「虚庵居士のお遊び」

和歌・エッセー・フォート 心のときめきを

「庭木・街路樹の実 - 万両」

2015-12-27 14:31:20 | 和歌

 「うつろ庵」の玄関先に置いた万両の鉢植えが、雨に濡れて雫を湛えていた。
ゆっくりと昼食を摂ってからカメラを携えて玄関にでたら、キラキラと輝いていた雫は乾燥して消え失せ、誠に残念だった。



 二週間ほど前に「千両」を掲載した際に、「時には小鳥たちの置き土産から、思いも掛けない可愛い芽生えがあったりして、じじ・ばばを狂喜させることもある」と書いたが、この万両は将に「小鳥の置き土産」なのだ。

 「うつろ庵」には、謂わば小鳥の寛ぎの庭木が数あるが、そんな木の根方に何時の間にか万両が芽生えていた。 万両は徒長しないので、「其の侭お気軽にどうぞ」と暫らくは放置してあった。 赤い実を付けたので二株を鉢に移植し、置き場所を時々変えて愉しませて貰っている。

 面白いことに、鉢を置く場所を替えれば、その都度万両は表情を変えて、じじ・ばばを愉しませて呉れる。万両の容姿が変わる筈はないのだが、置かれた場所の雰囲気により、観る者の受け止め方が微妙に変わるのであろう、如何にも表情が変わったように観えるから不思議だ。 そんな些細なことであれ、お遊びに代えて愉しむのがこの頃の虚庵夫妻だ。
 

               雨に濡れ雫を湛えた万両の

               風情を逃しぬランチの合い間に


               小鳥たちの寛ぐ庭木の足元に

               万両芽生えぬ小鳥の土産か


               芽生えにし万両若木に 「お気軽に

               其の侭どうぞ」と 囁く妹子ぞ


               暫らくは庭木の根〆に放置すれど

               鉢に植え替え 赤実を愛でむと 


               時どきの気分に応じて置き場所を

               替えれば万両 表情豊かに


               朝な夕な万両実房のご挨拶は

               小粒の輝き 雨の雫も






「庭木・街路樹の実 - シャリンバイ」

2015-12-25 01:50:34 | 和歌

 横須賀の椰子並木には、様々な背の低い根〆が植えられているが、常緑灌木のシャリンバイもその代表格だ。秋から冬にかけて黒い実がなるが、道行く人々はごく地味な「サリンバイの実」には殆ど関心が無い様だ。



 小鳥たちに啄ばんで貰うには、赤や黄色などの目立つ色の実を付けるのが普遍的だが、黒色の実は鳥の助けに頼らずとも、種の保存が可能だと云うことであろうか。熟した実が落ちて、発芽する可能性が高いに違いあるまい。

 シャリンバイの実を改めて観察すれば、ふくよかな果肉を湛えているので、熟した実が落ちた際に、種の発芽を促す養分を果肉が供給して、発芽しやすいのだろうか。植え込みがかなり混んでいるのは、その様にして若木を自給自足出来ている証しかも知れない。

 5・6月ころ咲く花が、年末にも拘わらず所々に咲いていた。時期外れの花ゆえ、些か気の毒な容姿ではあるが、厳しい自然の試練に堪えて咲く花の姿にこそ、シャリンバイ(車輪梅)の真の逞しさが見て取れるように思われた。


             黒々とふくよかな実をあまたつけて

             落ち着く風情のシャリンバイかな


             くすむ葉に埋もれて目立たぬシャリンバイの

             実は黒くして何の謂いかな 


             小鳥らの啄ばみなどには期待せず?

