6月に引越しをすることが決まり・・・メールでお知らせ出来る方には追ってご連絡するつもりですが、なかなかページの更新も出来ない状態でゴメンなさい。
新しく住む(といっても同じ都内ですが)街の暮らしはどんなだろう、と不安なようでいてとても楽しみにしているのです。まず最初にチェックするのは図書館・・今度は最寄の図書館が大きな公園のすぐ隣。家からは少し歩くけれど、その公園は私が都内でも最も愛している場所でとても落ち着ける場所なのが嬉しい。大きな樹木と自然の花々の咲く遊歩道を通り抜けていけば、買い物やお茶を楽しめる街へもつながっているし、これから暑くなっていく季節だけれど、大好きな森の匂いに包まれに出掛けよう。
***
今年はずっとルー・リードのことばかり書いてきたけれど、そんな時に嬉しい番組が見られて、、NHK-BS1の「地球ウォーカー」で取り上げられたルー・リードの話題はまさに「E・A・ポーを歌うロック詩人」というテーマで、アンディ・ウォーホールとのツーショット写真を飾ったオフィスですっかり逞しい風貌になったルーがインタビューに答えていた(ルーは今カンフーで鍛えてるから)。現在のLIVEの模様も短かったけど見ることが出来て、嬉しかった。今回は語りに中心をおくためにギターとベースだけの編成になって、大鴉の叫びも、嵐も、アッシャー家の崩壊も、歪んだギターの音で表現されていた。こんなシンプルなステージも一度は見てみたい。60代のルーが10年前にポーを「理解した」と語っているのだから、私にはそれまでにもう少し時間があるんだし、じっくりとポーとルーの足跡を追ってみればいいよね、と少し自分を励ましてもみたり。。
週末にはチェコの映像作家ヤン・シュヴァイクマイエルの短編で「アッシャー家の崩壊」をビデオで見て、チェコ語(おそらく)の語りでポーが低く朗読され、泥や木工でつくられた家具や棺のモノクロのアニメーションがとても想像力豊かな変化を見せた。そう、ポーの世界は言葉と音の想像の世界。。。
***
「ヴォイツェク」・・(ベルク作曲の歌劇『ヴォツェック』として有名なのだそうですが不勉強な私はこちらを知りません。今度CDを探してみましょう)・・戯曲のテキストが見つかったので読み返してみました。
自分たち貧乏人。つまり、中隊長どの、金(かね)、金なんであります。
金のない者。そのくせ子供だけは、道徳的にこしらえろったって。
貧乏人にも、血があり肉がありまさ。自分たちのような者は、
どうせこの世でもあの世でも罰あたりですよ、たとえ天国へ行けても、
まあ雷さまの子分がせきのやまで・・・
このヴォイツェクは妻マリーと子供のために医学の人体実験の被験者になります。豌豆を食べ続けることによって次第にロバ化していく人間の実験。。そしてやがてヴォイツェクはマリーを殺害してしまうことになるのですが、、、彼らのように生きなければならない人間を象徴するようなお伽話を、老婆が子供たちに語る部分があって、それがこの戯曲の主題でもあるようなやりきれない悲しさなのです。
むかしむかし、それはかわいそうな子供がいたんだよ・・・(中略)
この世にはもう誰もいなかったので、その子は天にのぼろうと思ったんだよ。
するとお月さまがやさしく照らして下さった、
やっとその子がお月さまのとこまで来てみるとね、
それは腐った木のかけらだったのさ、
こんどはお日さまのとこへ行こうとした、
その子がお日さまのとこまで来てみるとね、それは枯れたひまわりだったのさ、
こんどはお星さまのとこまで来てみたら、
それはちいちゃな金色の油虫だったのさ、
まるでもずがすももの棘にさしとくように、串ざしになっていたんだよ、
仕方がないのでまた地上に帰ってみるとね、それはひっくり返った壺だった、
だからその子はほんとにひとりぼっちになって、
そこに坐って、泣いたんだよ・・・
「ビューヒナー全集/内垣啓一訳」
ロバート・ウィルソン演出の「ヴォイツェク」がどのようなものになるのか、まるで20世紀、今世紀の人間をあらわしたかのような、1830年代の作品と知って驚いてしまうこの作品。そしてこのヴォイツェクや子供たちの悲しみを、トム・ウェイツさんがどんな音楽に仕上げてくれたのか、上のお伽話は余りに悲しいけれど、きっとトム・ウェイツさんならその悲しみを包んでくれるような気がする。。。
