(鷹打(たこうじ)砦)(豊橋市石巻萩平町)
萩平村と中山村の境に位置する標高約160mの城山。
古東海道が麓から中山の峠を越え、往来していた時期があるという説のある中山村を見下ろし、中山への侵入者を監視していたであろうその位置と眺望。その城山へ29年振りに登城した。
斜面に築かれ形の崩れた2基からなる城山古墳脇を通り上へ向かう。
植林された山であるため、以前と比べると明るくなったところ、暗くなったところ様々だが、頂きはさほど変化はなく、二つの郭の中間の堀切付近は相変わらず草深しであった。主郭とみられるところには秋葉神社が鎮座する。
城主は西郷弾正といわれ、西郷氏が中山支配の足がかりとして築いた城なのか、ほんの一時期しか存在しなかった西郷氏の幾つかの砦とは違い、出城の役割があったのかもしれない。

(関連記事:堂山砦 西川城)
萩平村と中山村の境に位置する標高約160mの城山。
古東海道が麓から中山の峠を越え、往来していた時期があるという説のある中山村を見下ろし、中山への侵入者を監視していたであろうその位置と眺望。その城山へ29年振りに登城した。
斜面に築かれ形の崩れた2基からなる城山古墳脇を通り上へ向かう。
植林された山であるため、以前と比べると明るくなったところ、暗くなったところ様々だが、頂きはさほど変化はなく、二つの郭の中間の堀切付近は相変わらず草深しであった。主郭とみられるところには秋葉神社が鎮座する。
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