ご近所のHさんが亡くなった。
このところ入院されていたので、
最初の3年間ほどのお付き合いなのだが、
よそ者のワタシに気軽に声をかけてくださった。
越してきた頃は毎朝、散歩が日課だったワタシ。
夜の明ける前に家を出て歩き始めると、
新聞を取りに、坂下から軽トラで登ってくるHさんと出合う。
どこら辺で出会うかで、どちらが早起きしたかがわかる。
「今日は、ワタシだな」
「えっ、もう来ちゃったの!」と、
まるで、早起き競争?!
そして、
1時間ほどかけて一回りしてくると、
坂の上の店先に腰かけているHさんが、
「寄ってかねーかい」
前橋に出かけない日には、お茶をごちそうになりながらしばしおしゃべり。
50年以上前に開拓で入植したころの苦労の数々。
養蜂家に貸している我が家の向かいの土地で採れる蜂蜜の話。
「今日は、忙しくて、また」と言う日は、
「ああ、そうかい」とちょっと寂しそうだった。
班長をしてた頃、ぐんと奥まったご自宅を訪ねると、
「お茶飲んでいかねーかい」
そして、
遠く遠くの山から引いたという自慢の水を飲ませてくれ、
ヤギやクマ、そしてキジの話。
ボートを浮かべた自作の池や、立派な木材を前に熱き思いも。
いつも野菜を持たせてくれ、何かと気にかけてくれたTさんといい、
こんなHさんといい、
親しくしてくださった近所の方が次々と亡くなり、
寂しくなってしまった。
高山で暮らす楽しみが、また一つ消えた。
人と自然の
生命と生命との鬩ぎ合いを凌いだ
力強く、且つ素朴な静謐を
悠揚たる緑と満開のツツジが、今、讃え想う。