4月30日

2007-04-30 00:48:54 | Weblog

   (しょうぶ 赤塚山乗蓮寺)


   僧坊のをとこ手前や軒菖蒲


 
季語が動かない俳句を詠むのには?
あれやこれや論じる書物もありますが、ころころは
こうしています。
まずは季語を詠もうとして俳句をすることで、後から
季語をつける習慣をなくしました。
それでも、何かに触発された一行は句帳などに残し
即詠を避けます。即詠になるとその一行に溺れ
季語などとりあえず当季ほどのものになってしまう
からです。
それから吟行句会などでは句が拙くなっても
眼前の景から浮かび上がるものは写生だと考えて
いてます。そこの付かず離れずは多くを詠んで会得
する他はないのですが、見たものだけを句に詠もうと
すると説明になり易く、感じたものだけを詠もうとすると
独善的になってしまう傾向にあるようです。
言葉が足りないかも知れないけど、季節を詠むのが
俳句の決まりであり、詩に季節をつけるこが決まりでは
ないと考えています。
季節を詠むにはなにしろ歩くことだと思います。 


   

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4月29日

2007-04-29 07:37:17 | Weblog

   (藤棚  館林鶴生田川畔)


   藤房や上州風の生れどころ  

 

   藤房のふくらむ風のたえまなし

 

都会に慣れ暮らすと自然とはいかなるものか
忘れていることがある。
当然、身近に花は咲き、風も、雨も、時には雪もあるのに
自然に小さいも大きいもないが、やはり都会には
捨て去ったものも多いのではと痛感する。
吟行は心の忘れ物をとりに行くような気がする。

この藤棚の借景にはまだ冠雪の男体山、そびらには
鶴生田川の川音がある。

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4月28日

2007-04-28 00:21:45 | Weblog

    (山躑躅  館林つつじが丘公園)


   山つつじ緋のトンネルの先も燃ゆ  


   つつじ燃ゆ花袋の愛でし浅茅沼 


   咲きつくす躑躅の径のなほ細る


   焔とも隼人の血とも山躑躅


      この山の火元となりし大躑躅


自然の中の躑躅は見事だった。
急遽、参加をお願いした吟行会は館林のつつじが丘公園
その色彩、木々の大きさに圧倒されたのは初めてのことで
詠もうとしても我ながらそらぞらしい拙さの句になってしまう
私だけかもしれないが、自分の目線以下の自然の変化には
寛容となれるが、それを超えて圧倒されはじめると落ち着か
なくなる。興奮とはちがう何かを感じ始める、
桜がどんなに満開の大樹であってもそれは感じた事のない
感覚で、この緋の色の大景を受け入れることは容易ではない
それほど自分が日頃保身になっている事を知ることとなる。


   

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4月27日

2007-04-27 06:10:34 | Weblog

    (著莪の花  大宮公園)


   谷暗らし著莪と雑魚寝の仏たち  野田信章


先日買い求めた俳句誌に強く共感する一文があるので
自分の思いも重ねてみた。
その一文は「類想、類句をこうして避ける」の中の田中貞雄氏
の稿。句会、句友の大切さについて書かれている。


「作者の良識に待つほかは無い」が、流行の季語、安易な
成語・比喩の多用は避けるべきでであろう、日頃地道に語彙
の貯えに努めながら、独自の俳句領域(表現の工夫)を切り拓
いてゆく必要性を感じている。
・・・他句との類想・類型句を云々すると同時に、自作が独善に
陥ってないか注意しなければならないが、今更ながら活発な
意見を交わす事の出来る句会、良識のある指導者・俳友の
存在は実に大きい。


この一文の中に特に惹かれた言葉が「地道な語彙の貯え」
つまり句を多作して、なお他人の目にかけ、批評を仰ぐ事
で自然に身につく力の事だと思う。
勉強中は恥は当たり前。
機会があれば大いに句会に参加していればいずれ直感として
類想・類句に近づかなくような気がします。


 

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4月26日

2007-04-26 07:09:29 | Weblog

    (おきなくさ  小石川植物園)


    父よりは呆けてをらぬ翁草  ころころ
    


俳句の友人から嬉しい便りがあった。
ある月間俳句誌の四人の選者から、推薦、秀逸、佳作と頂い
たという、こういう知らせがなにより一番嬉しい。
このところの進歩は目覚しいものがあり、前々より感じていた
俳句のセンスは独創性と新しさも加味して今後が楽しみです。
そのお句を作者に無断で掲載いたしますのでどうぞ佳句を
ご鑑賞下さい(紫苑さんごめんなさい)


   セーターの少年のゐる囲碁サロン 山本紫苑 


  綿入れを着て掛け直す電話かな  山本紫苑 


早速、その俳句誌を買い求めたところその号の
特集が龍太への50俳人追悼句でした。
その紫苑さんからもころころの追悼句をどうぞと言われ
ましたが今私の感じるところは悲しみではなく空虚。
一句でも龍太の選が欲しくて龍太が選者である雑誌や
新聞とありとあらゆる所へ投句していた頃の自分の
初学の時代の思い出が甦ります。
結社に入りながらも師系とは違った目標を持つ者に
回りは冷たかったこともありました。
こと俳句の道において龍太はいつまでも私の宝箱に
在りつづけるでしょう。

