井上 靖氏の「氷壁」を再度、読んでみました。
最近、後期高齢者になって、少し時間に余裕が出来ましたので、山の仲間に誘われて、一寸した登山やハイキングを楽しんでいます。
私の場合、現実からの逃避であり、自然への憧憬ですが・・・。
ここに示した地図は、
赤いルートが、「氷壁」での、昭和31年元旦の小坂さんの遭難ルートであり、現場です。
黄色いルートが、魚津さんの遭難ルート、現場です。
そして、ついでに、私の登った西穂独標へのルートが青色です。
そして、私の疑問を、「氷壁」から抜粋して見ました。
なぜ、命の危険を犯してまで、危険な山に、何回も何回も、登るのか・・・?
次が魚津恭汰さんの死の直前のノートです
(実際は、筆者の知人・石岡茂雄氏の弟さんが、穂高岳で遭難した時の手記だそうです。)
「D沢ニ 三時半ニハイル。落石頻々、ガス深シ。
四時三十五分グライ、ツルム(搭状岩峰)付近ニテ大落石ニ遭ツテ負傷。
涸沢岳ヨリ派出セル無名尾根ノ露岩ノ陰ニ退避、失神。
意識ヲ取リ戻ス、七時ナリ。大腿部ノ出血多量。(この間、3:30~7:00・・・約三時間半)
下半身痺レテ、苦痛ナシ。
ガス相変ワラズ深シ。
意識間歇的ニモウロウトスル。
コノ遭難ノ原因ハ明ラカナリ。――
ガス深キニ敢エテススミシコト。落石頻々、異常ナルヲ顧ミザルコト。
一言ニシテ云エバ無謀ノ一言ニツク。
(なぜ、無謀と知りながら進むのでしょう)
高名ナ登山家デ避ケラレル遭難ニオイテ一命ヲ棄テシモノコレマデニ多シ。
自分自身マタソノ徹ヲ踏ムコトニナッタ。
(なぜ、この道の達人といわれるような人たちが、無謀な行動を、敢えてするのでしょう)
ガス全クナク、月光コウコウ。二時十五分ナリ。(遭難当初から、3:30~翌2:50 約十一時間半)
苦痛全クナク、寒気ヲ感ゼズ。
静カナリ。限リナク静カナリ。」 (井上靖 著「氷壁」 新潮社発行 より)
死の直前まで、冷静にメモが書けるのも、常人ではないですね。
私は、ここまでくれば、自然の美しさを堪能するためだとか、現実を逃避するためだとか・・・
そんな次元ではなく、
不可能かもしれないことへの挑戦であり、達成感の喜びではないでしょうか。
そうなると、ちょっとや、そっとでは、挑戦をあきらめないと思いますが・・・
井上靖氏は、常盤氏に名を借りて、次のような感想を述べている。
「・・・魚津君はなぜ死んだか?それははっきりしている。彼が勇敢な登山家だったからだ。
勇敢な登山家という奴は、極言すればみな死ぬと、僕は考える。死んで当たり前じゃないか。
最も死ぬ確立の多い場所へ身を挺するのだから、これは死ななかったらむしろ不思議である。・・・彼は山を愛し、山を楽しむために、山へ行ったのではない。
山を征服しに、あるいは自分という人間の持つ何ものかを試すために、一人の登山家として山へ行ったのだ。」と・・・
私は、昨年の夏、仲間と西穂高のズーと手前の「西穂独標」へ登りました。
もう、二度と登ろうとは思いません。恐怖の連続でした。
ちょっとでも足を踏み外すと奈落の底です。
頼りにして握っていた岩までグラグラしていました。
それなのに、多くの仲間は、さらにその先の、「ピラミッド」へ嬉々として進んでいくのです。
上の写真はピラミッドへのルートです。私は、Uターンしました。Uターンもまた、大変でしたが。
「山がそこにあるから、登る!」・・・「そこに美人がいるから、声をかける!」
どちらも、無理があるし、疲れますよな~
最近、後期高齢者になって、少し時間に余裕が出来ましたので、山の仲間に誘われて、一寸した登山やハイキングを楽しんでいます。
私の場合、現実からの逃避であり、自然への憧憬ですが・・・。
ここに示した地図は、
赤いルートが、「氷壁」での、昭和31年元旦の小坂さんの遭難ルートであり、現場です。
黄色いルートが、魚津さんの遭難ルート、現場です。
そして、ついでに、私の登った西穂独標へのルートが青色です。
そして、私の疑問を、「氷壁」から抜粋して見ました。
なぜ、命の危険を犯してまで、危険な山に、何回も何回も、登るのか・・・?
