松戸で河津桜を見たあと、近くの寺社に立ち寄りましたので、
先ず訪れた松龍寺をご紹介します。
六地蔵
まず目に入ったのは六地蔵さんです。
少し珍しかったのは、ここの六地蔵さんは屋根の下に並んでいることでした。
山 門
その先には堂々とした山門があり、山門の両扉には葵の御紋が見えましたので、
何か謂れがあるかと家に帰ってこの寺について調べてみると
後述するようにある時期にはこの寺は寺勢を誇りましたが
再度の火災で寺の殆どを焼失してしまいました。
そしてこのが山門のみ焼失を逃れ往時の面影を残しているとの事です。
松龍寺について
浄土宗の寺で本尊は阿弥陀三尊です。
1613年に建立・開山された当時、この辺一帯を境内とする広大な敷地は
大きな松が聳える高台にあって、とても景色の良い所であった様です。
そのため将軍家の鹿狩りの際、八代吉宗、十一代家斉、十二代家慶などが
松龍寺を休憩場所として使ったために葵の御紋の使用を許されたという事です。
観音堂
山門から入って左側にある観音堂は、
1784年に、籾殻塚(すぐもずか)稲荷の境内の籾殻から聖観世音菩薩が現れ、
その後こちらに祀られたといわれるお堂です。
この籾殻観音は江戸時代から松戸宿の人々の信仰を集め現在に続いており
8月10日は観音様の縁日「四万六千日」にあたり、とうもろこし市が開かれ
多くお参りの人出がある様です。
実は観音経の一節に「観音様の力を念ずれば雷たちまち退散する」とあり、
観音様は雷除けにもご利益があるとされています。
そして赤く種の多いものは「雷除け」になると言われ、
昔は赤かった種の多い「とうもろこし」を売る市が立ったとのことです。
とうもろこし市が立つ縁日には献灯が行なわれたという昔からの言い伝えにちなんで
現在では「献灯まつり」が行われており
坂川の流れに沿って多数の行灯や提灯を並べ、自然の恵みや坂川を開いた先人たちに感謝の気持ちを表すとともに
「とうもろこし市」、新たにとうろう流しなどが行なわれている様です。
先ず訪れた松龍寺をご紹介します。
山門手前から見た松龍寺。左手前に六地蔵
六地蔵
まず目に入ったのは六地蔵さんです。
六地蔵
少し珍しかったのは、ここの六地蔵さんは屋根の下に並んでいることでした。
山 門
その先には堂々とした山門があり、山門の両扉には葵の御紋が見えましたので、
何か謂れがあるかと家に帰ってこの寺について調べてみると
後述するようにある時期にはこの寺は寺勢を誇りましたが
再度の火災で寺の殆どを焼失してしまいました。
そしてこのが山門のみ焼失を逃れ往時の面影を残しているとの事です。
廣大山の山号を掲げる山門
扉の葵の御紋
松龍寺について
小さな本堂
浄土宗の寺で本尊は阿弥陀三尊です。
1613年に建立・開山された当時、この辺一帯を境内とする広大な敷地は
大きな松が聳える高台にあって、とても景色の良い所であった様です。
そのため将軍家の鹿狩りの際、八代吉宗、十一代家斉、十二代家慶などが
松龍寺を休憩場所として使ったために葵の御紋の使用を許されたという事です。
観音堂
観音堂
山門から入って左側にある観音堂は、
1784年に、籾殻塚(すぐもずか)稲荷の境内の籾殻から聖観世音菩薩が現れ、
その後こちらに祀られたといわれるお堂です。
この籾殻観音は江戸時代から松戸宿の人々の信仰を集め現在に続いており
8月10日は観音様の縁日「四万六千日」にあたり、とうもろこし市が開かれ
多くお参りの人出がある様です。
実は観音経の一節に「観音様の力を念ずれば雷たちまち退散する」とあり、
観音様は雷除けにもご利益があるとされています。
そして赤く種の多いものは「雷除け」になると言われ、
昔は赤かった種の多い「とうもろこし」を売る市が立ったとのことです。
とうもろこし市が立つ縁日には献灯が行なわれたという昔からの言い伝えにちなんで
現在では「献灯まつり」が行われており
坂川の流れに沿って多数の行灯や提灯を並べ、自然の恵みや坂川を開いた先人たちに感謝の気持ちを表すとともに
「とうもろこし市」、新たにとうろう流しなどが行なわれている様です。