賑やかで豊かな日から一夜が明けた今朝、
ひとり歩くワタシの行く前を
色づいた葉っぱが
次から次から落ちてゆく。
それは、まるで雨が降り注ぐよう。
ふと、思う。
豊穣の時というのは
人生の最期にあるのではなかろうかと。
実りの時ではなく、
役目を終えた美しさと、
次に引き継ぐ豊かさの、その時に。
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昨日は、草の葉での2回目になる
声楽家の天田さんとピアニストの志村さんのコンサート。
シューベルトのピアノ曲で始まった第一部は、
志村さん作曲の歌曲。
優しさを継いだ暮鳥に耳を澄ましたかと思うと、
『おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ』
「ぎよ、ぎよ、ぎよ、ぎよ」と、
神経を研ぎ澄まさせる朔太郎。
天田さんは見事に歌い演じきる。
茶菓付き休憩の後、
聞き慣れた「小さい秋見つけた」に続いたのは、
なんと、
「かごかき」「海ぼうず こぼうず」「こびとの地獄」の日本歌曲。
意表を突かれたと思ったのはワタシだけ!?
そして、
最後の曲は___「落葉松」
あ~
落葉松の 秋の雨に
わたしの 手が濡れる
落葉松の 夜の雨に
わたしの 心が濡れる
落葉松の 陽のある雨に
わたしの 思い出が濡れる
落葉松の 小鳥の雨に
わたしの 乾いた眼が濡れる
___野上彰__
作曲者である恩師の小林秀雄さんの前では、
なかなか歌えないという歌を
天田さんが気持ちを込めて歌い上げる。
言葉がない。
感動。
ただ、ただ感動す。
深い自己対話の中に、
ワタシの乾いた眼が濡れ、心が濡れる。
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秋のホントに見事な何百という色に包まれ、
これまた、
見事な新小豆のお菓子をいただき、
またまた、
見事というほかない合唱で締めくくられた一日。
人の手を経て作り出された美しさや、
多くの人の心が作り出しす美しさが、
決して作り出すことのできない自然の美しさと相まって、
いらした方々、お一人お一人にとって、
豊かで確かな一日であったのではないかと思う。
ひとりひとりに在る
それぞれの豊穣なるその時。
それに繋がるひとつの時を
共に過ごせたことに
喜びと感謝を。