次が魚津恭汰さんの死の直前のノートです
(実際は、筆者の知人・石岡茂雄氏の弟さんが、穂高岳で遭難した時の手記だそうです。)
「D沢ニ 三時半ニハイル。落石頻々、ガス深シ。
四時三十五分グライ、ツルム(搭状岩峰)付近ニテ大落石ニ遭ツテ負傷。
涸沢岳ヨリ派出セル無名尾根ノ露岩ノ陰ニ退避、失神。
意識ヲ取リ戻ス、七時ナリ。大腿部ノ出血多量。(この間、3:30~7:00・・・約三時間半)
下半身痺レテ、苦痛ナシ。
ガス相変ワラズ深シ。
意識間歇的ニモウロウトスル。
コノ遭難ノ原因ハ明ラカナリ。――
ガス深キニ敢エテススミシコト。落石頻々、異常ナルヲ顧ミザルコト。
一言ニシテ云エバ無謀ノ一言ニツク。
(なぜ、無謀と知りながら進むのでしょう)
高名ナ登山家デ避ケラレル遭難ニオイテ一命ヲ棄テシモノコレマデニ多シ。
自分自身マタソノ徹ヲ踏ムコトニナッタ。
(なぜ、この道の達人といわれるような人たちが、無謀な行動を、敢えてするのでしょう)
ガス全クナク、月光コウコウ。二時十五分ナリ。(遭難当初から、3:30~翌2:50 約十一時間半)
苦痛全クナク、寒気ヲ感ゼズ。
静カナリ。限リナク静カナリ。」 (井上靖 著「氷壁」 新潮社発行 より)
死の直前まで、冷静にメモが書けるのも、常人ではないですね。
私は、ここまでくれば、自然の美しさを堪能するためだとか、現実を逃避するためだとか・・・
そんな次元ではなく、
不可能かもしれないことへの挑戦であり、達成感の喜びではないでしょうか。
そうなると、ちょっとや、そっとでは、挑戦をあきらめないと思いますが・・・
井上靖氏は、常盤氏に名を借りて、次のような感想を述べている。
「・・・魚津君はなぜ死んだか?それははっきりしている。彼が勇敢な登山家だったからだ。
勇敢な登山家という奴は、極言すればみな死ぬと、僕は考える。死んで当たり前じゃないか。
最も死ぬ確立の多い場所へ身を挺するのだから、これは死ななかったらむしろ不思議である。・・・彼は山を愛し、山を楽しむために、山へ行ったのではない。
山を征服しに、あるいは自分という人間の持つ何ものかを試すために、一人の登山家として山へ行ったのだ。」と・・・
私は、昨年の夏、仲間と西穂高のズーと手前の「西穂独標」へ登りました。
もう、二度と登ろうとは思いません。恐怖の連続でした。
ちょっとでも足を踏み外すと奈落の底です。
頼りにして握っていた岩までグラグラしていました。
それなのに、多くの仲間は、さらにその先の、「ピラミッド」へ嬉々として進んでいくのです。
上の写真はピラミッドへのルートです。私は、Uターンしました。Uターンもまた、大変でしたが。
「山がそこにあるから、登る!」・・・「そこに美人がいるから、声をかける!」
どちらも、無理があるし、疲れますよな~