自信を持つこと ・ 過信してしまうこと
『道を行ふ者ものは、天下挙て毀るも、足らざるとせず、
天下挙て誉ほむるも、足れりとせざるは、自から信ずるの厚きが故也。』
=正しい道を進むものは、国中の人から悪く言われることがあっても、決して不満を言わず
国中の人がこぞって誉めても、決して自分に満足しないのは、自分を深く信じているからである。
西郷隆盛の何州翁遺訓州の一節です。
これも幼いころに祖父に読まされたのですが、、、読み返すたびに、唸ってしまうコトバです。
自信がない…
自信を持つ…
自信が故に過信してしまう…
自信を持つことと過信することとは違う…
色々と『自信』と『過信』にまつわることは言われますが
本当の『自信』とは、こうゆうことを示すのかもしれません。
本当の意味で『自分の可能性』を『信じている』からこそ
成功をしていったとしても奢ることもなく、もっと上を目指せるハズだと
自分を信じて、突き進んでいくのかもしれません。
私も例に漏れずですが、自分の中にある『自負』というのが本当に厄介なものです。
自分はやっている…
自分自身の行動・努力に対して『自信』を持っているからこそ
意見を聞けなくなったり、素直になれなくなってしまったりしてしまいます。
でも、そんな『自信』は西郷さんの言うところの
『自分を深く信じている人』ではないのだと感じ、、、、耳が痛いです。
『自分のこと』 も 『部下の可能性』も、深く信じて
そして『顧客の可能性』を広げることが出来る…そんな人になりたいです。
そんな器かどうか…
そんな能力があるかどうか…
そんな可能性なんて、正直どうでも良いです。
ただ、それを信じて、前を見て、進んでいくことが出来れば
それを信じてついてきてくれる人がいる。
そして万一自分に能力や器が無かったとしても、付いてきてくれた人の中から、
器も能力も適した人物がきっといて、その人が先人の作った道の歩みを進めてくれるのだと思います。
重要なのは、自分自身が道を進むことが出来るかどうかではなく、
結果として、『道』=目的を果たすことが出来るかどうかなのだと思います。
それを目指して歩み続けられるとき、本当の『道』を行う者になれるのかもしれませんね。
『道』のりは、まだまだ長いようです。
井上ゆかり
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