「うつろ庵」の蘇芳梅はおよそ六・七分咲だが、存在感はなかなかだ。
梢の先まで莟をつけていて、これから徐々に咲きのぼるので、未だかなりの期間に亘って愉しませて呉れることだろう。秋口に剪定して樹形を整えると、天に向かって元気よく伸ばした小枝を短くカットするので、梢の先まで梅花が咲きのぼる春の楽しみは半減する。蘇芳梅の花に託す思いに応えるには、梅花が梢まで咲きのぼった後に、小枝を剪定してやるのが真の友情というものであろう。
「うつろ庵」の蘇芳梅は住宅街の東南の角地に咲いているので、かなり遠くからも目に入る。わざわざ寄り道して鑑賞される方や、散り敷く花びらを掃いていると、道行く見知らぬ人が声を掛け、話しかけるので、箒の手を止めて暫しの歓談となる。
多くの人々から注目される蘇芳梅であるが、人様ばかりか、小鳥にとっても大切な存在の様だ。番(つがい)のメジロが頻繁に飛び来て、花蜜を好んで吸うのだ。
「うつろ庵」には数本の椿が咲くので、メジロ達のレストランといったところだが、蘇芳梅もお気に入りメニューの一つだ。時には数羽の番が入り混じって枝から枝へと花蜜を吸うので、そんな時はまさに花吹雪よろしく、花びらが散り敷くことになる。
紅の花びらが散り敷く春を、唐の詩人・王維は「田園楽」と題する六言絶句に詠んだ。虚庵居士の著書「千年の友」にも掲載したので、詳しくはそちらに譲るが、王維は庭に散り敷いた桃の花びらを、家僕に掃かさせずにそのままにさせた。客人の眠りを醒まさせまいと気遣い、客人が目覚めたら、桃の花びらの散り敷く風情をお見せしようとの、粋な想いを凝縮した漢詩である。
玄関先や道路に散り敷いた蘇芳梅の花びらを、虚庵居士は無粋にも箒で掃いてしまった。黒く変色した蘇芳梅の花びらは掃き清め、その後にメジロが散りばめて呉れた新鮮な花びらの美しさを、道行く人にお見せしたかったからだが・・・。
斯くまでも濃き紅の蘇芳梅の
熱き思ひを如何に受けまし
いと寒き如月堪えていやもゆる
春を謳うや蘇芳の梅花は
彼方よりわざわざ梅の花見むと
寄り道する人 杖を頼りに
メジロ二羽 目配せしつつも花蜜を
頻りに吸えば散り敷く花びら
散り敷ける濃き紅の花びらの
風情を召しませメジロの吹雪を
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