新しく住む(といっても同じ都内ですが)街の暮らしはどんなだろう、と不安なようでいてとても楽しみにしているのです。まず最初にチェックするのは図書館・・今度は最寄の図書館が大きな公園のすぐ隣。家からは少し歩くけれど、その公園は私が都内でも最も愛している場所でとても落ち着ける場所なのが嬉しい。大きな樹木と自然の花々の咲く遊歩道を通り抜けていけば、買い物やお茶を楽しめる街へもつながっているし、これから暑くなっていく季節だけれど、大好きな森の匂いに包まれに出掛けよう。
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今年はずっとルー・リードのことばかり書いてきたけれど、そんな時に嬉しい番組が見られて、、NHK-BS1の「地球ウォーカー」で取り上げられたルー・リードの話題はまさに「E・A・ポーを歌うロック詩人」というテーマで、アンディ・ウォーホールとのツーショット写真を飾ったオフィスですっかり逞しい風貌になったルーがインタビューに答えていた(ルーは今カンフーで鍛えてるから)。現在のLIVEの模様も短かったけど見ることが出来て、嬉しかった。今回は語りに中心をおくためにギターとベースだけの編成になって、大鴉の叫びも、嵐も、アッシャー家の崩壊も、歪んだギターの音で表現されていた。こんなシンプルなステージも一度は見てみたい。60代のルーが10年前にポーを「理解した」と語っているのだから、私にはそれまでにもう少し時間があるんだし、じっくりとポーとルーの足跡を追ってみればいいよね、と少し自分を励ましてもみたり。。
週末にはチェコの映像作家ヤン・シュヴァイクマイエルの短編で「アッシャー家の崩壊」をビデオで見て、チェコ語(おそらく)の語りでポーが低く朗読され、泥や木工でつくられた家具や棺のモノクロのアニメーションがとても想像力豊かな変化を見せた。そう、ポーの世界は言葉と音の想像の世界。。。
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「ヴォイツェク」・・(ベルク作曲の歌劇『ヴォツェック』として有名なのだそうですが不勉強な私はこちらを知りません。今度CDを探してみましょう)・・戯曲のテキストが見つかったので読み返してみました。
自分たち貧乏人。つまり、中隊長どの、金(かね)、金なんであります。
金のない者。そのくせ子供だけは、道徳的にこしらえろったって。
貧乏人にも、血があり肉がありまさ。自分たちのような者は、
どうせこの世でもあの世でも罰あたりですよ、たとえ天国へ行けても、
まあ雷さまの子分がせきのやまで・・・
このヴォイツェクは妻マリーと子供のために医学の人体実験の被験者になります。豌豆を食べ続けることによって次第にロバ化していく人間の実験。。そしてやがてヴォイツェクはマリーを殺害してしまうことになるのですが、、、彼らのように生きなければならない人間を象徴するようなお伽話を、老婆が子供たちに語る部分があって、それがこの戯曲の主題でもあるようなやりきれない悲しさなのです。
むかしむかし、それはかわいそうな子供がいたんだよ・・・(中略)
この世にはもう誰もいなかったので、その子は天にのぼろうと思ったんだよ。
するとお月さまがやさしく照らして下さった、
やっとその子がお月さまのとこまで来てみるとね、
それは腐った木のかけらだったのさ、
こんどはお日さまのとこへ行こうとした、
その子がお日さまのとこまで来てみるとね、それは枯れたひまわりだったのさ、
こんどはお星さまのとこまで来てみたら、
それはちいちゃな金色の油虫だったのさ、
まるでもずがすももの棘にさしとくように、串ざしになっていたんだよ、
仕方がないのでまた地上に帰ってみるとね、それはひっくり返った壺だった、
だからその子はほんとにひとりぼっちになって、
そこに坐って、泣いたんだよ・・・
「ビューヒナー全集/内垣啓一訳」
ロバート・ウィルソン演出の「ヴォイツェク」がどのようなものになるのか、まるで20世紀、今世紀の人間をあらわしたかのような、1830年代の作品と知って驚いてしまうこの作品。そしてこのヴォイツェクや子供たちの悲しみを、トム・ウェイツさんがどんな音楽に仕上げてくれたのか、上のお伽話は余りに悲しいけれど、きっとトム・ウェイツさんならその悲しみを包んでくれるような気がする。。。