富士山に登ってきました。
そして、いろいろなことを感じ、考えさせられました。
その1、歳を考えて行動すること。
もう若くは無い(76歳)。自分の能力を知り、行動することですね~。
とかく、案内書の情報に基づきますが、それは無謀と知りました。
その2、それでも挑戦を続けること。
「その1」をわきまえた上で、なおかつ、これからも新しいことに挑戦することは、生きてることの意味だろうな~!
歳ばかり気にして、何もしないのは死んだも同じ。
今回はプリンスルートを選びました。
密かに、温室育ちの皇太子が登ったルートなら、野人の私に登れないわけがないという思いがありました。
しかし、皇太子は別に“かご”に乗って登ったわけでもなく、宿(我々と同じ赤岩八号館)も、布団も、食べ物も、我々と全く同じだったそうです。
ご立派です。見直しました。
富士登山(プリンスルート)図です。
その経路断面図です。
初日は富士宮口五合目(標高2,400m)を11:00出発。
そこで、小学五年生たちから“おじいさ~ん”と呼びかけられショック!
この子達から見るとおじいちゃんなのだろうな~と、寂しい自覚!
確かに私の孫たちも上から高2、中2、小5だからな~。
宝永山第一火口を過ぎた辺りから、小雨予報に反し薄日が差してきました。
晴れ女二人と一緒なので、今日も晴れたかと喜んでいましたが、火口を過ぎ、昼飯にした馬の背辺りから、小雨交じりの風が出てきました。
御殿場登山(下山・大砂走り)ルートを横切った辺りで、ちょと道を間違え、行きつ、戻りつしたあと、本来の御殿場(上り)ルートと合流しジグザグ路を登りました。
その頃から霧で前景は遮られ、雨も小雨といえる程度になりました。
冷えてもきました。
途中、カッパを着込み、装備を整えて登りましたが、そのジグザグ路の長いこと。
でも、男性仲間二人は、小雨を軽く見てか、アノラック程度で登山を続け、下着が綿製品のためもあって、汗と雨でびっしょり。その上、冷えてきたため、ガタガタ震える羽目になったようです。
グループ行動どころではなくなり、立ち止まって後方を待つ余裕もなく、真っ白な霧と雨の降りしきる中を、5人の一団はバラバラになりました。
幸い、私は装備が良かったためか、震えが来ることも無かったのですが、体力が伴わず、遂に立ち止まったり、歩いたり。
“100歩前進・数20休憩”、七合目を過ぎた辺りからは“50歩前進・数30休憩”。
でも、急がず慌てず、このテンポを守っていると、あまり苦もなく頂上を目指せるような気分でした。
それらのために、赤岩八号館に着いたときは、先頭の人から一時間半も遅れていたようです。
でも、これが暗くなっていたら心細いでしょうな~。
私がついたのは、確か5:00ころでした。
赤岩八号館では、温かいお茶でもてなされ、炬燵に入れてもらって、熱燗一杯なめながら平常心を取り戻しました。
カレーの夕食の後、7:00過ぎには、一寸湿った布団にくるまり、早々と寝に就きましたが、枕がなく、なかなか寝付かれませんでした。
夜、11:30ころか、トイレにたちました。
外はシーツを張り巡らしたように白一色、それに風雨が舞っていました。
やれやれ、これでは明日の頂上は無理か?
眠れぬまま、また2:30ころトイレにたちました。周りがいやに静かでした。
外に出てみたら、三日月が、いろいろな星を引き連れて煌々と輝いていました。
寝床に入るとき、暗闇の中で“月が出てるよ” と小さくつぶやいたら、真っ暗な中で部屋の雰囲気がとたんに緩んだように感じました。
翌日は、4:30頂上に向かいました。
途中、4:45ころ、ご来光が拝めました。(下の写真)
地球上に生きているもの皆の“神様”です。
仲間が買ってくれた、酸素ボンベを吸い吸いしながら登りました。
テンポを緩めないと息があがって長く歩けなくなるようでした。
富士山の裾野がはっきり眺められました。(下の写真は赤岩八号館を背にした下界)
今日下る御殿場口五合目の辺りも見えました。
箱根の山々も、芦ノ湖も小さく見えました。
比較的はっきり形を捉えられたのが山中湖です。
地形図通りの瓢箪型をして光っていました。
ここでも、八合目辺りから、昨日の、歩いては休む歩き方で、皆さんとは大分遅れて頂上に着きました。
遂に、念願の富士の頂上に立ちました!!
