庭の木々もだいぶん葉を落としたので、
この時とばかりに、
枝を剪定。
が、これがなかなか。
事前に、『剪定の仕方』とやらの本を2度も借り、
一応は頭に入れておいたはずだが、
実際の木を前にすると、
そううまくはいかない。
確か、
「下向きや重なったりの枝を切るんだったよな」
「上を向いて威張っているのを取って、細く下を向いているのを延ばすともあったし」
「外芽の3cm上と言われても・・・・切り口は真っ直ぐだったけ?斜めだっけ?」
木の種類によっても違うのだろうが、
どうも矛盾するようで、なかなかはかどらない。
ちょっと切って、
少し離れてみて、
また切って____
とやっていたが、
面倒になって、どんどんテキトーになっていく。
昼のサイレンが鳴ったので休憩。
まだ4分の3ほど残っている。
::::
午後は風が出てきたこともあり、
シューマンの交響曲を聴きながら読書に変更。
が、
竹内薫の『99,9%は仮説』とはどうも合わないようで、
ラベルのピアノソナタとソナチネにしてみることに。
うんうん、これで良し。
「わたしたちをとりまく世界も、実は仮説にみちあふれ」ていて、
「だれもが当たり前だと思っている常識や習慣や定説も、ぜんぶがぜんぶ、ただの仮説にすぎない」のであって、
「ものごとを疑う技術を毎日の生活のなかで磨く」ことが大切なのだ。
う~ん、なるほど。
じゃあ、あの『剪定の仕方』も仮説にすぎないの?
書いてあることを鵜呑みにして、
シャカリキになっていたけど。
ん?!
おっと、
もしかして『99,9%は仮説』というのも仮説?!
0,1%がミソだね。
わたしの頭のなかは仮説だらけ
あなたの頭のなかも仮説だらけ
多くの科学者、哲学者が出てきて、
なんだか、ワタシの頭の中が??になってきたけれど、
とにかく、___頭を柔軟にしよっ___
ということだろう。
先日も、
この人、どうしてこう話がわからないのだろう?
と、ギギギッって思うことがあったけれど、
自分と相手が異なる仮説の上に生きているってことで生じるわけだから、
そのへんを自覚すれば、
しないでいいイライラもあるということだね。
ねっ、○○さん。
折しも、聴こえてきたのは、
リヒャルト・シュトラウスの歌曲「解き放たれた心」