植木職人だった定吉爺さんの君子蘭が、今年もまた沢山の花を付けた。
「うつろ庵」の門被り松の手入れを終えて、半月程も経たろうか。定吉爺さんは、自宅の庭に育てた君子蘭の鉢を抱えてやって来た。 「これは手が掛らないからね」と言いつつ、松の根方に鉢を置いた。
お勧めしたお茶も飲まずに、「じゃあなっ!」と手を挙げて門を出て、自分の手入れした松を何べんか振り返りつつ、去っていった。
あれから何年が経ったろうか。君子蘭の鉢は、株が随分と増えて太い根が鉢から溢れた。幾つかの鉢に株分けして、ご近所にもお裾分けした残りが、今年もまた沢山の花を付けた。
世の中の君子蘭は赤味がより勝って、「見て観て!」と訴えているようだ。定吉爺の君子蘭は、花の色が抑え目で、床しいところが虚庵好みだ。
花に託す思いは人それぞれ故、花の優劣を論じても始まらないが、花にまつわる思い出や好みは、いつの間にか観る人の脳裏で、花のイメージとそれらが渾然一体となり、人それぞれに大切なものを育んでいるようだ。
花壇の組み合わせ一つを見ても、同じ種類の花を並べて整然とした美しさを演出する人も居れば、雑然とした組み合わせの中に微妙なコンビネーションの美しさを好む向きも在るようだ。さて皆さんは「虚庵居士のお遊び」のブログの花に、どのような思い胸に描きつつ、ご覧頂いているのであろうか。
あの爺は鋏を鳴らして今もなお
戯れ遊ぶやあの世の松にて
日焼けした口元懐かし職人の
前掛け姿の爺を偲びぬ
手入れした松慈しむらし振り返り
振り返りして去りゆく爺は
給わりし君子蘭の花未だなお
爺のこころを咲きて告げるに