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「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

槍出城

2007-03-24 06:00:08 | 城郭・城下町
(鎗殿城 豊川市東上町白楽)
 宮出川と松本川に挟まれた、本宮山から舌状に伸びる台地端部に位置する。
江戸時代の書物「三河国二葉松」には「ヤリ手山ト云所、東上村勝川古城」と記載され、昭和50年若返大学発行「一宮町のむか志ばなし」には槍出(ヤリデン)城とし、大隅鞍武居城としている。
 戦後開墾が行われ、明確な遺構は残存していないが、溝状の堀、低い土塁と北側に堀切の役目を成す地形が見受けられる。
東側の宮出川は、古代東上条理制における利水のため堰き止められ、「勝川大池」と称する溜池が存在したという。南北朝時代とされる槍出城の時期においてもまだ存在したであろうと推測し、防御を兼ねた池であっただろうと考えられる。
 年々城跡の草木が深くなり、初踏の30年前と比較すると溝状の堀も次第に埋もれ判別も難しくなっているが、現在でも南端中央にはコの字状の築堤がみられる。(銅鏃の出土した鎗殿古墳(直径14.5m高さ2m)の跡ともいわれる)
付近の古老によると、戦後台地全体の開墾を行ったが、城跡付近においては地形を著しく変えるような開墾は行っていないということであり、埋蔵文化財地図等に記載される「城跡、古墳は滅失」という文言は些か疑問に感じる。
また、背後の東上村勝川枝郷の城山に存在したという「勝川城」も、文献により混同されていることから、この槍出城の関連城塞であったのであろうと推測する。
 近い将来、城跡内及び北側を国道151号線バイパス建設が予定されており、その際には学術的検証が行われることであろう。
      
(関連記事:旧一宮町域における詳細不明城跡について
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