             目立つ色など関心御座らぬと


             ふくよかな実にしござれば地に落つも

             芽吹きの養分 蓄え十分


             冬至過ぎ返り咲くとはシャリンバイの

             小花ちらほら試練に堪えつつ


             シャリンバイの誠の根性「逞しき」

             華やかさなど見向きもせぬかも






「庭木・街路樹の実 - ピラカンサ」

2015-12-19 12:07:29 | 和歌

 何時もの散歩道に、ピラカンサの実がすき間も無いほどにビッシリ生っていて、目を瞠った。 小粒の実ではあるが、それぞれが押しつぶされる程に密集して、岩の塊を連想させる程だが、紅緋(べにひ)色が誠に鮮やかだった。



 やがてこのピラカンサの実も、小鳥たちにとっては掛け替えのない「自然のご馳走」になることだろう。 5年程前の春先、「ピラカンサ」(←クリックにてリンク先が開きます)
の白花に寄せて、小鳥たちのそんな情景を書いた一文を掲載したので、併せてお楽しみ頂きたい。 

 様々な樹木が、それぞれに独特の木の実を付けるが、それにしてもこのピラカンサほど実が密集して付くのは類い稀なことだ。

 樹木の実は、子孫への命の伝達として無くてはならない自然の摂理だが、小鳥達に生きるための糧を提供しつつ、自らの子孫繁栄のお手伝いを小鳥たちに託す、謂わば持ちつ持たれつの関係だ。しかしながら、ピラカンサは何故これ程多くの実を付けねばならぬのだろうか?  

 樹木の専門的な知識が無い素人の推量だが、事に依るとピラカンサの実は発芽の確率が、他の樹木に比べて著しく劣るのかもしれない。殆どが発芽せずに朽ち果てるその弱点を補うべく、数限りない沢山の実を付けて、万が一にでも発芽して呉れればとの期待を籠めたものかも知れない。その様に考えれば、ピラカンサの種の保存の無言の努力には、頭が下がる思いだ。これだけ沢山の実を付けたピラカンサの木の下に、若木が芽吹き育っている姿を見かけないのは、そんな事情の証しかも知れない。ご専門の方のご意見・ご指導が頂ければと期待する。

 
             目を瞠るピラカンサの実の過密かな

             粒々の実は潰れはせぬかと


             鮮やかなピラカンサの実の紅緋かな

             数多の小粒は色を違えず              


             小鳥らはたわわなご馳走啄ばむを

             我慢の日々なれ熟しを待ちつつ


             何ならむピラカンサの実のご馳走の

             美味の判断 小鳥の見分けは


             やがて聞かむ小鳥の宴の賑やかな

             歓喜の鳴き声 様々な声を






「庭木・街路樹の実 - 千両」

2015-12-12 00:57:34 | 和歌

 晩秋から初冬にかけては、庭木や街路樹の実が目を愉しませてくれる。
「うつろ庵」では蘇芳梅の根元に置いた、鉢植えの「千両」が見事な紅の実をつけて、朝な夕なに虚庵夫妻にご挨拶をしてくれるこの頃だ。



 千両の実は、雀や小鳥たちにとっては冬の恰好なご馳走で、彼・彼女らの群れに目を付けられれば、あっという間に丸坊主になることも間々ある。そんな被害予防に、レースのカーテン風ネットをすっぽりと被せて、せめて正月までは紅の実を保ちたいと、心配りするお宅もあるほどだ。頬かむりした千両の、哀れな姿をご想像あれ。

 「うつろ庵」では総て、在るがままが原則だ。
小鳥たちも狭い庭のお仲間として、「啄ばむのも遊ぶのもご自由に」が原則だから、千両も南天の実もかなり早い段階で消え失せる。だが、時には小鳥たちの置き土産から、思いも掛けない可愛い芽生えがあったりして、じじ・ばばを狂喜させることもあるから、小鳥達とは持ちつ持たれつのお仲間なのだ。


