川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

さあっ、新学期、そしてL

2007-04-09 10:59:56 | 日々のわざ
息子と娘が二人して登校する姿を見送り、エッセイを仕上げ、ばたばたと事務連絡を終え、山のような資料を整理して、やっと辿り着く。
感染症疫学小説Lをふたたび進める時がやってきたのでした。
さあやるぞっ、と鼻息を荒くして着手。
なんかこういうことを前にも書いたような気がするけれど、着実に進んではいるので……うん、さらにもう一歩前へ。
と思ったら、間違い電話がかかってくる。
これがおもしろくてくすくす笑ってしまう。

たぶん、知っている人だ。あるいは知っている人の知っている人くらいの関係。
それも宇宙関係。

JAXAから出向したのか何かで別のオフィスに移って名刺を旧オフィスにおいたままなので、間接的に誰かから電話番号を聞いてかけてきた、というのだけれど、「例のパンフレットの件を詰めたい」と言われるまで、ずーっと前に会ったことがあるけれど記憶の彼方になってしまった人だと思って、必死に思い出そうとしていた。

例のパンフレット……たぶん、ぼくは請け負っていないので。

ちょっと愉快。
たまたま、宇宙関係のエッセイを書き終えたばかりでもあった。

「南極海で捕鯨をしない未来」に、はっきり意思表示できる

2007-04-09 09:09:00 | ひとが書いたもの
日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか
価格:¥ 819(税込)
発売日:2007-03

やっぱり、ついつい優先順位を上げて読んでしまった。

期待に違わぬ良書。
捕鯨問題に興味があるすべての人たちに。

これは「内部者」でしかかけないものだ。
こと、クジラに関しては、ジャーナリズムが機能しなくなっており、「冷静な内部者」の方がより説得力を持つことがあると感じた。

この本を読むと……

●環境保護団体も一枚岩ではなく、グリーピースやWWFのような穏健な団体は、捕鯨問題を軟着陸させる現実路線を模索しているのが分かる。

●国際団体であるグリーピースの中でも、グリーンピース・ジャパンは独特の立ち位置から、「日本に南極での捕鯨をやめさせたければ、頭ごなしはダメ」などと主張しているのが分かる。

●調査捕鯨が、すでに調査の域を超えて、とんでもない領域に入り込みつつあるのが分かる。なにしろ、ナガスクジラだって捕っているし、今年からはザトウクジラまで捕獲予定に入っている。

●目下、我が国で鯨肉がだぶついているのが分かる。

●南極海での商業捕鯨の再開ガ、さまざまな意味で「ありえない」のがよく分かる。

●日本の水産会社はすべて捕鯨への意欲をうしなっており、今、南極海での商業捕鯨を再開したがっているのは実は誰もいないと分かる(旗を振り続けている水産庁捕鯨班ですら、このまま調査捕鯨を続けられればいいと思っているフシがあるという)。

というかんじか。
注文を言うならば、反捕鯨運動と、日本の国民感情のボタンの掛け違いについて、「日本側」の観点ではどういうふうに反捕鯨運動が見えたのか、検証してみて欲しかったくらい。
マイナーなflawだ。

ぼく自身、「南極海での捕鯨の可能性は理論的にはありえる」と常々表明しているけれど、その「理論的」な部分がかなり先細りしていて(というかあくまで理論的な可能性でしかなくて)、本当にただの理論なのだと理解した。

南極での捕鯨をする未来と、しない未来。
どっちもアリだとぼくは思っているけれど(理屈としては両方とも可能)、自分で選んで良いなら「しない未来」を選ぶ。
そこに加えて、南極での捕鯨を健全に運営するためには、とてもたくさんの制約条件がつき、それをクリアするためのもっとも重要な条件を、我々はまだクリアできていないこともはっきりしたわけで、ここは、「しない未来」にはっきり意思表明しよう。

沿岸の話はまた別のこと。

つまり、星川氏がこの本で表明している範囲において、ぼくはグリーンピース・ジャパンを支持する。
今後に期待します。

あと、ぼくがかつて書いた捕鯨本は、もう古くなった。
寿命は終わったと考えて良い。
ここから先、川端裕人という物書きに関心のある人か、当時の調査捕鯨がどういうものだったのか興味がある人、といったかなりコアな読み手にのみ意味がある作品になるだろう。
ぼくはあの時、「乗船する」ことで、半分内部者になった。
そして、「冷静な内部者」のつもりで原稿を書いた。
しかし、不徹底だ。
星川氏がすっぱり書いてくれたおかげで、ぼくの本の使命は終わった。
たいへんありがたいことだ。
クジラを捕って、考えた
価格:¥ 620(税込)
発売日:2004-10