エドガーの人となりについては、 すごく胸を打つものがありました。

軍の命令を受けてから 出発までの準備期間に、 妻と交わす日常のささやかなやりとり。。 この二人は 結婚18年なのだけど、 初めて妻に出会ってからのことを回想するくだり。。 調律師のエドガーは、 自分の感情を表現しようとすると 「音楽」を使って代弁してもらうしか思いつかない。 初めてのラヴレターが、、

  自分の気持ちは「ハイドンの・・・ ○○番 ○○調 アレグロ・・・ です」 と。

そんな彼を理解してくれた妻を残して、、 見果てぬジャングルを超え 山を越え、、 そこへ彼を駆り立てたものは、 愛国心や冒険心ではなくて、 調律師としての「楽器」への憧れ、、 に他ならなかった筈。。 伝説のピアノが壊れかけている、、 直せるのは自分しかいない、、、 そうしたらきっと行くだろうと思う。 楽器職人だったら。。。

そのエドガーの気持ちは とても同調できる一方で、、 異郷の地へ着いた後、 彼が目にする異国の音、 南国の色彩、 異文化、 病、 戦況、、 そして すこしずつ すこしずつ、 (軍人でも貴族でもなかった)一介の調律師エドガーは 変貌して(させられて)いく、、 そのエドガーの心理が わかりそうで、、 よく わからない。。。

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、、 読みながらふと考えていたことは、、

エドガーがもし無事に仕事を完遂して ロンドンに帰ったとして、、 エドガーは 果たして昔のエドガーのままで 異国での体験を かつて「音楽」に語らせたように妻に語り聞かせることができるだろうか、、 妻が見たこともない国で 離れ離れで過ごした時間を その空白を、 妻はあとからエドガーと同じような気持ちで共有することができるか、、、しら… 

それか、 もし、、

もし エドガーが生きて帰らなかったとして、、 エドガーが 妻を想いながら(帰ったら土産話に聞かせようと思いながら) 見たり、聞いたり、体験していく、、 異世界の (驚異とも言えるような)出来事の記憶は… そして異国で響いたピアノの「音」は、、 その記憶はいったいどこへ行くのだろう、、 エドガーと共に消え去る、、 ただ それだけ・・・?

、、 物語には 直接は関係のないことなんだけど、、 なんだか そんなことを考えたら ものさびしくなってしまって・・・

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「音」、、 それは鳴らされれば 確かにそこに発生はする。。 けど、 それだけではただ消えるだけ。 在ったか 無かったか、、 どちらも変わらない。 、、「音」を聴く 何ものかが存在しなければ、、

「人」も、、 そこにいたか いなかったか、、  共にいた誰かがいなかったら、 誰もいなかったと同じこと…? それでも「個」は存在した、と言えること…? 「音」が消えていくように、、 ある存在が消えていったとして、、 それはそれで悲しむべきことでは、ない…? 


、、あ それと、、
小説の中に ギリシャ神話 『オデュッセイア』のことが少し出てくるのですが、、 あれを 「帰還」の物語と読むか、 否か、、 という会話があって・・・

、、そういえば、、
オデュッセウスが 船のマストに身体をくくりつけてまで (耳を塞がずに) セイレーンの海を渡ったのは、、 セイレーンの「歌」=「音」=「音楽」 を危険を冒してでも どうしても聴きたかったからだったのか、、 と。。 (調律師の小説にはセイレーンの話は出てきませんが)

、、調律師の話から ずいぶんと逸れてしまいました。。。  

でも、、 物語として最終的に、 調律師は調律師であったのか、、 物語の結末に 「音楽」はあったのか、、 「音」はあったのか、、 彼は求める「音」を聴いたのか、、 もし聴いたとして その先に何を望んだのか・・・
そこのところが つかめそうで、 少しつかめない、、 そこに仄かなさびしさを感じてしまう長編なのでした。

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最初のヘルツの話に戻りますが、、

さっき試しに you___  で1Hzの違いがわかるかどうかやってみたら、 案外よくわかったので、、(絶対音感は無いですが私、、)

ずーっと ギターのチューニングは 440Hzの音叉を使ってやっていたので、、 今度試しに 444Hzの音叉を買ってみようと思いまする。。。 この444Hz、 というのには いろいろな説がまつわってくる、、というのも 今年になって知りました (ジョン・レノンのチューニングとか)。 
、、べつに 遺伝子修復がどうの、、という意図があるわけでもないですよ…

、、 ちょっと ベルリンフィルのきらきらに対抗してみようと・・・(笑