             紅の小粒のかずかず寄り添えば

             みどり葉大事に捧げる風情ぞ


             紅の見事な実房は千両の

             値打ちと古人は名前にとどめぬ


             小鳥らの啄ばみ避けむと頬かむり

             させるは余りに哀れならずや


             小鳥らが啄ばみから穂になりたれば

             もてなし「千両」と お誇りなされ


             朝な夕な千両の実房のご挨拶に

             じじ・ばば頷き 「あいさつ」 返しぬ






「私家歌集・雪柳」の上梓

2015-12-08 21:32:24 | 和歌

 皆様の日頃のご愛読に感謝申し上げます。
本年3月末より11月末までの間、ブログ「虚庵居士のお遊び」に掲載して参りましたショートエッセーと和歌を、此度、「私家歌集・雪柳」としてCD版にて上梓致しました。



 「雪柳」は私家歌集として上梓しましたので、書店販売は致しておりません。
ご所望の方はメール kyoankojicd@yahoo.co.jp宛ご連絡をお願いします。定価500円

 ブログ「虚庵居士のお遊び」は皆様にご愛読いただき、本日現在でご来訪頂いた方々の累積は235,484人、お読み頂いた作品数は2,252,866頁(1作品1頁)にも及びました。 改めて皆様方の温かなご支援に感謝申し上げます。
                        
                                  虚庵居士 頓首




「返り咲きのヒマラヤ雪の下」

2015-12-06 16:00:07 | 和歌

 寒気が厳しさを増すこの頃だが、広島は小春日和がつづいたのだろうか?
返り咲き「ヒマラヤ雪の下」の写真をお送り頂いた。皆さんへもお裾分けします。


                          撮影とご提供 片岡勝子様

 今年の春先に「うつろ庵」に咲いた「ヒマラヤ雪の下」をブログに掲載したので、
溯って調べたら3月8日であった。    (↑クリックするとリンク先が開きます)

 人間は、殊に歳を重ね老境に入った虚庵居士などは、月日や物事に拘りが強く、シーズンを外れた行動や発想は侭ならぬこの頃だ。 気温変化に柔軟に反応した 「ヒマラヤ雪の下」の返り咲きには目を瞠り、無言の訓を頂いた。

 ともすると固定観念に捉われた言動が、虚庵居士に限らず多く見られるのが気にかかる。新聞報道やテレビでの発言でも、何故もっと物事を柔軟に捉えられないものかと批判したくなるケースが間々見受けられる。別の視点に立ち、発想の原点を替えたらどうかと指摘したくなるのだが・・・。

 師走の初めという暦の月日に捉われず、気温や日照時間などの環境条件を敏感に感じ取って、生命の限りを尽くして可憐な花を咲かせた「ヒマラヤ雪の下」に、感激だ。「返り咲き」などと云う固定観念に蓋をして、こころからの拍手を贈りたい。


           母ならめ緑の大葉は稚けなく

           咲き初む小花を抱くが如くに


           小春日の続きにけらしも返り咲く

           ヒマラヤ雪の下 歳の瀬なるに


           陽だまりの恵みを享けて日短に

           花咲かすとはヒマラヤ雪の下は


           こつこつと花咲く備えを重ねるや

           小春日和に一気に咲くには


           いま暫し寒気襲うを控えてよ

           せめて莟の開ききるまで






「赤まんま」

2015-12-04 13:13:33 | 和歌

 散歩道の端に、「赤まんま」の花穂が微かに揺れていた。
田舎育ちの虚庵居士には、幼児の頃の「おままごと」が懐かしく想い出された。花穂をしごいて小さな粒々を貝殻に盛り、女の子が「御赤飯をどうぞ」などと差しだすと、「赤まんま、いただきます」と小さな手で受けて遊んだものだ。



 「赤まんま・犬蓼」とよく似た「蓼藍・だてあい」も、身近な野草だった。当時の母親は、専ら「蓼藍/別名・藍」を採取して、染物に使っていたのが懐かしい。

 母は家事の合間に糸を紡ぎ、布を手織りして染色し、洒落た着物を仕立てるのが趣味だった。醗酵させた藍汁を鍋で沸し、布を見事な青色に染めた。所々に糸で絞りを作って染めると、洒落た模様が染め上って、子供ながらに見事なものだと感心したことが想い出される。

