日本百名山 37、奥白根山(2578m)
奥白根山(日光白根山)は関東地方の最高峰で、北や東にはこれより高い山はないそうです。
また、日光群山の最高峰でもあり、男体山の奥院ともいわれています。
設定: カメラ:PEX、レンズ:35mm、風景:日本アルプスの朝、高さ強調0倍、仰角0度。
同じ白根山でも、草津白根山は標高2162mで、この山には及びません。
登山コースは次の赤線です。
「私は日光側から登った。
湯本から白根沢の急坂を攀じて前白根山の頂きに着くと、目の前に奥白根山が大きくそびえている。・・・
前白根からいったん下って火口原らしい平らな草原へ達するが、その途中眼下に五色沼が見下ろされる。・・・
魔ノ湖と名づけられている火口湖で、四周山に囲まれた深い湖だけに、何か凄愴なおもむきがあって、それが魔を感じさせたのであろう。」
(“凄愴〈せいそう〉”とは、新明解国語辞典によると、“ひどい損害をうけたりして、痛ましい様子”とある。)
「火口原から奥白根の急登が始まる。
樹林の間を喘ぎながら登って行くと、やがてザクザクした砂礫を踏む高山帯となり、ついに巨岩の散乱した頂上に立つ。
奥白根の頂上は一種異様である。
それは蜂の巣のように凹凸が激しく、どこを最高点とすべきか判じ難い。
小火口の跡があちこちに散在しており、それをめぐって岩石の小丘が複雑に錯綜している。・・・
下山の道を私は上州側へ採った。
頂上からその側へ大きな薙ぎが崩れ落ちている。
それを御釜大割れと称しているが、明治六年の大爆発によって生じたものである。・・・」
(新潮社刊、深田久弥著『日本百名山』より引用)
想えば、日光へは何回も行きました。
会社の旅行で数回、そして山のグループやマラソンの合宿で、そして彼女とプライベートでも・・・
最初の会社旅行の時は、まだ金精トンネルは出来ていませんでした。
日本道路公団により開通したのは、1965年(昭和40年)10月です。総延長755m。
想えば、私も長く生きてきたものです。
それだけ行ってるのに、日光白根の存在を意識していませんでした。
戦場ヶ原や光徳牧場にはたびたび訪れましたが、関東一高いこの山には興味を持ちませんでした。
中禅寺湖あたりからは日光白根山までの展望が開けなかったせいもあるのでしょうが、認識不足が第一です。
元地図屋らしくないと、反省することしきり・・・。