「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「遊園地の菜の花」

2013-01-25 00:08:30 | 和歌

 何時もの散歩道の途上に、子供たちがよく集まる遊園地がある。
遊園地へのエントランスの両側に、菜の花が咲き乱れていた。この遊園地のご近所の皆さんが、季節に応じた花々を育てて、子供たちに素晴らしい環境を造っている、虚庵居士注目の遊園地だ。

 

 住宅地の中には、それぞれかなりの面積を遊園地に割いているが、ほとんどの遊園地には子供たちの遊ぶ姿が見られないのが、昨今の現実だ。子供達には、遊ぶ魅力があるか否かが肝心なのだ。子供の感性に応えた遊べるスペースでなくば、 遊園地は無用の長物だ。ここの遊園地は子供達が走り回り、好き勝手な遊びに応えられる広さも程々であるが、ご近所の皆さんの心配りが素晴らしい。

 お花に誘われ、遊園地に導かれるような設えと、常日頃の手入れが行き届いているのが見事だ。

 

 子供たちの遊ぶ姿を見ていると、住民が手入れしたお花には、殆ど目もくれない素振りだが、走り回る子供らもボール遊びに夢中の子供も、おままごとで遊ぶ幼児らも、お花を傷めるようなところは一切見られない。老人が花を愛でるのと異なり、子供たちの視線の中には、遊びながらもお花の姿を目にして、意識せずも大切にしているのであろう。

 菜の花の向こうに、キャッキャと声をだして遊ぶ子供たちの姿は、何物にも代えがたい社会の資産ではなかろうか。ここの住民の皆さんは、その貴重な宝物の値打ちをご存知だから、お花の手入れに余念がないのであろう。敬服の限りだ。

 


           菜の花を透かして見ゆる子供らの

           遊ぶ姿に安らぎ覚えゆ


           子供らは菜の花愛ずるにあらねども

           お花とともに遊ぶ日々かな


           菜の花は「おしくらまんじゅう」の莟かな

           ぼくらのあそぶすがたをまねるや


           子供らは無邪気に遊ぶ今日もかも

           その声聞けば去り難きかな