 そんな余技を愉しんだお袋さんだったが、虚庵居士は夙にお袋さんの歳を越えて、様々なお遊びを愉しむこの頃だ。 お袋さんから受け継いだ「お遊び」の心は、この ブログ「虚庵居士のお遊び」の原点でもあろうか。狭い「うつろ庵」の庭は、虚庵夫妻にとっては掛け替えのない「お遊び」の場であり、二人して心からの寛ぎを頂く貴重な空間でもある。

 「青は藍よりいでて、藍より青し」とは古来よりの俚諺だが、お袋さんの「藍より青し」の野草染めの遊び心が、虚庵居士に受け継がれ、益々「醗酵」してる現実は、将に「遊びをせんとや生まれけむ」を地で行く、この頃の爺と婆様だ。


           道端に「赤まんま」見つけ声あげぬ

           幼児のころの「おままごと」なつかし


           庭先の「むしろ」のお座敷 貝殻に

           赤まんま盛り「お赤飯どうぞ」


           元気かな? 幼児のお仲間「たけちゃん」や

           おなごの「なおちゃん」偲ぶかな


           大なべにあい汁煮たてて染める母の

           囲炉裏のお仕事 飽きずに見つめぬ


           湧水のお池ですすぐ染物の

           見事な青色 まぶたに残りぬ


           母さまのお遊びうけて虚庵居士も

           遊びの名手になりにけるかも






「初椿」

2015-12-02 01:07:31 | 和歌

 山茶花が咲き誇る晩秋だが、師走の声と共に「初椿」の写真を頂いた。
絞入りのおおきな花びらを拡げた容姿は誠にお洒落で、初椿に見惚れるばかりだ。


                        撮影とご提供 片岡勝子様

 椿の品種を確かめようと「椿図鑑」をひも解いた。
「絞系・一重咲き」の分類で、何と250種以上が登録されていた。数種類の良く似た品種に辿り着いたものの、残念ながら特定できるところまでには至らなかった。

 同じ絞系でも一重咲き以外では八重咲き・唐子咲き・牡丹咲き・獅子咲き・千重咲きなど6種類の分類に整理されていて、絞系の椿だけでもざっと1000種以上にも及ぶことを知って、唖然とした。更に8種類にも及ぶ花色・花形別の分類を重ねると、椿の品種数は気の遠くなるような膨大な数になる。

 椿をこよなく愛し、品種改良を重ねた先人の努力の結晶は、品種の膨大な数となり、またそれぞれの花の容姿を追い続けると、圧倒されるばかりであった。


           やわらかな陽ざしに包まれ初椿は

           寛ぐ風情ぞ絞りの衣で


           白妙にいと細かくも散りばめた

           絞りは乙女の衣を染めて


           かずかずの細かな絞りは恋文か

           衣を染めるは思ひのたけかな






「Erskine Lakes の紫式部」

2015-11-28 13:10:53 | 和歌

 米国NJ州の Erskine Lakesで、湖畔の生活をエンジョイする娘の家族から、”Happy Thanksgiving”のメッセージに添えて、見事な「紫式部」と共にディナーテーブルを囲む家族の写真が届いた。



 7月末には、虚庵夫妻の金婚式と孫息子Caneron君の十三詣を家族全員で祝い、米国へ帰国後、娘は思ひも掛けぬ大手術に見舞われた。
幸い元気に復帰した姿を、Thanksgiving の写真で見て一安心のじじ・ばばであった。

 半月ほど前に「Erskine Lakes の紅葉」でご紹介したが、彼女らの広い庭園には「いろは紅葉」や「紫式部」が植えられ、生活に潤いを齎す環境を自ら整えていることには感心する。 米国の社会環境に身を置く娘は、ささやかな花壇やこれらの自然 環境に心の安らぎを求めているのであろう。