頂上には、写真の浅間神社奥院が静かに鎮座していました。
下の写真は噴火口です。
いつもは、この程度の人(頂上で約10人)ではないそうですが、まだ郵便局も、お土産やさんも閉まっていて何処も営業しているところはありませんでした。
(後で思ったのですが、それは時期の問題ではなく、時間の問題では・・・?まだ、午前7時前ですから・・・)
できればお鉢めぐりがしたかったのですが、体力に自信が無く、皆さんも私に従ってくれ、せめて私を残して剣が峰(3776.5m)を往復して合流しました。
一休みの後、7:00頃、下山開始。
登りと違って、楽にどんどん下れました。
途中、昨晩泊めてもらった赤岩八号館で味噌汁付きの朝食を頂き、一休みして9:00頃から本格下山を始めました。
下山ルートは地図でもわかるとおり御殿場口大砂走りコース。
水平距離7,500m、標高差2,300m、
殆ど直線状に下るのですから、ただ事ではありません。
八月一日に行われる富士登山駅伝のトレーニング姿があちこちに見れました。
彼らはこのコースを目一杯走って上り下りするのです。
ただ事ではありませんね。
さて、そのコースを私たちは歩いて降りたのですが、火山灰でずるずる滑りながら降りるのです。暫くならいいでしょうが、5Kmもの距離を同じように足元不如意に下っているとおかしくなります。
例により、私だけ取り残されて下りました。
実は、途中、足が立たなくなり、やっと立たっかと思いきや、後ろにひっくり返ったり、もうこれまでかと思うほど悪戦苦闘の連続でした。自分の体では無いようでした。
それでも、皆さんに迷惑を掛けてはならないと、ゆっくり、恐る恐る下っていきました。
おかげで、キップを買ってあった帰りのバス(11:50)に間に合わず、12:00ころ皆さんと合流しました。
遅れて皆さんに迷惑掛けたことで、小さくなっていました。
大石茶屋で一休みし、そこからタクシーで御殿場駅近くのお風呂に入り、
元気に一杯呑んで、帰りました。
でも、初めての富士登山に成功し、満足!!
闘い済んで、翌朝を迎かえ、実にさわやかな、そして満ち足りた、ゆったりした気分を味わっています。
これぞ、挑戦の結果であり、収穫です。
挑戦しているとき、ひょっと,“俺は何でこんな馬鹿なことをやってるんだ”という思いが頭を過ぎりますが、やり遂げた後の気分は、
“これぞ生きてる喜び”
と感じます。いい、二日間でした。
そして、いろいろなことを感じ、考えさせられました。
その1、歳を考えて行動すること。
もう若くは無い(76歳)。自分の能力を知り、行動することですね~。
とかく、案内書の情報に基づきますが、それは無謀と知りました。
その2、それでも挑戦を続けること。
「その1」をわきまえた上で、なおかつ、これからも新しいことに挑戦することは、生きてることの意味だろうな~!
歳ばかり気にして、何もしないのは死んだも同じ。
今回はプリンスルートを選びました。
密かに、温室育ちの皇太子が登ったルートなら、野人の私に登れないわけがないという思いがありました。
しかし、皇太子は別に“かご”に乗って登ったわけでもなく、宿(我々と同じ赤岩八号館)も、布団も、食べ物も、我々と全く同じだったそうです。
ご立派です。見直しました。
富士登山(プリンスルート)図です。
その経路断面図です。
初日は富士宮口五合目(標高2,400m)を11:00出発。
そこで、小学五年生たちから“おじいさ~ん”と呼びかけられショック!
この子達から見るとおじいちゃんなのだろうな~と、寂しい自覚!
確かに私の孫たちも上から高2、中2、小5だからな~。
宝永山第一火口を過ぎた辺りから、小雨予報に反し薄日が差してきました。
晴れ女二人と一緒なので、今日も晴れたかと喜んでいましたが、火口を過ぎ、昼飯にした馬の背辺りから、小雨交じりの風が出てきました。
御殿場登山(下山・大砂走り)ルートを横切った辺りで、ちょと道を間違え、行きつ、戻りつしたあと、本来の御殿場(上り)ルートと合流しジグザグ路を登りました。
その頃から霧で前景は遮られ、雨も小雨といえる程度になりました。
冷えてもきました。
途中、カッパを着込み、装備を整えて登りましたが、そのジグザグ路の長いこと。
でも、男性仲間二人は、小雨を軽く見てか、アノラック程度で登山を続け、下着が綿製品のためもあって、汗と雨でびっしょり。その上、冷えてきたため、ガタガタ震える羽目になったようです。
グループ行動どころではなくなり、立ち止まって後方を待つ余裕もなく、真っ白な霧と雨の降りしきる中を、5人の一団はバラバラになりました。
幸い、私は装備が良かったためか、震えが来ることも無かったのですが、体力が伴わず、遂に立ち止まったり、歩いたり。
“100歩前進・数20休憩”、七合目を過ぎた辺りからは“50歩前進・数30休憩”。
でも、急がず慌てず、このテンポを守っていると、あまり苦もなく頂上を目指せるような気分でした。
それらのために、赤岩八号館に着いたときは、先頭の人から一時間半も遅れていたようです。
でも、これが暗くなっていたら心細いでしょうな~。
私がついたのは、確か5:00ころでした。
赤岩八号館では、温かいお茶でもてなされ、炬燵に入れてもらって、熱燗一杯なめながら平常心を取り戻しました。
カレーの夕食の後、7:00過ぎには、一寸湿った布団にくるまり、早々と寝に就きましたが、枕がなく、なかなか寝付かれませんでした。
夜、11:30ころか、トイレにたちました。
外はシーツを張り巡らしたように白一色、それに風雨が舞っていました。
やれやれ、これでは明日の頂上は無理か?
