人は、知らないものに対する探究心を持つことはできます。
しかし、もう既に分かったと思うことに対して関心を失う傾向があります。
関心を失えば努力を怠るようになります。
どんな専門分野も階層的な構造になっており、一つのステージを超えても次のステージが待っています。
自分が、「もう、分かった」、「学ぶことは、もうない」と思った瞬間から成長が止まります。
「わかっている」と思っている人は、本当には、分かっていない人なのです。
The person who thinks he understands something is, in fact, the person who does not.
People can have an inquiry into what they do not know.
However, there is a tendency to lose interest in what I know already.
If you lose interest, you will neglect your efforts.
Every specialty field has a hierarchical structure, even if it exceeds one stage the next stage is waiting.
Growth stops at the moment when I thought "I already understood", "I do not have much to learn".
People who think "I know" are truly unknown people.
要は「思い込み」が本当の意味での理解することをを邪魔してしまいます。
飽くなき向上心を常に持つことが大切です。
人に話すことで相手の理解度により自分自身の理解度が測れます。
自分一人だけだと「思い込み」で終わることが多いということでしょう。
学べるとできたきになり
満足をする。
でも分野ごとにわけても
上には上がいると思う。
そう考えると全てを理解できたという
ことはいえなくなり、
さらに上を目指せるのかと思う。
『わかった』と決めつけた時、それは自分に関して必要な事を知っただけで、その物事について本当に理解したとは言えません。点の理解となります。
業務でも人間関係でも全ての物事は線でつながっています。理解したと決めつけただけで、簡単に理解できません。
社会人一年目は自分が無知であることを自覚しているので、凄い勢いで物事を吸収します。数年たった後でも、自分が無知であることを自覚することが出来れば、更に自分を磨く必要に駆られます。
本当に分かっていれば、人に教えることも出来ます。人に教えてみて、質問をされると以外とうまく説明できません。これはまだまだ知識が浅いということです。
物事の本質はどれも大きく異なることはなく、大きく捉えて“同じ”と考えることが大事だと思います。この感覚がない人は、すべてが固有の事象のように考えてしまい、応用が利かなくなります。
一方で、物事の違いにフォーカスし、その違いにどんな意味があるのかを考えることで、新たな視点を手に入れることができるようになります。これは、自分がまだ知らない何かがある、自分はまだ分かっていないという認識がないと見つけることができません。
この二つのバランスがあることを理解しながらも、「自分はまだまだ分かっていない」と考え、学んでいくことが大事なのだと思います。
しかし、表層の理解と、本質の理解とは異なります。
本質を理解して初めてほんとうにわかった、と言えます。
自分で限界を作っているのです。
もしかしたら自分が必要なだけの情報を手に入れただけで、理解した気になっているのかもしれません。
人は、わかったと安心した時点で、成長の機会と成長への意欲を失っていきます。
反対に、わからないことにはどんなことからも何か得られるものはないか、学ぼうとします。
自分だけで理解の限界を決めず、探求心を持ち続けていきたいです。