 一日も早く、元気溢れる元の姿に快復して欲しいものと、願わずにはおれない。




           大手術の娘を案じるばば様は

           ひとこと ひとこと メールに託しぬ


           それぞれに手を握りあい微笑みを

           湛える家族の写真が届きぬ


           湖の畔の庭に枝垂れたる

           紫式部は実房豊かに


           Erskine Lakesの湖畔に 和のこころ

           いろは紅葉や紫式部は


           快復に感謝のディナーかテーブルの

           紫式部は ”Thanks giving”






「デンタータラベンダー」

2015-11-25 20:03:14 | 和歌
            
 晩秋にも拘らず、「デンタータラベンダー」が咲いていた。
ラベンダーは春咲きが多い様だが、このデンタータラベンダーは何時みても花を付けている四季咲きだ。



 生花を楽しむラベンダーだが、香りの強いラベンダーは、花を乾燥させてポプリを作り、香りも楽しむ二途もあろう。 デンタータラベンダーの香りはあまり強くないので、ポプリには適さないのかもしれないが・・・。

 「うつろ庵」の庭にはラベンダーを植えてないので、ラベンダーポプリは店先で嗅ぐ程度だが、毎春、真紅の薔薇が咲き誇るので、薔薇ポプリを楽しむ虚庵夫妻だ。
花を堪能し、尚且つその後も香りを楽しめるのは、ある意味でが贅沢だが、肝心なのは心の余裕があるか否かだ。 虚庵居士は学会などのボランティア活動に追われ、日常生活の雑事に忙殺される毎日だが、花を、そして香りを嗜める「心のゆとり」を、僅かながら保てていることに感謝だ。


           霜月のつるべ落としに落ちる陽よ

           しばしのお待を ラベンダーと語るに


           咲き昇るデンタータラベンダーの花穂かな

           ところどころに小花を散らして


           足早の薄暮に揺るるラベンダーの

           小花と語ればほのかに香りぬ






「琵琶の薬効」

2015-11-22 12:31:41 | 和歌

 琵琶の花が咲き始めた。
茶色の羽毛に覆われて暖かそうに莟が寄り添い、晩秋の陽ざしをうけて咲く様は、
子供の頃に寒さを凌いで遊んだ「オシクラマンジュウ」を思い出させる。



 民家の庭先などにも琵琶の木が植えられているので、ごく身近な存在だ。春には果物として栽培された琵琶が店頭に並び、仄かな甘みと独特の味わいが人気だ。

 この琵琶の種と葉が、愕くべき薬効を持っているのが余り知られていないのは何故だろう。印度の古い仏典・涅槃経(ねはんきょう)などの中に、琵琶は生きとし生けるものの万病を治す植物として、「大薬王樹」と尊ばれているのだが・・・。
琵琶が比較的に温暖な地域の植物ゆえ、寒冷な地方には琵琶の恩恵が伝わらなかったのかも知れない。

 念のためチョットだけ調べたら、葉を使う自然療法や種の焼酎漬は、万病薬として古くから利用されて来たことが判明した。琵琶の薬効については、昨今では医科学的に解明されて、葉や種に含まれるアミグダリン成分はビタミン17として、癌の特効薬として注目されているという。琵琶の薬効は癌だけでなく喘息、肝硬変、糖尿病など慢性の難病にも薬効があり、その他、血液を浄化する働きがあることも証明されている様だ。

