日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか 価格:¥ 819(税込) 発売日:2007-03 |
やっぱり、ついつい優先順位を上げて読んでしまった。
期待に違わぬ良書。
捕鯨問題に興味があるすべての人たちに。
これは「内部者」でしかかけないものだ。
こと、クジラに関しては、ジャーナリズムが機能しなくなっており、「冷静な内部者」の方がより説得力を持つことがあると感じた。
この本を読むと……
●環境保護団体も一枚岩ではなく、グリーピースやWWFのような穏健な団体は、捕鯨問題を軟着陸させる現実路線を模索しているのが分かる。
●国際団体であるグリーピースの中でも、グリーンピース・ジャパンは独特の立ち位置から、「日本に南極での捕鯨をやめさせたければ、頭ごなしはダメ」などと主張しているのが分かる。
●調査捕鯨が、すでに調査の域を超えて、とんでもない領域に入り込みつつあるのが分かる。なにしろ、ナガスクジラだって捕っているし、今年からはザトウクジラまで捕獲予定に入っている。
●目下、我が国で鯨肉がだぶついているのが分かる。
●南極海での商業捕鯨の再開ガ、さまざまな意味で「ありえない」のがよく分かる。
●日本の水産会社はすべて捕鯨への意欲をうしなっており、今、南極海での商業捕鯨を再開したがっているのは実は誰もいないと分かる(旗を振り続けている水産庁捕鯨班ですら、このまま調査捕鯨を続けられればいいと思っているフシがあるという)。
というかんじか。
注文を言うならば、反捕鯨運動と、日本の国民感情のボタンの掛け違いについて、「日本側」の観点ではどういうふうに反捕鯨運動が見えたのか、検証してみて欲しかったくらい。
マイナーなflawだ。
ぼく自身、「南極海での捕鯨の可能性は理論的にはありえる」と常々表明しているけれど、その「理論的」な部分がかなり先細りしていて(というかあくまで理論的な可能性でしかなくて)、本当にただの理論なのだと理解した。
南極での捕鯨をする未来と、しない未来。
どっちもアリだとぼくは思っているけれど(理屈としては両方とも可能)、自分で選んで良いなら「しない未来」を選ぶ。
そこに加えて、南極での捕鯨を健全に運営するためには、とてもたくさんの制約条件がつき、それをクリアするためのもっとも重要な条件を、我々はまだクリアできていないこともはっきりしたわけで、ここは、「しない未来」にはっきり意思表明しよう。
沿岸の話はまた別のこと。
つまり、星川氏がこの本で表明している範囲において、ぼくはグリーンピース・ジャパンを支持する。
今後に期待します。
あと、ぼくがかつて書いた捕鯨本は、もう古くなった。
寿命は終わったと考えて良い。
ここから先、川端裕人という物書きに関心のある人か、当時の調査捕鯨がどういうものだったのか興味がある人、といったかなりコアな読み手にのみ意味がある作品になるだろう。
ぼくはあの時、「乗船する」ことで、半分内部者になった。
そして、「冷静な内部者」のつもりで原稿を書いた。
しかし、不徹底だ。
星川氏がすっぱり書いてくれたおかげで、ぼくの本の使命は終わった。
たいへんありがたいことだ。
クジラを捕って、考えた 価格:¥ 620(税込) 発売日:2004-10 |
宜しければ私のブログ、ご覧になって下さい。
http://www.junkoniwa.net/archive/1144/
「持続可能な捕鯨」(川端さんのおっしゃっていた「環境捕鯨」)こそが未来を救う!と思ったのですが、川端さんは星川さんの本を読んで、「捕鯨を行なう必要がない」と?調査を全くしなくても良い、というお考えになったのですか?よろしかったら、教えて下さいませ。
モニタリングのための捕鯨を細々と続けるというのも、アリです。
理論レベルの話。
ぼくはこれまで合理的な理由を見いだせるなら、どっちの未来も十分「ありえる」ものだと考えてきました。
けれど、今は南極海での捕鯨再開を目指すのははっきりノーであると思っていますし、調査捕鯨の拡大路線にも反対します。
捕鯨再開を目的としないなら、IDCR的な調査を継続するだけでも、かつての捕鯨国としての「責任」は果たせるかなとも思います。
今、捕鯨問題についてアクティヴに考えいているわけではないので、粗い議論ですみません。
また、時季が巡ってきたら、掘り下げてみますが、今のところこれくらいで失礼。
川端さんの紹介から、日本が調査捕鯨を続け、商業捕鯨を再開しようとする理由の明快な構図を期待しました。もろもろのデータや事実関係は非常に勉強になりましたが、なぜかくも捕鯨に固執するのかという点では、話はぐずぐずどろどろとしたところに呑み込まれ、結局のところ、捕鯨と捕鯨反対にシンボリックな意味を見いだす一部の人たちが大方の無関心をいいことに情報操作をして調査捕鯨を正当化しているということが再確認されただけで、そういう意味では少々残念でした。同時にこの問題の厄介さ加減も思い知りました。島村英紀氏のことが頭に浮かび、うかつに捕鯨反対なんて言えないと。
家内は「ほかのことではあれだけアメリカの言いなりになって、なんで捕鯨だけ反発するのっ」と言いますが、それだけに捕鯨にこだわると言う見方も考えられます。
僕は、クジラを殺すことや食べることそのものに倫理的な問題は感じませんし、それが正真正銘の科学的調査であれば調査捕鯨も当然あり、と考えますが、調査と言いながら欧米と堂々と渡り合える土俵の上に立った科学的な調査結果(査読のあるジャーナルに発表するとか)が見えてこない一方、不利な事実を闇に葬り去り、捕鯨によらない調査を並行して行なう様子は一切無いと言う点で、日本の現在の調査捕鯨は調査に名を借りた国策商業捕鯨だと言われてもやむを得ないだろうと思います。これでは結局国際舞台では感情と感情のぶつかり合いにしかならない。発表されず科学に貢献せずに「捨てられている」知見もふくめてせっかく殺したクジラからもっともっと生物学的なデータが取れるはずだと思うと残念です。
kokoさん、どうもありがとうございます。
「海外」(といっても、西欧に根をもつ国)では最重要とはいわないまでも、よく日本人に対する「踏み絵」みたいに使われることがありますね。やなかんじでありますが。
おっしゃるとおり、シーシェパードは逆効果です。そういう意味では。
sionoiriさん、その仕打ちって……たとえば、某産婦人科医さんとか?