龍太の言葉に「俳句は無名がいい」というのがある
この言葉がころころの座右です。

 


   


 

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4月25日

2007-04-25 07:30:50 | Weblog

    (うまのあしがた  小石川植物園)


   園児らの声のかがやくきんぽうげ  ころころ

 

一般的には金鳳花(キンポウゲ)と呼ばれているが
正式には八重咲きのものを言うらしい。


   1)金鳳花揺れ太陽と遊ぶ花    加藤絹子

 

   2)きんぽうげ酒買ひ童子つまづくな  林薫


   3)きんぽうげ川波霧を押しひらく   飯田龍太


草花を詠む場合、その容姿(可憐さ、大きさ、明るさ、など等)
によって、金鳳花、きんぽうげ、キンポウゲと詠み違えるのも
効果としてあります。俳句の検索をしても同じ金鳳花でも
ひらがなが圧倒的に例句が多く、カタカナは皆無です。
逆に言えばカタカナで詠めれば新しい試みとして手柄に
なると思っています。
これは私感ですが1)の句は揺れ、遊ぶという甘い語句を
採用している為漢字の金鳳花を斡旋したのだろうと思います
2)この句は童子を詠んでいるためにひらがなの採用で
全体にやさしい表記と感じられます。
3)これは龍太らしい配置です。柔硬の取り合わせでの
効果を得ていると思います。
という分類では今日のころころの掲句は2)になるでしょうか

俳句は韻も大切ですが姿も大切な要素だと感じています。

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4月24日

2007-04-24 06:23:44 | Weblog

    (ちごゆり  小石川植物園)


    稚児百合へ有情の雨となりにけり  ころころ


今ごろの原っぱ、土手、空地は雑草の宝庫です。
最近、どこの句会に参加しても、吟行しても、草の句が
見当たらないのです。
兼題句会の高点句はがぜん人事句が多く。
吟行句会では吟行地への挨拶句類、名所名物のとりわせ等
しかたの無いことですが、自習だけは身近な植物を詠む
ことをお忘れなく。


   なずな咲くてくてく歩くなずな咲く   小枝恵美子


   芹の花ばかりを飛んで沼の蝶    細見綾子


   薄ら日や風にやすらふ母子草    田川美恵


   人ら老い薺ほとけの座はみどり    櫛原希伊子


   妻が提ぐすずな・すずしろ一つ籠   猿橋統流子

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4月23日

2007-04-23 06:06:53 | Weblog

   (牡丹  赤塚植物園)


    志ん生の廓噺や夕ぼたん   ころころ


昭和57年ある結社のおはなし・・・
誰にでもある初学の時代。

新同人  正木ゆうこ

本閉ぢて夜の雲よりはじまる秋
秋水のなかにゆつくり指ひらく
洋梨のみおぼえのなきふくらみよ
新涼の階段で会ふ異邦人

3句欄  中原道夫

核心がだんだん見えて葡萄食む
町となる話もありし葛の花
なにげなく本音つぶやくソーダ水

3句欄  大島雄作

銃眼より覗きて空の秋うらら
指先まで新妻のもの青葡萄
台風禍机の木目きはだちて

2句欄 ころころ

月不思議子規の碑の四拾円
沖の灯に少し距離ある夜涼かな


 

   皆初めはこんなもの。ころころももう少し真面目に
   勉強してれば・・

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4月22日

2007-04-22 06:48:14 | Weblog

  (ははこぐさ 母子草 小石川植物園)


春の七草のひとつオギョウ(御行)日当たりの良い場所に
咲いています。


     藪沢に迷子の記憶母子草  ころころ


草花ばかりではなく、日本語の名詞にはその言葉自身が
持つ景色や情が感じられる。
この母子草を俳句に仕立てる時、母子という誰にでもある情に
甘くなる。 つかず離れずの距離がむずかしい。

小石川植物園は江戸の時代、小石川療養所があったところ
現在の正式名称は東京大学大学院理学系研究科付属植物園
療養所のまわりには薬草畑があったそうな。

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4月21日

2007-04-21 14:41:27 | Weblog

 (はるじおん 春紫苑 または春女苑 小石川植物園)

秋の野草の紫苑に対して、春に咲くので春紫苑という。
本来は白い花だが、薄紫のものも多い。


    春紫苑土手の風にも汐のあり  ころころ


仕事柄、混雑する道を避けて通る荒川沿いの道は
約5キロほど土手沿いを走る。
土手は春の草で覆いつくされている。
4月に入ってからは雨続きで車窓を開けて走ることが
少なく昨日は久々に窓全開で走った。
心地よい春の風、汐時の風というのだろうか?
千住大橋の手前の土手には春紫苑の群生が
背伸びをして、風にゆれていた。

 

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