 「虚庵居士のお遊び」の中で、生半可に薬効を解説するのは不謹慎の誹りを免れぬので、この辺で留め置くが、琵琶については改めてオオマジメに勉強してみたい。


           紅の木の葉舞い散る晩秋に

           みどり葉保ち琵琶は咲くかな


           薄茶色の羽毛に包まれ莟達は

           おしくらまんじゅう 遊ぶにあらずや


           春来ればふくよかな実を頬張らむ

           琵琶を思えば潤う口元


           琵琶こそは数多の難病の特効薬とか

           古来の知恵に愕かれぬる


           紀元前の印度の仏典・涅槃経に

           琵琶を讃えて大薬王樹と


           琵琶の持つ類い稀なる薬効に

           目を瞠るかな 心して学ばむ






「烏瓜と遊ぶ」

2015-11-20 20:48:59 | 和歌

   緑の木の葉の間から、赤く熟した「烏瓜・からすうり」が覗いていた。



 野生の蔓草で、これほど大きな実を付けるのは烏瓜を措いて他にはあるまい。しかも、住宅地をチョット離れた藪や林の端によく見かける、ごく身近な存在だ。

 一つ二つの烏瓜を蔓を付けたままもぎ取って自宅に飾ると、野趣に富んだ風情が絶品だ。
「うつろ庵」には残念ながら茶室は無いが、茶席の「お飾り」にすれば数寄者は悦ぶだろう。

 烏瓜は夏の日が暮れてから白い花を咲かせる。花弁の先から無数のごく細い糸をレースの様に広げ、10センチ程の神秘的な花になる。
一夜花ゆえ、翌朝には繊細なレースを閉じるので、殆どの皆さんが観賞するいとまも無いのが誠に残念だ。

 「からす」を冠にした野草は、「烏瓜」をはじめ随分多いことに気付いて、指折り数えてみた。可憐な花を咲せる「からす豌豆」、空き地によく見かける「からす麦」或いは「からすの茶引き」、更に「からす胡麻」・「からす山椒」・「からすひしゃく・烏柄杓」・「からす葉千両」・「からす木蓮」など等、虚庵居士の乏しい知識だけでも8種にもなった。

 なぜ「からす」が冠につくのか?
烏が好んで食べるから? 「烏瓜」を烏が好んで啄ばんだ痕跡など、見たこともない。小振りの瓜に似ているが、食用にならぬことから「からす」が付けられた可能性もありそうだ。「からす豌豆」に対して、「雀豌豆」はよく似た蔓草だが「からす豌豆」の方が大ぶりだ。「からす木蓮」と普通の木蓮はどうか? 「からす」が付く花は色が濃いようだ。「かさす麦」は何故か? 麦に似てはいるが食用にならぬ雑草だ。

 どうやら「食用にはならぬ」、或は花が「若干大ぶりだ」、或は「色が濃い目だ」など、小鳥に比べて「大ぶりで不格好な野鳥」、「雑食性」など烏の負の部分を利用したのが、冠に「からす」を付けた古人の思いらしい。飽くまで虚庵居士の、お遊びの推論であることをお断りしておきたい。


           見上げれば緑の木の葉の間より

           赤く熟した「からすうり」見ゆ


           吹き荒ぶ木枯らし一番? 烏瓜の

           蔓葉を枯らすや赤き実吊るして


           からす瓜を蔓ごと飾る「うつろ庵」に

           お薄召しませ茶室にあらねど


           昔より「からす」の冠 何故ならむ

           指折りかぞえるあまたの草ぐさ


           シービビと子供の遊ぶ蔓草を

           想い出すかな からすの豌豆


           赤き実の烏瓜みて様々に

           想いをめぐらす虚庵のお遊び






「柚香菊・ユウガギク」

2015-11-18 00:04:21 | 和歌

 腰の激痛と坐骨神経痛からやっと回復した虚庵居士は、毎朝の腰痛体操と散歩が日課になった。そんな虚庵居士を慰めて呉れる野の花に、感謝だ。散歩道の林の端で、「柚香菊・ユウガギク」が楚々と咲いていた。



 華やかに咲き誇る山茶花などに比べれば、ごく質素な野花だ。草丈も高々50センチほどで、道行く人々は殆ど眼にも留めぬが、小さな花が寄り添って咲く姿が何とも
いじらしい。

 花の名前の「柚香菊」は、柚子の香りがほんのりと漂うことから付けられたと云うが、虚庵じじの衰えた臭覚では、その微妙な香りを聞くことあたわず、誠に残念だ。

 それにしても、野草の花に柚子の香りを聞き分けて、それを名前に残した感性には脱帽だ。その様な感性を研ぎ澄まして、香道や華道、或いは茶道などの世界にも類い稀な、高度な文化を創り上げて来た日本の古人には、深い敬意を奉げずには居れない。