眠れぬまま、また2:30ころトイレにたちました。周りがいやに静かでした。
外に出てみたら、三日月が、いろいろな星を引き連れて煌々と輝いていました。
寝床に入るとき、暗闇の中で“月が出てるよ” と小さくつぶやいたら、真っ暗な中で部屋の雰囲気がとたんに緩んだように感じました。
翌日は、4:30頂上に向かいました。
途中、4:45ころ、ご来光が拝めました。(下の写真)
地球上に生きているもの皆の“神様”です。
仲間が買ってくれた、酸素ボンベを吸い吸いしながら登りました。
テンポを緩めないと息があがって長く歩けなくなるようでした。
富士山の裾野がはっきり眺められました。(下の写真は赤岩八号館を背にした下界)
今日下る御殿場口五合目の辺りも見えました。
箱根の山々も、芦ノ湖も小さく見えました。
比較的はっきり形を捉えられたのが山中湖です。
地形図通りの瓢箪型をして光っていました。
ここでも、八合目辺りから、昨日の、歩いては休む歩き方で、皆さんとは大分遅れて頂上に着きました。
遂に、念願の富士の頂上に立ちました!!
頂上には、写真の浅間神社奥院が静かに鎮座していました。
下の写真は噴火口です。
いつもは、この程度の人(頂上で約10人)ではないそうですが、まだ郵便局も、お土産やさんも閉まっていて何処も営業しているところはありませんでした。
(後で思ったのですが、それは時期の問題ではなく、時間の問題では・・・?まだ、午前7時前ですから・・・)
できればお鉢めぐりがしたかったのですが、体力に自信が無く、皆さんも私に従ってくれ、せめて私を残して剣が峰(3776.5m)を往復して合流しました。
一休みの後、7:00頃、下山開始。
登りと違って、楽にどんどん下れました。
途中、昨晩泊めてもらった赤岩八号館で味噌汁付きの朝食を頂き、一休みして9:00頃から本格下山を始めました。
下山ルートは地図でもわかるとおり御殿場口大砂走りコース。
水平距離7,500m、標高差2,300m、
殆ど直線状に下るのですから、ただ事ではありません。
八月一日に行われる富士登山駅伝のトレーニング姿があちこちに見れました。
彼らはこのコースを目一杯走って上り下りするのです。
ただ事ではありませんね。
さて、そのコースを私たちは歩いて降りたのですが、火山灰でずるずる滑りながら降りるのです。暫くならいいでしょうが、5Kmもの距離を同じように足元不如意に下っているとおかしくなります。
例により、私だけ取り残されて下りました。
実は、途中、足が立たなくなり、やっと立たっかと思いきや、後ろにひっくり返ったり、もうこれまでかと思うほど悪戦苦闘の連続でした。自分の体では無いようでした。
それでも、皆さんに迷惑を掛けてはならないと、ゆっくり、恐る恐る下っていきました。
おかげで、キップを買ってあった帰りのバス(11:50)に間に合わず、12:00ころ皆さんと合流しました。
遅れて皆さんに迷惑掛けたことで、小さくなっていました。
大石茶屋で一休みし、そこからタクシーで御殿場駅近くのお風呂に入り、
元気に一杯呑んで、帰りました。
でも、初めての富士登山に成功し、満足!!
闘い済んで、翌朝を迎かえ、実にさわやかな、そして満ち足りた、ゆったりした気分を味わっています。
これぞ、挑戦の結果であり、収穫です。
挑戦しているとき、ひょっと,“俺は何でこんな馬鹿なことをやってるんだ”という思いが頭を過ぎりますが、やり遂げた後の気分は、
“これぞ生きてる喜び”
と感じます。いい、二日間でした。