           散歩道の林の端に楚々と咲く

           野花のなぐさめ 柚香菊かな


           夕暮れの木影はそこまでかたむくも

           しばし待たれよ野菊と語るに


           柚子の香のほのかに漂う野の菊に

           その名をとどめる床しき古人ぞ


           柚子の香の薫るを聞かむと膝おるも

           老いを知るかな聞くもあたわず


           稚けなき小花寄り添い咲くさまに

           わぎも共々 こころ寄せにし






「箱根登山口のお猿さん」

2015-11-15 15:20:39 | 和歌

 横須賀から箱根・芦ノ湖へのドライブを、久し振りに楽しんだ。
早川にさしかかって、国道1号線から三枚橋を渡り旧東海道に左折したら、有ろう事か、橋の上で「お猿さん」の出迎えを受けた。



 国道に比べ、旧東海道の交通量は比較的に少ないので、のろ~り運転で「お猿さん」を避けつつ、車中からシャッターを切った。 後から写真を見て愕いたが、住民の3・4人がごく近くでバスを待ち、お猿の一匹は元酒屋さんの開いたガラス戸から中を覗くなど、この辺りでは打ち解けた「お猿さん」らしい雰囲気だ。

 三枚橋を渡る前に橋の袂で一匹、橋を渡りきった辺りで道路を横切って一匹、更に酒屋さんの前に三匹がたむろしていたことから、「お猿さん」軍団は少なくとも五匹以上の群れで行動している様だ。箱根登山口とはいえ、民家も交通量もそれぞれかなりな環境のなかで、住民の人々と打ち解けて生活する逞しさには、愕きだ。




           久方に箱根のお山へのドライブで

           有ろう事かな お猿の出迎え


           橋渡る車の脇にお猿さんの

           丸いまなこに オドロクじじばば


           橋渡り 旧東海道へのご案内か

           車の前を 走るお猿は


           お猿さんを避けつつ のろ~り従えば

           酒屋のガラス戸のぞく猿かな


           バス待つや住民近くに佇むに

           お猿も人も我は関せず 


           口ずさむ箱根八里に唱和して

           じじばば迎える「お猿さん」かな






「山茶花と小蟻」

2015-11-13 16:15:42 | 和歌

 10月の中頃に「山茶花の初花」を掲載したが、その後、固く閉じたままの莟が開花した山茶花を囲む、この写真をお送り頂いた。白い花びらと、頬を紅に染めた莟たちの対比が誠に鮮やかだ。


                        撮影とご提供 片岡勝子様

 莟たちも既に開花して、今頃は華やかな饗宴を繰り広げていることだろう。
開花した山茶花を丁寧に観察すると、小さな蟻が蜜を求めて花芯に入っていることをメールで指摘して居られたが、自然が創りだす互助システムには感服だ。蟻に限らず虫や鳥などは、自らの判断と力量で厳しい自然の試練に耐えるべく、逞しく生きているのだ。

 我々人間社会では、ともすると口先だけの発言や、判断を他人任せにしたり、身を護ることにすら他人の責任を云々する事例などが見られ、気懸りだ。率先して自らの責任で、身近なところから取り組むことの大切さを説いた諺、「先ず隗より始めよ」との箴言を噛み締めたいものだ。
更にまた誰に強制されるでもなく、無言で助けを提供する自然の優しさも、見倣いたいものだ。


           紅に頬を染めにし莟かな

           白山茶花との対比に見惚れぬ


           姉慕う幼児にあらずや山茶花の

           莟の頬を紅に染めるは


           白妙の山茶花の奥 花芯には

           小蟻を抱きて蜜を召せとは


           在るがままに無言で支える山茶花の

           まことの優しさ 逞しさかな